第2話「欠陥スキルと笑われた俺が、それでも諦めない理由」
翌朝、蒼汰は協会に来ていた。
JAG冒険者協会・渋谷支部の一階は、朝からそこそこ混んでいる。
ランクアップの申請をする者、依頼ボードを眺める者、仲間を探している者。
蒼汰はその端っこで、細長い椅子に背中を丸めて座っていた。
手の中にあるのは、昨日貰ったままの「討伐報告書」だ。記入欄に書かれた数字はみじめなほど小さい。
スライム(ミドロ)討伐数:1体
(1体。たった1体)
報酬は500円だった。
帰り道にコンビニで缶コーヒーを買ったら残高は280円になった。
交通費の方が高い。
(俺、向いてないのかもしれない。冒険者)
自分でもわかってはいた。
ただ、昨夜から頭の中に繰り返し浮かぶ光景があって、それが諦めの言葉を踏み止まらせていた。
白いコート。長い黒髪。
たった3秒で8体のモンスターを消し飛ばした剣閃。
そして――
「生きてるうちに強くなりな」
(……あの人は、どうやって、あんなふうになったんだろう)
◆
「蒼汰〜。また底辺報告書書いてるじゃん」
声とともに、隣にどかっと座ってくる人間がいた。
野本悠だ。
茶色のショートヘアに、くりっとした目。
サバサバした話し方と、遠慮のない言動が特徴の同期だ。
「……うるさい」
「1体って何。スライム1体。それで今日終わりにしたの?」
「……追いかけられたんだよ。ガズに」
「ガズに? F層に迷い込んでたの? それとも蒼汰が迷い込んだの?」
蒼汰は黙って報告書に判を押した。
悠はそれをちらっと見て、はあ、と息をついた。
「《影縫い》、また使えなかった?」
「……1体には使えた。2体目の前に逃げた」
「惜しい、とは言わない。でも最悪でもない、かな」
(悠はいつもこういう言い方をする。慰めでも煽りでもなく、ただ事実を言う)
蒼汰が黙っていると、悠は腕を組んで少し考える顔をした。
「ねえ、昨日何かあった? 目が違う」
「目?」
「なんか……燃えてる感じがする。いつもの『どうせ俺なんか』オーラじゃない」
(バレた)
蒼汰は少し迷ってから、昨日のことを話した。
ガズに囲まれたこと。白いコートの女性が現れたこと。
「生きてるうちに強くなりな」と言われたこと。
悠は目を丸くした。
「……霧島澪?」
「知ってるの?」
「知ってるも何も、Sランク上位だよ。業界では最強格って言われてる人。私でも名前知ってる」
そう言ってから悠は少し首を傾けた。
「その人に助けられたんだ」
「……うん」
「悔しかった?」
(悔しい。悔しいに決まってる。でもそれだけじゃなかった)
「悔しかった。でも……もっと、追いつきたいって思った」
悠はしばらく蒼汰を見ていた。
それからふっと、珍しく柔らかい顔をした。
「そっか。じゃあ頑張れば」
「……それだけ?」
「それだけ。応援してるから。ただし死ぬなよ」
(悠らしい)
蒼汰は口元が少し緩むのを感じた。
◆
受付に報告書を提出しようと列に並んでいると、後ろから声がかかった。
「Fランクか」
振り返る。
黒瀬慧が立っていた。
同期のエリートだ。
金髪、青目、高身長。覚醒試験で《光刃》を得て、すでにEランクに昇格している。整った顔には常に余裕の色があって、蒼汰はこの男が苦手だった。
「何?」
「いや、報告書を見ただけだ。スライム1体。随分と……のんびりしてるな」
嘲りの色はあまりなかった。どちらかというと、純粋に不思議そうな顔だ。
「《影縫い》だったか。影を固定する、だったかな」
「そうだよ」
「使い道が見えないな」
(知ってる。俺も毎日そう思ってる)
「3秒固定できれば十分じゃないか」と蒼汰は言った。自分でも、少し強がった言い方だとわかっていた。
黒瀬は一瞬だけ考えるような顔をしてから、
「……まあ、使い方次第、かもな」
と言って列の前に視線を戻した。それきり話しかけてこなかった。
(使い方次第? 黒瀬が、そんなことを言うのか)
蒼汰は少し意外だった。もっとバカにされると思っていた。
◆
報告書の提出が終わると、受付の職員に呼び止められた。
名前は朝倉健司、三十代半ばで眼鏡をかけた温厚そうな男だ。
蒼汰がここに登録して以来、ずっと担当してくれている職員で、いつも少し申し訳なさそうな顔をしている。
「夜霧くん、少し時間あるかな?」
カウンターの内側に通されて、向かい合って座った。
朝倉はファイルを開いて、蒼汰の「スキル診断結果」を見せた。
固有スキル:《影縫い(シャドウステッチ)》
現在ランク:F
特性評価:「対象の影を最大3秒固定する。発動条件:術者の影と対象の影が接触すること」
成長可能性:判定不能
最後の行を見た瞬間、蒼汰の心に何かが落ちた。
(判定不能。つまり、成長するかどうかもわからないってことだ)
「……成長可能性が判定不能って、どういうことですか?」
朝倉は少し言いよどんでから、
「正直に言う。前例がないスキルなんだ。影を縫い止めるという概念自体、過去の覚醒者データベースに類似例がない。つまり……どう育てばいいか、協会にもわからない」
(そうか。俺のスキルは、誰にも使い方がわからないのか)
でも。
(……待って)
(前例がない、ということは)
(まだ、誰もこのスキルの可能性を証明していないってことだ)
「夜霧くん」と朝倉が続けた。「辛かったら、転職という選択肢も――」
「いいえ」
蒼汰は静かに言った。思ったより落ち着いた声が出た。
「続けます」
朝倉は驚いた顔をした。
蒼汰はスキル診断書をじっと見てから、もう一度言った。
「俺のスキルの可能性は、俺が証明します」
(かっこいいことを言った。でも本気だった)
(霧島さんが言ったんだ。生きてるうちに強くなれ、って)
(ならまだ、死んでいない。まだ間に合う)
◆
その日の夜、蒼汰は部屋の壁に自分の影を映して、《影縫い》を何度も発動した。
自分の影が3秒間、ぴたりと止まる。
手を動かしても、影だけが動かない。
3秒経てば追いかけてくる。
何度も、何度も。
(3秒。この3秒に、どんな意味がある?)
(相手を止める。でも俺の攻撃力がなければ意味がない)
(じゃあ、もっと長く止められたら? もっと遠くから止められたら? 影以外のものを止められたら?)
考えていたら夜中の2時になっていた。
部屋の電気を消して横になっても、眠れなかった。
天井に映る自分の影を見上げながら、蒼汰は静かに思った。
(俺はまだ、このスキルの一割も使えていないんじゃないか)
根拠はなかった。
でも、確信があった。
(絶対に、まだ何かある)
《影縫い》が、蒼汰の指先でかすかに揺れた。
壁の影が、一瞬だけ、縫い止められた糸のように細かく震えた。
気のせいかもしれない。でも蒼汰は確かに見た。
影の、端っこが、剥がれかけていた。




