第7話「Fランク、初の単独討伐成功」
めっちゃ頑張ってカクヨムから移植しまくりました…。
左腕の痺れが完全に抜けたのは、翌々日の朝だった。
協会の医務室で「もう潜行していい」と言われて、蒼汰はその足で依頼ボードに向かった。迷わず一枚を引き抜く。
F層・スライム(ミドロ)討伐×5体。報酬2500円。
最初の依頼だ。
第一日目に逃げ帰ってきた、あの依頼とまったく同じものだ。
(戻ってきた)
誰も見ていない。
悠も桜花も今日は別の依頼を入れていた。
一人だ。それでいい。これは一人でやらなければいけない気がした。
受付機にカードをタッチして、F層への階段を下りた。
カビのにおい。オレンジの魔石光。湿った土壁。
(ここから、俺は逃げた)
蒼汰は短剣を握って、通路を歩き始めた。
◆
最初のミドロはすぐに見つかった。
通路の中央をぬるぬると這っている半透明の塊。
体内に赤い核が透けて見える。
体長30センチほど。個体としての強さはほぼない。
Fランクの象徴みたいなモンスターだ。
だというのに。
(……やっぱり少し、嫌な感じがする)
嫌な感じというのは恐怖ではない。
もっと淡い、「ここで俺は情けなかった」という記憶の残滓みたいなものだ。
蒼汰は深呼吸した。
ミドロが蒼汰を感知して、触手を伸ばしながらじわじわと近づいてくる。
のっそりした動きだ。
これに最初は怖気づいていたのかと思うと、少し信じられない。
触手が届く直前、蒼汰は踏み込んだ。
「《影縫い》!」
ミドロの影が床に縫い付けられる。動きが止まる。3秒。
その3秒で短剣を核に押し当てて、砕く。
ミドロが光の粒子になって消えた。
1体目。
(……これだけか)
あの日は1体倒しただけで残り2体に追われて逃げた。
でも今の蒼汰には、逃げる理由がなかった。
痛みへの耐性もついたし、冷静に考える余裕もある。
ミドロ2体が同時に来ても、《影縫い》で1体を止めてもう1体を先に仕留めて、クールタイムの間に距離を取れば対処できる。
(最初からそうすればよかっただけだ。でも最初は、それすら見えていなかった)
◆
2体目、3体目は順調だった。
4体目を探して奥の通路に入ったとき、少し広い空間に出た。
F層の「広間」と呼ばれる区画だ。
複数のミドロが生息しやすい場所で、壁際に3体いた。
個体としてはどれも普通のミドロだが、このうちの一体、一番奥の個体がひときわ大きかった。体長60センチ近く。核が2つある。
(ミドロの変異個体か。F層ではたまに出る、と悠が言っていた)
変異個体は核が2つある分、一度では倒せない。
1つ目の核を砕くと一時的に動きが活発化する厄介な性質がある。
協会の資料では「F層上位」扱いだ。
蒼汰は3体のうち普通の2体を先に処理した。
残るは変異個体1体。
(4体目兼5体目……いや、討伐カウントは2体分か。どちらにしろ、これを倒せば依頼達成だ)
変異個体のミドロは蒼汰を感知して、触手を3本同時に伸ばしてきた。
通常個体より明らかに速い。
1本が蒼汰の右腕をかすめる。
べたっとした粘質の感触が残って、腕が少しだけ動きにくくなった。
(粘液か。動きを鈍らせるタイプ)
蒼汰は下がりながら考えた。
(2つの核。片方を砕いたら動きが活発化する。でも《影縫い》で止めている間に両方砕ければ……いや、3秒で両方は無理だ)
(なら)
頭の中で昨夜試した「影を伸ばす」イメージが浮かんだ。
(影縫いで止めて、その隙に1つ目の核を砕く。活発化する瞬間に、すぐ2回目の影縫いを発動する。クールタイムは5秒。1つ目を砕くのに1秒かければ、残り2秒でクールタイムが明ける計算だ。ギリギリ間に合う)
やってみるしかない。
蒼汰は踏み込んだ。
変異個体が触手を束ねて薙ぎ払ってくる。
右に跳んで避けながら、影を踏む。
「《影縫い》!」
固定。
短剣を1つ目の核に突き刺す。砕ける音。
変異個体の動きが急に激しくなった。
影縫いの固定がわずかに揺らぐ。
(今だ、今すぐ――!)
「《影縫い》、もう一回――!!」
クールタイムが、ちょうど明けた。
2回目の固定が発動する。
変異個体の動きが再び止まる。3秒。
蒼汰は残った2つ目の核を、力を込めて砕いた。
変異個体のミドロが、光の粒子になって消えた。
静寂。
蒼汰は床に膝をついた。
粘液がついた腕が重い。
息が上がっている。
でも。
(……やった!)
討伐数:5体(変異個体含む)。
依頼:達成。
単独。
誰の助けも借りずに。
蒼汰はしばらく、広間の天井を見上げていた。
オレンジの魔石光が揺れている。
モンスターの気配はない。
静かだった。
(最初に逃げたとき、この場所がすごく遠くに感じた。こんな簡単なことすら俺にはできないって思った)
(でも今は)
蒼汰の右手に、うっすらと影が滲んだ。
指先から床に向かって、糸のように細い影が伸びている。
スキルを意識的に発動したわけじゃない。
気持ちが高ぶったとき、自然に出てきた。
影は1メートルほど伸びて、ゆっくりと消えた。
(お前も、俺と一緒に、少しだけ前に進んだのか)
言葉にすると馬鹿みたいだと思った。
でも蒼汰はそう感じた。
◆
協会に戻って報告書を提出すると、朝倉さんが少し目を丸くした。
「単独で5体、変異個体含みで?」
「はい」
「……夜霧くん、少し変わりましたね」
「そうですか」
朝倉さんは判子を押しながら、何か言いたそうな顔をした。それから少し迷って、
「スキル診断、もう一回受けてみますか。最近スキルの成長が確認される時期に、初回から数週間以内に再診断をする冒険者が増えていて」
「再診断、できるんですか」
「非公式なんですが、ADR――深淵研究機構が協力してくれている。特に固有スキルに『判定不能』が出たケースについては、向こうも興味を持っているようで」
(深淵研究機構……業界では名前を聞くが、詳しくは知らない。でも《影縫い》が変わり始めているのは確かだ。専門家に見てもらえるなら)
「お願いします」と蒼汰は答えた。
朝倉さんは「来週の火曜に予約を入れておきます」と言って、報告書をファイルに挟んだ。
蒼汰は受け取った2500円の報酬を財布にしまいながら、帰り道を歩いた。
秋の夕暮れ。人通りの多い渋谷の街。
自分の影が、歩くたびに前後に揺れている。
(最弱のFランク。欠陥スキル。判定不能。笑われた。逃げた)
(でも今日、俺は最初に逃げた場所に戻って、逃げなかった)
(それだけで、今日は十分だ)
信号が赤になって、立ち止まった。
隣に並んだ知らない人の影が、蒼汰の影に少しだけ重なった。
蒼汰はそれを見て、ふと思った。
(影は、重なる。繋がる。伸びる)
(俺の《影縫い》は、まだ始まったばかりだ)
信号が青になった。
蒼汰は一歩、踏み出した。
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