第18話「《影縫い》が突然強化――影の鎖が生まれた」
魔力回路の鍛錬というのは、地味な作業だった。
槙に聞いたら「スキルを使い続けろ。ただし枯渇する手前で止めろ。限界の八割くらいで止めて、回復させて、また使う。それを毎日繰り返す。筋トレと同じだ」と言われた。
要するに、日々の積み重ねしかない。
蒼汰はその日から、訓練の合間に「魔力の残量感覚」を覚える練習を始めた。
《影縫い》を発動して、今どのくらい消耗しているかを体で把握するための練習だ。これが思いのほか難しかった。
魔力の残量は目に見えないし、計器もない。
自分の感覚だけが頼りだ。
(昨日は七割くらいで止めた。今日はもう少し正確に把握できるか)
朝の訓練を終えた後、槙が帰ってから、蒼汰は部屋で一人で練習を続けていた。
影を伸ばす。剥がす。形を変える。
これを何度も繰り返しながら、体の中の「魔力の水位」を意識する。
じわじわと下がっていく感覚を、なんとか掴もうとする。
三十分ほどたった頃、蒼汰は「今日は七割五分くらいか」と判断して手を止めた。
少し休もうとして、床に座った。
その瞬間だった。
◆
指先が、痺れた。
痛みではない。
電気が走るような、ぴりっとした感覚だ。
右手の人差し指から中指にかけて。
(なんだ? 魔力が過負荷になったのか?)
でも魔力の水位は、さっき七割五分と判断した。
限界ではないはずだ。
蒼汰は右手を前にかざした。
指先から、影が出ていた。
いつもの「剥がした影」ではない。
もっと細くて、もっと長い。
糸のような影が、人差し指から中指の先端にかけて、三本同時に伸びていた。
長さは三十センチほど。
床にも壁にも触れていない。
空中に、ただ浮いている。
蒼汰は息を止めた。
(……これは)
三本の糸状の影が、蒼汰の視線に反応するように少しだけ動いた。
ゆらゆらと、まるで水の中の藻のように揺れている。
(意識に反応してる?)
蒼汰は「束ねろ」とイメージした。
三本の影が、ゆっくりと絡み合った。
撚り合わさって、一本の太い束になった。
長さは変わらないが、密度が増した。
(鎖……みたいだ)
確かに鎖に似ていた。
影が絡み合って、均等な節目を持った一本の帯になっていた。
触ってみると、指を押し返す感触があった。
固くはないが、柔らかくもない。
影の質感そのものだが、密度が高い。
蒼汰は「伸びろ」とイメージした。
影の鎖が伸びた。
三十センチから五十センチ。
七十センチ。一メートル。
(さっきまでの「剥がした影」は五秒で霧散した。これはどうだ)
十秒。二十秒。三十秒。
消えない。
影の鎖が、蒼汰の指先から一メートル伸びたまま、空中に浮いていた。
霧散する気配がない。
揺れているが、消えない。
《影縫い》が、進化していた。
「固定する」「伸ばす」「剥がす」の次の段階。
影を「生成する」――自分の体から直接、影そのものを作り出す能力が、芽生えていた。
(……お前、また変わったのか)
蒼汰は思わず声に出した。
「また変わったのか、お前」
誰もいない部屋に、自分の声が響いた。
少し恥ずかしかったが、それ以上に嬉しかった。
影の鎖を左手で掴んでみると、するりと手の中をすり抜けた。
物理的なものではない。
でも「縫い止める」ことはできそうな気がした。
(これを相手に巻きつけたら)
(足だけじゃなく、体全体を縫い止められる?)
可能性が、また広がった気がした。
◆
翌朝、槙に報告した。
公園の朝訓練が終わった後、蒼汰は「実は昨日、こんなことが」と言って影の鎖を出して見せた。指先から糸状の影が三本伸びて、絡み合って鎖になる。槙はそれを腕を組んで見ていた。
「なるほど」と槙は言った。
「生成か」
「生成?」
「スキルの段階で言うと、最初が『固定』、次が『延長』、その次が『生成』だ。影を外から操るんじゃなく、自分で作り出せるようになった。大きな一歩だ」
(固定→延長→生成。槙さんはこの進化の構造を知っていたのか)
「槙さん、《影縫い》について詳しいんですか?」
「詳しくはない。ただ、スキルの成長段階は大抵こういう流れをたどる。固定系のスキルが生成に至るのは、比較的珍しいが」
槙は影の鎖を見たまま、少し考えた。
「試してみろ」と槙は言って、右腕を差し出した。
「その鎖で俺の腕を縛ってみろ。どのくらい拘束力があるか見てみる」
(……槙さんで試すのか…?)
「本当に縛っていいんですか?」
「遠慮なくやれ。俺が本気で抵抗すれば、今のお前の鎖なんて一秒で引き千切れる」
(それはそれで凹む言い方だな)
蒼汰は影の鎖を伸ばして、槙の右腕に巻きつけた。
鎖が腕に触れた瞬間、《影縫い》の「縫い止め」が発動した。
槙の腕の動きが、ぴたりと止まった。
槙が腕を動かそうとした。
鎖が、三秒間、それを阻んだ。
三秒後に鎖が解けると、槙は腕を自由に動かした。
特に困った顔はしていない。
「思ったより効く」と槙は言った。
「足だけ固定するより、腕ごと縛った方が動きを封じやすい。応用次第では、これは使える」
(使える、と槙さんに言われた)
(欠陥スキルが、少しずつ「使えるスキル」になってきている)
「ただし」と槙は続けた。
「今は三秒しか持たない。鎖の太さが細いから、俺が本気で引っ張れば今でも引き千切れる。鎖を太くするか、本数を増やすか、維持時間を延ばすか。次の課題はそこだ」
「わかりました」と蒼汰は答えた。
槙は缶コーヒーを一口飲んで、少し黙った。
それから蒼汰を見た。
「昨日の試験、不合格だったな」
「はい。魔力が枯渇して」
「それは俺のせいでもある。訓練量が多すぎた。すまなかった」
(槙さんが謝った。珍しい)
「俺が練習しすぎたんです。槙さんのせいじゃないです」
「俺が管理すべきだった。それはそうだ」と槙は言った。
「でもお前がスキルなしでダクロを倒したことは、悪くなかった。試験としては失格だが、お前自身の成長としては、意味があった」
(槙さんも、知っていたのか。ダクロを倒したことを)
「どこで知ったんですか?」
「瀬戸から聞いた。あいつは昔の仲間だ」
蒼汰は少し驚いた。
試験官の瀬戸と槙が繋がっていたとは思わなかった。
「瀬戸が言ってたぞ。『スキルなしで戦える奴を久しぶりに見た』って」
(……瀬戸さんが、そんなことを)
蒼汰は少しだけ、目が熱くなった。泣きはしなかった。
でも胸の奥に何かがこみ上げてきた。
「次の試験は来週に申し込んでおいた」と槙は続けた。
「今度は魔力の管理を徹底した上で受けろ。合格できる」
「はい」と蒼汰は答えた。
槙は立ち上がって、ジャケットを払った。
「今日の訓練は終わりだ。残りの時間で鎖の練習をしろ。ただし魔力は七割で止めろ。それ以上使うな」
「わかりました」
槙は公園の出口に向かいながら、振り返らずに言った。
「……悪くないぞ、夜霧」
蒼汰は「ありがとうございます」と言った。
槙はもう振り返らなかった。
(槙さんに「悪くない」と言われた。それがこんなに嬉しいとは思わなかった)
朝の公園に、蒼汰一人が残った。
指先から影の鎖を出して、朝の空気の中で揺らした。
細くて、まだ三秒しか持たない鎖だ。
でも昨日まではなかったものだ。
(鎖を太くする。本数を増やす。維持時間を延ばす)
(課題が増えた。でも課題があるということは、まだ伸びしろがあるということだ)
影の鎖が、朝日を受けて少し光った。
影なのに、光った気がした。
蒼汰はそれを見て、少しだけ笑った。
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