第3話「暴走する群れと、逃げない理由」
E層《深淵》の入り口は、渋谷駅から徒歩八分の路地裏にあった。
普通のシャッター街に見えるが、突き当たりの錆びた扉を開けると、そこから地下へ続く石造りの階段が現れる。入口脇には「E層・協会管理区域」という青い看板がかかっており、受付機に冒険者カードをタッチすれば潜行記録が自動で残る仕組みだ。
蒼汰と悠は並んでカードをタッチして、階段を下りた。
「ガズ10体ね」と悠が手元の依頼票を見ながら言った。
「私が遠距離で削って、蒼汰が《影縫い》で止めて仕留める。でいい?」
「それ……俺が仕留める部分、できるかな…」
「やるしかないじゃん」
(正論すぎる)
E層の空気はF層より少し重い。
天井が高くなった分、奥行きの感覚が変わって、暗さの質が違う。
足元の魔石光が青白く、F層のオレンジより冷たい雰囲気だ。
(落ち着け。昨日と今日は違う。今日は逃げない)
蒼汰は短剣を握って、自分の影を一度だけ見た。
ぴったりと床に貼り付いている、自分の影。
(お前に頼むぞ)
◆
最初の5体は、順調だった。
悠の《風刃》が遠距離から1体のガズの動きを乱し、蒼汰が走り込んで影縫いを発動。3秒の拘束の間に短剣を核に当てて討伐。それを繰り返した。
連携は不格好だったが、成立はしていた。
(できる。ちゃんと、できる!)
5体目を倒した時点で、蒼汰の息は上がっていた。
慣れない戦闘で体力が思ったより削られている。
悠は「ペース配分して」と言った。
蒼汰は「わかった」と答えて、少し立ち止まって深呼吸した。
そのときだった。
通路の奥から、足音が来た。
一つじゃない。二つでも三つでもない。ぞろぞろと、複数の気配が近づいてくる音。
悠が「え」と言った。蒼汰も「え」と思った。
角を曲がって現れたのは、ガズが十二体だった。
しかも先頭に、見たことがない個体がいた。
通常のガズより頭一つ大きい。
体の傷が多く、古い。
目の色が濁った黄金色で、知性の光が宿っている。
首から下げているのは、小さな骨のかけら。
群れを束ねる証の、ガズ長だ。
(ガズ長……E層の中でもランク上位の個体じゃないか)
背中が冷えた。
昨日のガズ8体すら、霧島澪が一人でいなければ死んでいたのに。今は霧島澪がいない。いるのは悠と、最弱の自分だ。
(逃げるか?)
(逃げるか、逃げるか、逃げるか――)
脚が動こうとした。本能が「逃げろっ!」と叫んだ。
でも。
(生きてるうちに強くなりな)
その声が、頭の中に響いた。
(今日は逃げない、って、決めたんだろうがっ!)
蒼汰は足を止めた。
◆
「悠、下がって!」
「は? 蒼汰、無理だって、数が――」
「下がってくれ。後ろから援護だけしてほしい」
悠は一瞬黙った。蒼汰の顔を見た。
それから短く「……わかった」と言って、三歩下がった。
(ありがとう、悠)
蒼汰は正面のガズ長・オヤジを見据えた。オヤジはゆっくりと前に出てきた。取り巻きのガズたちが左右に広がる。包囲しようとしている。知能がある行動だ。
(3秒。《影縫い》の固定時間は3秒だ。クールタイムは5秒)
(オヤジ1体に使えば、残りの11体は動き続ける。でもオヤジを仕留めれば群れが乱れるかもしれない)
蒼汰は走り出した。
オヤジが迎撃のために腕を振り上げる。その影が、床に長く伸びている。
蒼汰は距離を詰めながら叫んだ。
「《影縫い》!!」
オヤジの影が、ぴたりと止まった。
同時に、オヤジ本体の動きが拘束される。3秒。3秒だけ。
蒼汰は全力で踏み込んで、短剣をオヤジの核に向けて突き出した。
――刺さった。
核が砕ける音がして、オヤジが光の粒子に変わる瞬間、取り巻きの1体が蒼汰の横腹に腕を叩き込んだ。
痛い。
痛い痛い痛い痛い――!
肋骨が軋む音がした気がした。
吹き飛んで壁に叩きつけられた。
視界が白くなって、息が出てこない。
(立て……立てよ、俺っ!)
群れが乱れていた。オヤジを失ったガズたちが、方向を失ってざわめいている。でも完全に崩れてはいない。残り11体。いくつかはまだ蒼汰に向かってくる。
悠の《風刃》が連続で飛んで、3体の動きが乱れる。
(立て……! まだ終わってない!)
蒼汰は壁を背に立ち上がった。横腹が燃えるように痛い。短剣を握る手が震えている。でも立った。
そのとき。
通路の向こうから、何かが飛んできた。
炎だった。
小さな炎の塊が、ガズの1体に直撃して、弾けた。ガズが吹き飛んで光の粒子になる。続けて二発、三発。炎の連射。
通路の奥に、人影があった。
小柄な体格。オレンジがかった茶色のショートボブ。緑色の目。両手に炎を纏わせた少女が、蒼汰と悠を一瞥して、残ったガズの群れに向き直った。
「なんか、やばそうなの聞こえたから」
低い声で、素っ気なく言った。
「炎拳!」
踏み込んで、ガズの核を一撃で砕いた。残りのガズが散り始める。悠の風刃と少女の炎拳が連続して飛んで、あっという間に群れが崩壊した。
気づけば、通路には蒼汰と悠と、その少女だけが残っていた。
◆
少女は蒼汰を見下ろした。蒼汰は壁にもたれてへたり込んでいた。
「怪我してる」
「……大丈夫です」
「大丈夫そうに見えない」
しばらく沈黙があって、少女はそっぽを向いた。
「ガズ長に突っ込んだの、あんた?」
「……はい」
「馬鹿じゃないの」
「ですよね」
「でも仕留めた」
(それだけ言って、少女は黙った)
悠が「橘さんじゃん」と言った。
少女と知り合いらしい。
少女、橘桜花は「野本か」と短く返した。
桜花はもう一度蒼汰を見た。どこか値踏みするような目だった。
「名前は?」
「夜霧蒼汰です」
「スキルは?」
「《影縫い》。影を3秒固定します」
桜花は少し眉を動かした。何かを考えているように見えた。
「ふーん」
それだけ言って、桜花は踵を返して歩き出した。
(なんだ、あの子)
蒼汰は横腹を押さえながら、桜花の後ろ姿を見ていた。
炎の使い手。小柄なのに爆発的な力がある。
そして、なぜか「馬鹿じゃないの」と言いながら、「でも仕留めた」とも言った。
(あの子は今、どんな気持ちで俺を見ていたんだろう)
蒼汰には気づかなかった。
桜花が廊下の角を曲がる直前、一度だけ振り返って、蒼汰の方を見ていたことに。
そしてその目が、怒りでも軽蔑でもなく、どこか――安堵に近い色をしていたことにも。




