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始まりの日4

「よし・・・そろそろ行こう・・・」

 あれから少し経って、どうにか頭の中の状況の整理が追いついた。恐怖で抜けていた腰も戻ったが、いまだに脚は小刻みに震えている。

 俺がやるべきことは2つ。非常食や防災グッズが入ったリュックの回収と、アパートの住人達と合流し、此処から脱出する事。俺はさっそく行動に移り、乱雑としたサブアリーナを抜け、無闇に身を出さないように慎重に慎重を重ねながら本コートの方へと足を踏み入れた。

 館内への出入り口は自衛隊が封鎖していて外には出られないだろうし、見つかって殺されていない限り、館内をくまなく捜索すれば住人たちにも出会えるだろう。だが、もしそうならない場合は、たった一人で脱しなければならない。果たして、俺一人でそんなことが出来るだろうか。


 焦りは集中を欠く。こういう時こそ冷静を保たなければならないのだが、それを頭で解っていても死と隣り合わせな状況に居合わせたことなんてないので実行するのは困難を極めた。


 緊張で狂いそうになるのを抑えながら、頭を低くしながら移動した。それまでの道のりには逃げ遅れた人々や狂暴化した者たちの射殺体が転がっていた。生々しくおぞましい光景に、足元には血の海。最後まで生き延びようとしながら、道半ばで倒れた者たちは少しでも遠くへ腕を伸ばして地に伏せていた。俺にはそれが煉獄へ引きずり込もうとする手に思えて、ひどく気分が悪くなり、隅で激しく胃の中のものをぶちまけた。


 汚れた口元を拭い、悲惨さを極めた通路を迂回して2階の観客席に上がる。住民たちと過ごしていたブルーシートの上に取り残されていたリュックを回収し、住人たちの安全を祈る。


 次は彼らの捜索だ。俺は傍らにあったスマホを拾い上げ、時刻を確認する。現在時刻は午前3時。外は真っ暗なので、独り生き残りを見捨てて外に出る事さえできれば身の安全は確保できるだろう。

 ふと、自分の心に迷いが生じる。残ったみんなを見捨て、ひとりで逃げ出すか。それとも、彼らを見つけ出し、手をつないで脱出するか。


「・・・くそっ!」


 それが少しでも、利己的で自分勝手な考えをひらめいた自分を呪った。さっき、みんなで脱出するって決めたはずだ。


 俺は寝床に転がっていたスマホを自分のスマホを拾い上げ、連絡先を開いた。大家さんの電話番号なら登録してある。きっと聡明で冷静な彼なら携帯を肌身離さず持ち歩いているだろうし、連絡も取れるはずだ。そう思い電話を掛けようとしたとき、左の肩に掛けられた荷重に、俺は飛びのいた。


「・・・お、大家さん?」


 ビックリしすぎて声にならない悲鳴の後、かすれた声がのどから出た。


「渋沢君・・・生きていたか・・・!」


 老体に鞭うって逃げ延びていたのだろう。きれいな白髪の生え際の下には玉のような汗が浮かんでいた。


「い、一体何が起きているんです!どうしてあいつらは、俺たちを殺しに!」


「吠えるな!奴らに気付かれるぞ!」


 顔見知りが現れたことにより緊張が解れたのか、無意識に興奮しヒステリックにまくし立てる俺に大家さんが一喝。座れという意味の手の動きに従い、俺は落ち着きを取り戻し静かにその場に座り込んだ。


「ここからは小声で話そう。渋沢君、一緒にいた人はいないのか?」


「いえ、独りでサブアリーナの方に逃げ込んで、なんとか撒いてからこっちまで戻ってきました」


「よくやった。よく生き延びた」


「ただ、サオリさんやダイゴさんは!?早く見つけ出して、此処から逃げ出さなきゃ!」


 思い出したように再びパニックになりかけた自分に、大家さんは優しく語りかけた。


「大丈夫だ。他の住居者なら私と一緒に逃げ伸び、今は安全な場所にいる」


 その報せを聞いて、ほっと胸をなでおろす。大家さんの話を聞くに、俺が独りで館内をウロウロしている間に安全な避難場所に逃げ込みバリケードを設置し自衛隊や狂暴化した市民たちの侵入を防いでいるらしい。ただ、その間ダイゴさんの容体が悪化し、熱や嘔吐もさっきより酷くなっているそうだ。大家さんはサユリさんにダイゴさんの看病を任せ、わざわざ俺を探しに来てくれていたらしい。俺はそれを聞いて感謝の気持ちと、早くここを脱したい一心で焦っていた。


「早く、みんなで脱出しましょう!ダイゴさんの具合も悪いのなら、尚更・・・!」


「待て。そこには別グループの生存者もいるんだ。私たちだけが逃げ出す訳にはいかない・・・」


 逸る俺を抑え、大家さんが冷静にこれからすべきことを話す。


「とにかく、まずはみんなと合流しよう。食料なら配給用のがあるし、君のリュックの中身も少しは足しになるだろう。すまないが、彼らにも分け与えてやって欲しい」


「わかりました」


 他でもない、大家さんの頼みともなれば、断る理由もない。俺は素直に彼の願いを聞き入れた。その後は、大家さんの後ろに続いて生き残りがいるという避難場所に向け移動した。

 道中差し当たった危機は無く、無事に避難場所に辿り着き、一方通行の狭いバリケードの隙間から中に入った。


「カズキ君!」「お兄ちゃん!」


 美東親子に出迎えられ、俺はあの地獄からやっといつもの日常に戻ってきた様な気がした。


「ダイゴ君の容体は?」


「ひどくなってます。もう、吐くものもない位嘔吐して、さっき遂に血を吐き出しました」


「なっ!?ダイゴさんは、大丈夫なんですか!?」


「わからない。ただ、大きい声は彼に響く。今は静かに、彼の回復を願おう」


 大家さんに再び制止を受ける。俺は何もできない、自分の不甲斐なさ、無力さを嘆いた。

 周りを見渡せば、4、5名の見知らぬ人間が一塊になって隅で震えていた。互いの恐怖を慰めあっている姿が、やけに薄っぺらくちっぽけに見えた。


 俺のいるこの避難所は、男子更衣室を改装した小さな一部屋だ。出入口にロッカーを移動しバリケードにし、休憩用のベンチを立てかけて人ひとりがやっと通れるような小さな通路を形成している。ロッカーは重厚で頼もしく、ちょっとやそっとの衝撃ではびくともしないようだ。部屋の中央には大家さんが本館の倉庫から拝借してきたらしい配給用の食料が入った段ボールが一つだけあり、その周りには避難民の私物が転がっている。どうやら大家さんはたった一人で食料を取ってきたらしく、俺はただただ、彼の勇敢さと行動力に尊敬を抱いた。


 俺は段ボールの横に口を開いた状態でリュックを置き、これはもうみんなの共有物資だということを暗示した。

 壁には小さな窓が一つあるが、覗き盗撮防止のためか窓は小さく通れそうもない。一瞬そこから逃げ出せないかとも考えたが、どうやらそれは不可能そうだ。


「お兄ちゃん、大丈夫?」


 地面にへたり込んで壁にもたれていた俺に、ユイちゃんが声をかけた。彼女はいまいち自分の置かれている状況が理解できていないようで、いつになったらみんなで家に帰れるか尋ねてきた。俺は疲れと精神が摩耗していたのもあり、彼女の無神経な質問が鬱陶しく思えてしまい、つい「知らない」と不粋に答えてしまった。

 すかさず、こちらに気付いたサオリさんが助け舟を出した。ユイちゃんを呼び戻し、独りの時間を与えてくれた。俺は、自分が嫌いになった。サオリさんだって、大家さんだって、みんな被害者な筈だ。きっと今すぐ全員を見殺しにしてでも逃げ出したいに決まってる。それでも彼ら大人は俺みたいな子供を気にかけてくれている。


 疲れていたから?それがなんだ。俺は、ユイちゃんへの仕打ちを省みて自分がいかに未熟かを悟った。


 ―――最低だ・・・俺。




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