閑話1「あいつのことが、心配なわけじゃない」― 野本悠の独り言
悠は協会の自販機の前で、缶コーヒーを買うかどうか三分迷った末に買わなかった。財布の中身は今月も豊かではない。
代わりに水を買って、ロビーの隅に立って飲んだ。
(蒼汰のやつ、今日はもう来てるかな)
昨日、あいつの目を見て驚いた。
いつもの暗い目じゃなかった。
何か刺さったものがある目だった。
ああいう目をしてる人間は、たいてい何か変わる前兆だ。
悠はそれを、自分の経験から知っていた。
蒼汰と知り合ったのは覚醒試験の日だ。
悠がスキルを発動させた瞬間、隣にいた背の低い男がぽつりと呟いた。
「きれいだな、その風」
悠のスキル《風刃》が初めて出たときのことだ。
刃のような風が発生して、正直うまくコントロールできなかった。
試験官に「もう少し絞れ」と言われたくらいだ。
なのにそいつは「きれいだな」と言った。
悠は少しだけ嬉しかった。
それが夜霧蒼汰で、直後に本人のスキルが発動して「影を3秒固定? 欠陥じゃない?」と周りが笑い始めた。
蒼汰は笑われている間、ずっと自分のスキル診断書を見つめていた。
悔しがるでも泣くでもなく、ただ静かに見ていた。
(なんか、気になる奴だと思った。それだけだ)
悠は水を一口飲んだ。
(心配してるわけじゃない)
(ただ、あいつが「俺のスキルの可能性は俺が証明する」みたいなことを言うとは思わなかっただけで)
昨日、協会からの帰り道に蒼汰から報告を受けた。
朝倉さんに「判定不能」と言われたこと、それでも続けると答えたこと。
悠は「ふーん」と言った。
内心では、胸のあたりが少しだけあたたかくなった。
それには気づかないふりをした。
◆
悠のスキル《風刃》は、正直そこまで特別じゃない。
風属性の攻撃系スキルは持っている冒険者が多いし、悠のそれは特に威力が高いわけでも、射程が長いわけでもない。「平均的な支援型」と協会のランク評価票には書かれていた。
だから悠はわかる。
「普通」と言われることの、じわじわした重さが。
(蒼汰は欠陥と言われてた。私は平均と言われた。どっちがましかなんてわからない)
でも蒼汰は、諦めなかった。
悠はそれが、なんとなく羨ましかった。
自分には「諦めない理由」がまだ、霧島澪みたいな形で現れていないから。
(いつか私にも、そういう出会いがあるのかな)
そんなことを考えていたら、ガラス戸が開いて蒼汰が入ってきた。
眠そうな顔で、でも昨日よりちょっと背筋が伸びている気がした。
悠は何も言わずに蒼汰の隣に並んで、依頼ボードに目を向けた。
「今日も潜るの?」
「うん」と蒼汰は答えた。
「一緒に行く」と悠は言った。
「え、いいの?」
「暇だから」
(暇じゃないけど)
(まあ、今日くらいは、いいか)
悠は依頼ボードから「E層・ゴブリン(ガズ)討伐×10体」の依頼票を引き抜いて蒼汰に差し出した。蒼汰は一瞬驚いた顔をして、それから「ありがとう」と静かに言った。
その「ありがとう」が、少し照れくさかった。
(別に、心配してるわけじゃない。本当に)
でも悠の足は、蒼汰と並んで出口に向かっていた。




