第4話「欠陥スキルの、本当の名前」
帰り道がしんどかった。
横腹をガズに殴られた箇所が、歩くたびに鈍く痛む。
肋骨は折れていないと思いたいが、自信はない。
悠に「病院行けば」と言われたが、今月の財布事情では難しかった。痛み止めだけコンビニで買って、部屋に戻った。
飯を食って、シャワーを浴びて、横になった。
天井を見る。
(逃げなかった。今日は逃げなかった)
それだけで、今日は十分な気がした。
討伐数は5体。ガズ長オヤジも含めれば実質6体。
依頼達成は桜花の助けがあってのことで、一人だったら無理だっただろう。
でも昨日の蒼汰と比べれば、確実に前に進んでいた。
(足りない。でも、足りないなりに、一歩進んだ)
電気を消す前に、壁に手をかざした。
オレンジの常夜灯に照らされて、自分の影が壁に映る。
影縫い、と念じた。
影がぴたりと止まる。
蒼汰が手を動かしても、壁の影だけが静止している。3秒。
(昨日、端が剥がれかけた。今日も、できるか?)
集中する。
スキルを発動したまま、影の「端」に意識を向ける。
縫い止めるんじゃなく、引き伸ばすイメージで。
糸をほどくんじゃなく、糸をもう一本、伸ばすイメージで。
3秒が経過して、影が追いかけてくる。
また発動。また集中。また3秒。
十回繰り返した頃だった。
◆
影が、動いた。
蒼汰の意志に引っ張られるように、固定されたはずの影の端が、にじむように一センチだけ伸びた。
蒼汰の手は動かしていない。
スキルで縫い止めているはずの影が、蒼汰が「伸びろ」と念じた方向へ、わずかに形を変えた。
(……嘘だろ)
心臓が速くなった。
もう一度。
今度はもっとはっきり「伸びろ」と念じながら発動する。
影の端が、二センチ動いた。
固定するだけじゃない。
縫い止めるだけじゃない。
――この影は、俺の意志で、動かせる。
蒼汰はしばらく壁の影を見つめたまま、動けなかった。
(《影縫い》。影を縫い止める、じゃなくて)
(影を、縫う。針で布を縫うみたいに、影を自在に扱う、ってことじゃないのか)
欠陥スキルと言われた。
前例がないと言われた。
成長可能性「判定不能」と書かれた。
でも今、蒼汰の指先から伸びた影が、まるで糸のように、壁の上を這っていた。
(これが……お前の本当の名前か)
痛み止めが効いてきたのか、横腹の痛みがだいぶ引いていた。
蒼汰はそのまま気づかないうちに眠っていた。
手の影が、壁の上でゆっくりと消えるまで、誰も見ていなかった。
◆
翌朝、協会に行くと桜花がいた。
ロビーの隅、依頼ボードの前に腕を組んで立っていて、蒼汰が入ってきた瞬間にまっすぐこちらを見た。
(待ってたのか?)
そんなわけはないと思った。たまたまだろう。
蒼汰は軽く会釈して依頼ボードに向かおうとした。
「夜霧」
名前を呼ばれた。
驚いて振り向く。
昨日名乗っただけなのに、ちゃんと覚えていてくれたらしい。
「一つ聞いていい?」
「……なんですか?」
桜花は少し間を置いた。
視線が蒼汰の横腹の辺りをちらっと見て、また顔に戻った。
「昨日、なんで逃げなかったの?」
(ああ、そこか)
蒼汰は少し考えてから、正直に答えた。
「逃げるつもりでした。でも、ある人に言われたことがあって」
「何を?」
「生きてるうちに強くなれ、って」
桜花はしばらく黙っていた。
蒼汰の顔をじっと見ていた。
値踏みするような目ではなく、今度は少し違う、何かを確かめるような目だった。
「……その人、誰?」
「霧島澪さんです」
桜花の目が、わずかに丸くなった。
「霧島さん、知ってますか?」と蒼汰が聞くと、桜花はそっぽを向いて「知ってる」とだけ言ってそれ以上は話さなかった。
(橘さんも、霧島さんを知ってるのか。そりゃそうか。Sランクだもんな)
◆
沈黙が続いて、少し気まずくなってきた頃、桜花が依頼ボードに向き直った。
何枚か依頼票を眺めてから、一枚引き抜いて蒼汰に差し出した。
「E層・ガズ討伐×15体」の依頼票だった。
蒼汰は思わず桜花の顔を見た。
「組む?」と蒼汰が言うと、桜花はちょっと間を置いてから、
「一人だと達成数が足りないだけ」
と素っ気なく答えた。
(そうか。それだけの話か)
蒼汰は依頼票を受け取った。
(それだけの話、なんだよな)
桜花はもう蒼汰を見ていなかった。
装備を確認しながら出口に向かっている。
蒼汰はその後ろ姿を一秒だけ見てから、慌てて並んで歩いた。
協会のガラス戸が開いて、秋の朝の空気が入ってきた。
横並びに歩きながら、蒼汰はなんとなく言った。
「昨日、助けてくれてありがとうございました!」
桜花は前を向いたまま、少し間を置いて、
「別に…。」
とだけ答えた。
(耳が赤い気がする。気のせいかな)
(まあ、気のせいだろう)
蒼汰は横腹の鈍痛を確認しながら、今日も《深淵》に向かって歩いた。
昨夜、動いた影のことを思い出した。
(欠陥スキルの、本当の名前)
(まだわからない。でも、絶対にある)
空は秋晴れで、蒼汰の影が地面に長く伸びていた。
その影の端が、風もないのに、かすかに揺れた。




