第6話「野本悠、置いてかれる前に」
「最近、橘さんと組んでるの?」
悠が聞いてきたのは、協会のロビーで依頼ボードを眺めているときだった。
蒼汰は「うん」と頷いた。
「昨日今日と一緒にやって、ガズ15体の依頼達成できた」
「ふーん」
悠はそれだけ言って、依頼ボードに視線を戻した。
(……いつもと違う)
蒼汰は少し気になった。
悠の「ふーん」はたいていもう少し軽い。
何かが引っかかったときみたいな、ちょっとだけ低いトーンだった。
「悠、なんか変じゃない?」
「変じゃない」
「なんか……」
「変じゃないって言ってる」
悠は依頼票を一枚引き抜いて、ぱっと蒼汰に背を向けた。
「E層の単独依頼取ったから、先に行くね」とだけ言って、さっさと出口に向かってしまった。
(……単独? 悠が単独で?)
いつもは蒼汰と一緒か、他の同期と組んで潜ることが多い。
悠が単独で潜ったのを、蒼汰は見たことがなかった。
(何かあったのかな?)
蒼汰は少し迷ってから、自分の依頼票を取らずに悠の後を追った。
◆
E層の入り口で悠に追いついた。
「なんでついてくるの」
「心配だから」
「心配しなくていい。私だってEランク相当の実力はある」
「そういう問題じゃなくて」
悠が足を止めて振り返った。
少し怒った顔をしていた。
でも怒りより先に、なんか別の感情が滲んでいる気がした。
蒼汰にはうまく読めなかった。
「……蒼汰は最近、成長してるね」と悠は言った。
唐突な話の切り替えだった。
「え」
「Fランクのくせにガズ長に突っ込んで、橘さんと連携して15体倒して。変わったじゃん、この一週間で」
「そう、かな」
「そうだよ」
悠は少し間を置いた。
(なんで、こんなに胸がもやもやするんだろう、私)
蒼汰には悠の内心は聞こえない。
ただ、悠の横顔がいつもより少しだけ疲れて見えた。
「私はまだ、Eランクのまま。依頼達成数もそんなに変わってない。蒼汰が変わっていく速度に、なんか」
悠はそこで口を閉じた。
言いかけて、止めた。
「……なんかじゃない。なんでもない。行くね」
(悠…)
蒼汰は悠の袖を軽く掴んだ。
悠がびっくりした顔で振り返る。
「一緒に行こう」
「だから心配しなくて」
「俺が悠と一緒に行きたいんだよ。橘さんとも組んだけど、悠とはまだあんまり一緒に戦えてないから。俺の《影縫い》、最近少し変わってきたし、見てほしい」
悠はしばらく黙っていた。
それからふっと、いつものサバサバした顔に戻った。
「……しょうがないな」
袖を掴んでいた蒼汰の手を振り払って、先に階段を下りていく。
蒼汰は少し安心して、その後を追った。
(置いてかれる、とか思ったわけじゃない。全然思ってない)
(ただ、袖を掴まれたとき、少しだけ嬉しかったのは、まあ、黙っておく)
◆
E層の奥、第三区画に差し掛かったとき、おかしな気配があった。
壁際に引っ付くように、何かが這っている音。
固い、鱗のようなものが石畳を擦る音。
悠が小声で「あれ」と言って、通路の角を顎で示した。
蒼汰は覗いて、息を止めた。
体長1メートル強の蜥蜴型モンスターが、壁に張り付いていた。
全身が鉄色の鱗で覆われていて、光を鈍く反射している。
尾の先端が微妙に揺れている。
目は黄色く、縦に裂けた瞳孔が蒼汰たちの方をじっと向いた。
鉄皮蜥蜴だ。
Dランク相当のモンスター。
鱗の硬さは並の短剣では傷つかない。
さらに尾の先端から毒液を飛ばす遠距離攻撃を持つ。
E層の上位区画に稀に迷い込んでくる危険個体で、協会は「発見した場合は無理に戦わず報告すること」と指針を出している。
(Dランク……今の俺たちには早い)
「退こう」と蒼汰は悠に耳打ちした。
悠も頷いた。
二人で静かに後退しようとした、その瞬間。
蒼汰の踏んだ石が、小さくカタンと鳴った。
ダクロの頭が、ぴたりとこちらを向いた。
黄色い目と、視線が合った。
◆
ダクロが跳んだ。
壁を蹴って、天井を経由して、一瞬で距離を詰めてくる。
速いっ!オヤジとは比べ物にならない機動力だ。
悠が咄嗟に風刃を放った。
刃状の風がダクロの鱗を削るが、深くは入らない。
Dランクの鱗は伊達じゃなかった。
ダクロの尾が振れた。
毒液の飛沫が、悠に向かって飛ぶ。
「悠、伏せて!」
蒼汰が悠の前に出た。
盾になれるだけのものは何もない。
でも咄嗟に体が動いた。
毒液が蒼汰の左腕をかすめた。
熱い。
腕の皮膚が焼けるように熱い。
毒か。毒が入ったのか。
痺れが、肘から肩に向かって這い上がってくる。
(痛い……でも、まだ動ける)
ダクロが次の跳躍に移ろうとした。
今度は蒼汰を狙っている。
蒼汰は痺れる左腕を引きずりながら、ダクロの影を見た。
鉄皮の体に比べて影は普通だ。
床に長く伸びている。
(届くか? 3メートル近くある。影縫いの届く距離ギリギリだ)
(でも――昨日、影は「伸ばせた」)
(俺の意志で、影を、もう一歩だけ伸ばせ)
右手を前に突き出して、全神経を影の先端に集中した。
「《影縫い》――!!」
蒼汰の影が、床を這って、一センチ、二センチ、伸びた。ダクロの影の端に、かろうじて触れた。
ダクロの跳躍が、止まった。
3秒。
悠が叫んだ。
「《風刃》、連射!!」
同じ箇所に三連続で風刃が直撃した。
鱗の継ぎ目、首の根元。そこだけ鱗が薄い。三発目が核に届いた。
ダクロが光の粒子になって、弾けた。
静寂。
蒼汰は膝をついた。
左腕の痺れがひどくなっている。
視界がじわりと滲んだ。
「蒼汰!」
悠が駆け寄ってきた。
蒼汰の左腕を掴んで、傷口を見る。
毒の痕が、皮膚に赤く残っていた。
「解毒剤、持ってる?」
「……ポーチに」
悠が素早くポーチを開けて、解毒剤の小瓶を見つけた。
キャップを開けて傷口に当てる。
冷たい感覚が広がって、痺れが少しずつ引いていく。
悠の手が震えていた。
(悠……)
「バカ」と悠は言った。低い声だった。
「なんで前に出るの。盾でもないくせに。死ぬかと思った!」
「悠が毒に当たる方がまずいと思って」
「私の方が反応速度速いかもしれないじゃん!」
「そうかもしれないけど、でも」
「でも、なに!?」
(なんで咄嗟に動いたのか、うまく言えない。ただ悠に当たってほしくなかっただけだ)
「……悠が傷ついてほしくなかった」
悠は手を止めた。
しばらく蒼汰の顔を見ていた。
何かを言いかけて、止めた。また言いかけて、また止めた。
最終的に、
「……馬鹿」
とだけ言って、傷口に解毒剤を押し当てる作業に戻った。
(怒ってる。怒ってるよな)
(でも、悠の手が、さっきより震えてない気がする)
(置いてかれるとか、思ってない。全然思ってない)
(ただ、こいつは、本当に、心臓に悪い)
◆
協会に戻って毒の応急処置を受けながら、蒼汰は朝倉さんにダクロ発見の報告をした。朝倉さんは「よく生きてましたね」と言った。褒め言葉ではなかった。
帰り際、悠が蒼汰の隣に並んで、ぼそっと言った。
「《影縫い》、伸びてたね」
「え」
「さっき、ダクロに届かせたとき。いつもより遠かった。気づいてた?」
蒼汰は少し考えてから「なんとなく」と答えた。
悠は「そっか」と言った。それから少し間を置いて、
「……やっぱり、蒼汰のスキル、面白いと思う」
と言った。
最初に覚醒試験で「きれいだな」と言った蒼汰に、自分が最初に好意を持ったのは、そういう理由だったと悠は思い出していた。でもそれは黙っておく。まだ、言わなくていい。
二人で夕暮れの渋谷を歩いた。
いつも通りの、ただの帰り道だった。
(悠が隣にいると、なんか落ち着く)
(ずっと、こういう感じでいられたらいいな)
蒼汰は左腕の痺れが完全に引いたのを確認しながら、そんなことを思っていた。




