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始まりの日3

18時の配給。俺と大家さんとユイちゃんと一緒に、配給を待つ長蛇の列の中にいた。一度ハンドボールの試合で使用したコートに人集りと豚汁の匂いが漂っていると、いつもの殺風景な光景とは違った違和感が残る。


ユイちゃんの世話をしながら、同じく避難してきたらしい同じ高校の同級生に声をかけたり、大家さんの知り合いらしき年配の方々が大家さんを交えてお喋りに夢中になっているのを聞き流していると、ようやく自分たちの番になった。


「7人分ください!」


ユイちゃんの元気のいいご注文に炊き出しをしていた係員は目を細め、サービスだと言って、子供用サイズの発砲スチロールの器に豚汁を少し多めに注いでくれた。


「ありがとうございます!」


「ちゃんとお礼が言えるいい子だね。付き添いはお爺ちゃんとお兄ちゃんかな?」


係員の勘違いに苦笑いし、俺は礼を言って豚汁を受け取る。

確かに、側から見れば、俺たちは爺と孫の様に見えるのだろう。俺は少しおかしく思えた。


配給が行われているスペースを抜けて、豚汁の熱が冷めないうちに早々と我らのスペースに戻る。食事の時以外は存在感を消しまくっていたタクさんや睡眠を取った事で多少は体調が回復出来たダイゴさんを交え、アパートのみんなで食を囲む。

8月の残暑残る季節に豚汁は合わないかと思ったが、意外とそんなことはなかった。汁を啜りながら適当に談笑し、完食した頃には再び睡魔がやって来た。


腹一杯、とは言わないが腹も膨れたし、今日はもう寝ようとブルーシートの上に横になる。タオルを折って枕がわりにし瞳を閉じると、俺の意識は睡魔に完全に飲み込まれた。




「・・・い、・・・きろ・・・」


暗闇の中で、誰かが俺を呼んだ気がした。気がした、というのは、その声が聞き取りにくかったからだ。


「し・・・君・・・おき・・・」


次第に明瞭になる声の方へ意識を向ける。暗闇だった視界に急に光が差し込んで来たかと思うと、俺の脳は目覚めを覚え、感覚をバッチリと冴え渡らせた。


「起きろ!渋澤君!」


はっきりとした視界の中心に映ったのは、焦燥が混じった大家さんの顔だった。

何事かと頭はパニックを起こし、跳ね起きる様に体を起こす。そして、悲鳴が入り混じった喧騒を覚えると、その発生源であろう競技が行われるコートを覗いた。そこの中央には、夥しい量の紅い液体と、それを流しているであろう人体の上に誰かが馬乗りになって拳を振るっている異様な光景が広がっていた。




ーーーその時俺は、ただの喧嘩だと思った。大方意見の食い違いだか配給の取り分だかで揉めたのであろうと、大したことではないと呆れていた。そして同時に、何故たかが赤の他人の喧嘩で叩き起こされたのか、という大家さんへの疑問を抱いていた。


だがそれは、当時はこれから先に待ち受ける絶望を知らない俺にとって、命を救う一手でもあった。




「どうしたんです?あれはただの喧嘩じゃ」


俺の呆れた発言は、突如甲高く劈いた悲鳴に掻き消された。そしてその時、この館内が地獄と化す情景を、俺は初めて理解し、目に焼き付ける事になった。


あの喧嘩は、何も一箇所で起きたものじゃなかった。二階の観客席も、コートの端でも、似たような事例がいくつも発生していた。


中には、呑気に携帯のカメラで暴行を撮影していた周りの野次馬に襲いかかる者もいた。そして、ただのざわめきは、阿鼻叫喚の地獄へと移り変わっていくのだった。


そこから先は、館内の避難者がパニックに飲み込まれるのにさほどの時間は要さなかった。コートの中央で馬乗りになって拳を振るっていた者は、その手を止めると、野次馬のひとりを目掛けて飛びかかり、首元に思いっきり歯を立てて噛み付いた。悲鳴をあげ、痛みを堪えきれずジタバタともがく。だが、その甲斐虚しく首の肉を食いちぎられ、野次馬の1人は大量出血のショックで気を失った様にぶっ倒れた。


「大家さん!!」


俺はとうとうこれが只事じゃないと理解できた。


「みんな!ここをすぐに離れるぞ!」


住人を起こしていた大家さんの指示に、全員が従った。それは、誰もがこんな光景が異様な者であり、すぐに離れるべきだと理解出来たからだった。リュックをからい、持ち物の確認をして出発の準備を整える。ほかの住人も荷物を整えると、大家さんを先導に、出口に向かって足早に移動し始めた。


入り口は一刻も早くこの場を去ろうとする避難者たちでごった返していた。渋滞が解消されるのを待ち、人混みの中で揉みくちゃにされながらアパートの住人たちとはぐれない様に踏ん張る。だが、誰かに突き飛ばされたのか、不意な衝撃で俺の身体は前へ押し進められ、ガラス張りの出入りの壁に押し付けられた。そこから外の景色が見える。どうやらパニックを起こした避難者たちを宥めようと、役所の職員たちがメガホン片手に冷静を呼びかけていた。


同時に、駐車場の方から数台の人員移送車がやって来た。荷台の方から車1台につき15人ずつ自衛官が降りて来て、横一列に素早く整列した。背中には正式装備の自動小銃をスリングで回していおり、この場にいる全員に冷徹な威圧感を覚えさせる。


補導を行なっていた職員が自衛官の方に近付く。きっと仕事の引き継ぎを頼みに行ったのだろう。その横顔には安堵の表情が混じっていた。


バタン、と扉を閉める音がした。人員移送車の間に挟まれていたジープから、1人の男が出てくる。見たところ、銃火器の類は身につけておらず、恐らく長官か何か偉い立場の人なのだろう。ただ立っているだけでも、その立ち振る舞いからは威厳が滲み出ていた。


俺たち避難者の事などすっかり頭から抜け落ちているのか、職員はこちらへの対応を一切行わず、その長官らしき男性と話し込んでしまっていた。ガラス越しで距離がある為会話の内容は聴き取れない。少しすると、話し込んでいた職員は、後衛で待機していた他の職員も呼び出し小さな会議を始めてしまった。


「オイいい加減にしろよ!」

「話なんていいから、この状況をどうにかしろ!!」

「後ろには変な奴らが来てるんだよ!早くここから出せ!!」


後ろからは凶暴化した市民が近づいているというのに、悠長に話をしている公務員たちに、避難者の怒りはふつふつと煮え滾って来た。段々ボルテージも加速して行き、自分の命最優先の自己中心的な罵詈雑言が飛び交う。


俺はそんな避難者達の声に耳を痛めながら、事の顛末を見守った。


すると、職員達と軍のお偉いさんの会議はようやく終了したようで、職員達はぞろぞろと行ってしまった。きっと、食糧などの支援品を卸しに行ったのだろう。車列の殿を走っていた移送車の後ろに乗り込んだ。だが、彼らが戻って来る気配が一向に無い。食糧が多くて荷解きに手こずっているのだろうか。だが、それにしても遅過ぎる。


職員達より先に、綺麗な1列横隊を崩さず、自衛隊の隊員達が近付いてきた。きっと状況整理を担ってくれるのだろう。先ずは混乱を解消した後で、どこか別の避難所に移動するに違いない。そして、そこで改めて物資の配給が行われるんだろう。

俺は、一抹の不安を抱いた胸をほっと撫で下ろした。


だが、もうこの世に安镹の地は無いのだと、俺はひしひしと思い知らされるのだった。


長官が右手を挙げる。すると自衛官達は右脚を引き、背中に回していた小銃を構えて安全装置を解除した。それがどういう事か直感的に理解し、俺は死に直面している事を嫌が応にも受け入れさせられた。

長官が挙げた右手を振り下ろす。一拍遅れて、横一列に並んだ30近くの銃口から一斉に弾丸が襲来する。音速で飛び出した鉛の弾頭は、最前列で脱出を試みた人達の腹や胸、頭を貫き紅霧を吹き散らせた。途端、状況を把握した避難者達の悲鳴があがる。背後には凶暴化した者達が迫り、目の前には市民へ発砲する自衛隊が立ち塞がっている。このどうしようもない絶望的な状況下で、冷静を保っている事なんて、出来るわけがなかった。凶暴化した市民が追い付いていない間に後退していく。


俺は最前列でその様子を傍観していたが、端っこにいたお陰か、幸運にも被弾することは無かった。だが、ここに留まればいつ射殺されてもおかしくない。俺も騒動に便乗して競技コートの方へ下がる。


広い館内に、避難者達は散り散りになって逃げ回った。自衛隊はガラスが砕けて入れるようになった窓枠から侵入し、避難者の背中に向けて引き金を引く。


(クソッ!なんで俺たちを殺そうとしてんだよ!)


逃げ惑う中、心の中で悪態を吐く。すると泣きっ面に蜂で、被害を拡大を防ぐために誰かが閉じ込めたであろう競技コートの両扉が勢い良く吹っ飛び、そこから凶暴化した市民が雪崩れ込んできた。少し前は2、3人しか居なかったはずなのに、今度は凶暴化した人数が10数人まで数を増やしている。


彼らはこちらを認識すると、見境無く襲い掛かってきた。こうしてまた1人と被害者は増えていき、さらに自衛隊による射殺で死者は加速していく。


訳もわからないまま凶暴化した市民を躱しつつ、広い館内を走り回った。自衛隊はと言うと、連携のとれた動きで館内の人間を見境無く射殺していく。通路を確保し、何か動くものがあれば警戒態勢に入り、それが人の形をしていれば鉛玉を脳に撃ち込む。


俺はどうにか隠れてやり過ごそうと、屋根続きの通路を伝って同じく避難場所として使われていたサブアリーナに入り、用具倉庫の扉を開けた。中には室内球技で用いるゴールポストや、バレーのネットを貼るための支柱、フローリングを傷付けないようにするためのマットなどが置いてあり、俺はさらに深くのパイプ椅子が積まれた所に身を潜めた。


荒い呼吸を落ち着かせ、見つからない事だけを祈る。避難者は大勢いたし、きっと誰が誰だなんて分かるはずがない。俺は現実逃避にも近い願いに縋り付いた。


倉庫に隠れて10分。サブアリーナの扉を開ける音がして、俺は身構えた。もし見つかったら、抵抗の余地なく殺されてしまうのだろう。そう思うと、身体からどばどばと汗が吹き出し、身体の震えが止まらなくなった。


ブーツの底とフローリングが擦れる音が段々こちらに近付いてくる。音が重なったので、きっと2人以上。独り言では無ければ、話し声がするので確定だろう。俺は物音を立てない事だけに集中し、息を殺して最小限に気配を消した。


ブーツ音が近付いたり遠くなったりを繰り返しているので、コートの方を捜索しているのだろう。本コートと同じく、仕切り代わりにテントが張られていたので、その中を捜索しているの違いない。だが、それも終わったのか、俺が隠れている用具倉庫の扉が開けられた。暗闇に光が差し込み、人間の影が2つ。倉庫に侵入し隈なく捜査を開始した。


俺はそれを影から眺め、短かった人生の終わりを覚悟した。今更ながらに過去の過ちを悔やむと自然と涙が零れおち、声を出さないように細々とすすり泣く。


捜索の手が近付いた。きっと俺はここで一生を終えるのだろう。瞳を閉じ、死を覚悟した時、再びアリーナの扉が開く音がした。内部を捜索していた2人の自衛官は様子を見にコートに戻ると、数人の男女の悲鳴が聞こえた。もう誰もいないと踏んで戻って来たのか、それともまだ逃げている途中だったのか。


だがそれは、彼らには不運でも、俺にとっては生存のチャンスに他ならなかった。自衛官2人は彼らを追いコートを蹴る。アリーナ内から足音が聞こえなくなって暫くその場に待機して、俺は潜伏場所を抜けた。倉庫の扉から辺りを見渡し、誰もいない事を確認する。


俺は一先ず生き延びた事に胸を撫で下ろした。死に際の緊張が抜けて、思わずその場にヘタリ込む。腰が抜けてしまったようで、俺は少しの間その場から動く事が出来なかった。

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