陽炎の鏡 ― 消えた少女と、土の下の再会(1/3)
二月堂から纏向へ 全部で三話になります。
第一章:爆ぜる火、凍る火
それは、実体のない熱量から始まった。 大阪にある公立高校の学園祭。校庭の中央で、巨大な井桁に組まれたキャンプファイアが夜の闇を朱色に染め抜いていた。 「すごい火・・・」 隣に座った女子生徒が、独り言のように呟いた。
その声の主は佐伯 遥、僕(高山 茂)は彼女のクラスの同級生だ。遥は少し小柄だがショートの髪型が似合う可愛い女子生徒で、私は気にはなってはいたが、それまで言葉を交わしたことはなかった。
僕は「きれいや。」彼女に話しかけるでもなく、独り言のようにつぶやいた。火の粉が夜空へ吸い込まれていくたび、彼女の横顔が明滅し、瞳の中に小さな炎が宿っているように見えた。「高山君は、火が好き?」と遙は僕に尋ねた。「なんかこういう雰囲気ってええなあと思って。」と私は答えた。
遥は「うん。」とだけ短く答えて、それから二人は静かに、しかしお互いを意識しながらずっと火を眺めていた。「……ずっと、こうして見てた気がする。」と彼女は言葉少なに呟いた。
僕は、それからずっと彼女を意識した学校生活を送っていた。会えば挨拶は交わすが、あの夜のように二人だけで話をする機会はないまま、学年が上がりクラスは別々になり、登下校の際にたまに遠くから見ているだけ、というようになった。
次に遥と話したのは、三年生の二学期も終わりに近づいた頃、大学の入試も年明けすぐに近づいた頃であった。帰り道、たまたま駅に行く途中で僕は遥と出会った。二人は近づく受験の話から初詣の話になり、「奈良に行こうか」 とどちらから誘ったわけでもなく、二月堂へ参拝する約束を結んだ。
一月二日 、二人は近鉄電車に揺られていた。行先は東大寺、二月堂。 お昼すぎに待ち合わせた二人は、初詣で混雑する奈良を少し散策しそして東大寺から更に上り、二月堂についた頃にはすでに空は赤くなりはじめていた。少し息を切らせて上り詰めると。肌を刺すというより魂を切り裂くほどに冷たかった。
二月堂についた僕らは、最初に合格祈願のお守りを二人で買った。それには『智慧守』と書かれた、辰砂色と深い紫のお守りだった。舞台に上がると、赤く染まり始めた空の下、大和平野が一望できた。 「見て。あそこが全部、昔の都やったんよ」 遥は手すりに身を乗り出し、街の灯が消えゆく盆地を指差した。
「でも、私が探しているのは、もっと深いところにある。誰も覚えていない、誰にも名前を呼ばれなくなった人たちの声」 その時の僕は、彼女の言葉をただの「考古学への憧憬」だと思っていた。彼女が、その深い闇に引きずり込まれていくことなど、想像もしていなかった。
僕たちはお互いの受験の健闘をお祈りして、そのまま近鉄電車にのり、それぞれの家路についた。そのころの僕にとっては、遥は少し神秘的なところがあるが、ただ憧れてるだけの遠い人だった。
遥は僕の事をどう思っていたのか、少なくともこうやって初詣にも行ってくれて、僕が恋心を抱いていたほどではないにしても、僕のことは意識してくれていたのだと今となっては思う。
春になり、僕と遥はそれぞれの希望していた大学に受かり、二人とも京都で大学生活を送るようになった。二人は鴨川を挟んで西と東の大学で、それぞれ文学部に在籍していた。遥ははっきりと考古学や古代の奈良、京都に興味を強く持ち、私はなんとなく文学部の雰囲気に憧れていただけかもしれなかった。
ただ、遥の影響は強く、私も古典や考古学などの方向を向いていたと思う。最初の一年間は、お互いがそれぞれ同じ京都の地で生活をしていることは知っていたが、連絡することもなく、近くにいるはずの彼女に偶然に出会うこともなく時は過ぎ去っていった。
僕の学生生活も一年間が過ぎ、相当に怠惰な日々を送るようになっていた頃、僕はたまたま、また遥と再会する事ができた。5月の晴れた日の午後、賀茂大橋を歩いていた僕は、河原町今出川の交差点で遥を見かけた。1年ぶりの再会だった。出会ったときの遥の明るい微笑みに僕は勇気づけられた。
「これからどこかへ行くの?」そう聞くと「用事はないんやけど、ちょっと気晴らしかな?」遥は答えた。僕は高校生のときに結局そのまま別れた、という思いを持ち続けていたので思い切って、「せっかく久しぶりに会えたんやから、鴨川でも一緒に散歩しない?」と尋ねてみた。
それから二人は三条の方まで一緒に肩を並べて歩き、お互いの近況などを話し合った。遥は大学では古代史同好会に入って文学部の勉強とともに、古代史に一層のめっているような生活をおくっているらしかった。
三条までの散歩は、まるで高校時代の空白を埋める儀式のようだった。 「高山君、変わらへんな」 遥は少し歩調を緩め、五月の風に揺れる柳を見上げた。 「佐伯さんこそ。もっと遠くへ行ってしまったような気がしてた」 「……行きたいところは、たくさんあるよ。でも、なかなか辿り着けへんね」
その日のデートを境に、僕たちは時々、京都の街で会うようになった。普通の学生のように進々堂でお茶を飲み、出町柳の河原でとりとめもない話をした。けれど、僕がどれだけ手を伸ばしても、彼女の芯にある「何か」には触れられないもどかしさがあった。
僕たちは、同年代の男女がそうであるように、次第に恋人のように睦まじい時間を共有することもあり、僕は、正直、学生生活の張りがすべて遥から与えられたものだと思っていた。僕はもう二人の中は切り離せない、将来も考えてもいいような間柄になったと信じていた。
しかし、その日は突然やってきた。 二人が再会して恋人のようになって、お互いに最後の学生生活を迎え始めた6月に、二人は上賀茂神社を散策していた。そこで遥は、「最近、耳鳴りがひどいんや、誰かに呼ばれてる気がする。」と体調の不調を訴えた。
僕は「ちょっと古代史にのめり込みすぎて疲れたんやないか、少しゆっくりしたほうがええで。」と彼女の本当の変化には気が付かずに答えていた。遙が汗をふくために持っていたバッグの中からハンカチを取り出したときに、一枚の古地図のようなものがこぼれ落ちた。それを拾い上げながら、遥は「半分しかないものって、もう半分を探してほしいって泣くのかな」と言った。
僕は、「え? どういうこと?」と聞き直したが、「あ、いや。今ちょっと気になってることがあるねん。」と遥は答えてその話はそのままになった。
彼女が忽然と姿を消したのは、そんなデートをした一週間後であった。夏が近づく湿った夜、待ち合わせ場所に彼女は来なかった。 連絡も取れず、数日後に彼女の大学の友人に聞くと、彼女は大学を休学し、住んでいたアパートも引き払ってどこかへ行ってしまったという。
古代史同好会で『ある場所』に行ってから「何かに魅入られたみたいに、ずっと図書館で古い地図ばかり見てたよ」 それが、僕が聞いた彼女の最後の噂だった。ある場所というのを僕は彼女の友人たちに尋ねたが、纏向遺跡の近くの何処からしいということまではわかったが、そこがどこかは結局分からずじまいだった。
第二章:泥の中の再会
あの日、四条大橋でずっと彼女を待ち続けた時から、僕の時間は半分止まったままだった。 遥の失踪は、僕の人生の軌道を決定的に変えた。僕は卒業・就職というルートへ乗り出す気力を失っていた。4年生は結局留年し、翌年大学院へ進んだ。そしてそこで遥を忘れられないかのように、考古学の研究室で、彼女を失った喪失感を埋めるように、僕は彼女が惹かれていた「土の下の世界」へと潜り込んでいった。
気づけば僕は、彼女と同じように歴史の深淵を覗き込む考古学者として、奈良の地に立っていた。二十年の歳月は、僕を中堅の調査員に変え、顔には日焼けと疲れが刻み込まれた。独身のまま、ただ義務のように遺跡を掘り続ける日々。それは、彼女が消えた「纒向」という言葉の呪縛から逃れられない、僕なりの巡礼だったのかもしれない。
四十五歳になった。 僕は今、奈良県桜井市にある古墳群の未調査区域で、主任調査員として発掘現場を任されている。三輪山の麓、檜原神社の近くの古代遺跡が沈んでいそうな場所を掘り進めていた。遥が失踪した、『ある場所』かどうかはわからない、しかし僕はきっとそこが、遥が確かめたかった場所だと信じ込んで発掘に打ち込んでいた。
だが、今夏の調査は難航を極めていた。 「高山主任、今日も空振りですよ。この層、攪乱されてて何も出そうにないですわ」 若手の作業員たちが肩を落として現場を去っていく。夕暮れ時、現場には僕一人だけが残された。
巻向の 山辺とよみて 行く水の
みなあわの如し 世の人われは
人麿の歌だ。この地で古代から綿々といろいろな人が、関わり消えて生まれてしていったのだろう。そこには遥もいるはずだ。そして僕もきっとその一人なんだろう。僕は不思議なまでにこの地に心が縛られているのを感じていた。 西の空が不吉なほど真っ赤に染まり、纒向の山々が黒い影となって迫ってくる。あの学園祭のキャンプファイアのような、禍々しいまでの朱色だった。
ふと、現場の端、まだ手をつけていない深い藪の境界に、人影が見えた。 立ち入り禁止の黄色いテープの向こう側。そこには、二十五年前のあの夜と同じ、ショートカットの髪を揺らした女性が立っていた。 「……遥?」
心臓が、肋骨の内側を激しく叩いた。ありえない。見間違いだ。彼女なら、今はもう僕と同じ四十五歳になっているはずだ。 しかし、その影は僕の方を振り返ることもなく、ゆっくりと藪の奥へと歩き出した。
「待ってくれ!」 僕はぬかるんだ泥を蹴り、斜面を駆け上がった。足を取られ、膝を突きながらも、逃げる陽炎を追うように彼女を追う。 「遥! 遥!」 彼女は一度だけ立ち止まった。そして、その指先で、藪に奥に隠された朽ち果てた小さな石積みのような場所を指した。 「……こっち。茂君、こっちやで」
その声は、耳というより脳の奥底に直接響いた。二十五年前、鴨川のほとりで聞いたあの柔らかな関西弁のままだった。 慌ててその場所へ飛び込んだとき、彼女の姿は霧の中に溶けるように消えていた。 そこにはただ、古い社の跡のような、奇妙な空間が広がっていた。僕たちが数ヶ月探しても見つからなかった、重要な遺構の入口が、まるで彼女に招かれたかのようにそこに口を開けていた。
翌日、遥が消えたその場所へ、僕は作業員を入れて重点的に発掘を行った。粘りに粘ってその狭いエリアを5日ほどかけて掘り進めた。僕自身も矢も盾もたまらず、何かに取り憑かれたように掘り進めた。
そして5日目、つにそこから大きな発見となるかもしれない重要な祭祀遺構のようなものが見つかった。更には大和ではあまり見たことのない、青銅鏡の割れて半分となったようなものも見つかった。現場は学術的な興奮に包まれた。遥が探していたものなのだろうか? 多くの学芸員や作業員が集まってきて、慎重にその中を掘り進んでいた。そこの場所の発掘は2週間ほどかけて深さ1メートルほど進めたところで、いったん終了し出土品を丁寧に保存する作業に移っていった。
僕は多くの人から、発見の価値を称賛する声をかけてもらったが、心は別の場所にあった。 「……誰も見ていないのか?」 作業員や警備員に尋ねても、僕が見かけたような女性の作業員や関係者はいないという。それどころか、その区域は施錠されており、外部の人間がそんな時間に入れるはずもなかった。
しかし僕は確信していた。あれは空想ではない。遥が、僕を呼んだのだ。 僕はそこで現場を厳重に保存し、発掘した祭祀跡と出土した文物を調査にかける段取りをすべて進めて、僕はもっと大事な事を考え始めた。 それは二十三年間の空白を埋めるため、遥のその後の人生をもう一度本格的に調べることだ。
彼女はこの近くに絶対にいるはずだ。僕はいったん奈良を離れて、本格的に遥のその後を調査し始めた。、その過程で突きつけられたのは、僕の予想を遥かに超えた、残酷で神秘的な事実の断片だった。(続く)
二話に続きます。




