第17話「霧島澪の昔話を、俺は立ち聞きした」
魔力回路の回復には、丸一日かかった。
槙に「今日は訓練なし。体が先だ」と言われて、蒼汰は午前中を協会のカフェスペースで潰していた。温かいコーヒーを一杯だけ買って、窓際の席に座った。
スマホを見る気にもなれなかった。
ただぼんやりと外を眺めていた。
(魔力回路の鍛錬。スキルの消費量把握。やることは増えた)
(でも今日は、何もしない)
隣のテーブルで、二人の冒険者が話していた。
蒼汰は最初、気にしていなかった。
蒼汰の右隣の席に、四十代くらいの大柄な男と、三十代らしき赤髪の女性が向かい合って座っていた。
冒険者の装備を持っているが、今は依頼帰りで寛いでいる雰囲気だ。
蒼汰は窓の外を見ながらコーヒーを飲んでいた。
「そういえば」と大柄な男が言った。
「最近また霧島さんを見かけたぞ。C層で単独潜行してた」
(霧島……さん?)
思わず耳が向いた。
「C層? Sランクがそんな浅い層で何してんの」と女性が言った。
「さあな。でも霧島さんは昔からああいうとこあるだろ。浅い層でも丁寧にやる。下積みを大事にするというか」
「まあね。あの人は元々そういう人だし」
蒼汰はコーヒーカップを持ったまま、動けなくなっていた。
「元々ってどういう意味」と大柄な男が聞いた。
女性が少し声を落とした。
蒼汰はわずかに体を傾けた。
聞くつもりはなかった。
でも耳が塞げなかった。
◆
「あの人、昔は今と全然違ったらしいよ」と女性は言った。
「今みたいにクールで一人でやってるタイプじゃなくて、チームで動く人だったって。仲間思いで、面倒見が良くて」
「知ってる。四人パーティだったろ。確かBランク相当のチームで」
「そう。でも……あの事故で」
女性の声が、少し低くなった。
「四年前の深淵崩落事故。C層で突然《深淵》の構造が崩れて、区画が丸ごと封鎖された。中にいたパーティが五組くらい」
「霧島さんのチームも」
「全員、助からなかった。霧島さん一人だけが出口近くにいたから生き残った。本人が一番自分を責めてたって聞いたよ。しばらく冒険者辞めようとしてたって話もある」
(……知らなかった)
蒼汰はコーヒーカップをテーブルに置いた。
音を立てないように、ゆっくりと。
(霧島さんは、チームを失っていたのか。四年前に)
(だから一人で動くのか。一人の方が、誰かを失わなくて済むから)
男が「でもSランクまで上がったんだから、立ち直ったんだろ」と言った。
「立ち直ったというか……別の人間になった、って感じかな。昔を知ってる人はそう言ってた。仲間を作らない代わりに、誰よりも強くなろうとした、って」
「なんか……重いな」
「うん。だからあの人、強いのにどこか孤独そうだよね。見てると」
二人はそれきり別の話題に移っていった。
依頼の報告がどうとか、次の潜行がどうとか。
普通の雑談に戻っていった。
蒼汰はしばらく動けなかった。
◆
外が見えなくなっていた。
窓ガラスに映っているのは、カフェの内側の景色だ。
蒼汰自身の顔も、うっすらと映っている。
(四年前。深淵崩落事故。チームを全員失った)
(霧島さんが「生きてるうちに強くなれ」と言ったのは……ああいう過去があったからなのか)
蒼汰は最初に澪に会ったときの場面を思い出した。
ガズに囲まれて、死を覚悟していた自分。
嵐のように現れて、たった四秒で全てを片付けた女性。
「生きてるうちに強くなれ」という一言を残して消えた白いコート。
(あの言葉は……霧島さん自身への言葉でもあったのかもしれない)
(仲間を失って、それでも強くなろうとした人が、俺に言った言葉だ)
胸の奥に何かが落ちた。さっきより重くて、さっきより熱いものが。
(俺は、なんとなく憧れていた)
(強くてかっこよくて、俺より全然上にいる人だから、追いつきたいと思っていた)
(でも今は、違う気がする)
(霧島さんは、俺が知らないところで、すごく重いものを抱えながら、それでも前を向いてる人だ)
(そういう人の背中に追いつきたい。それは、もっと真剣なことだ)
コーヒーが冷めていた。
蒼汰は一口飲んだ。
苦かった、でも飲んだ。
◆
カフェを出て、協会のロビーを歩いていたとき、掲示板の前で足が止まった。
Sランク冒険者の活動記録が貼り出される小さなコーナーがある。
協会が広報目的で更新しているもので、普段は素通りしていた。
今日は一枚だけ新しい紙が貼られていた。
「先月の月間最多討伐:霧島澪(Sランク)」
写真はなかった。
名前と数字だけだった。
(月間最多討伐。数字は書いていない。でも単独でSランクがこの記録を持っているということの意味は、今の俺には想像もできない))
蒼汰はその紙をしばらく見ていた。名前だけ見ていた。
(霧島澪)
(あなたは何を背負って、今日も潜っているんですか?)
答えは聞こえなかった。
当たり前だ。
ここにいるのは蒼汰一人で、紙に書かれているのは名前だけだ。
でも蒼汰の中で、何かがはっきりした。
「追いつきたい」という気持ちが、変わった。
憧れから、何か別のものに。
うまく言葉にできないが、強いて言うなら――
「追いつくことで、あの人に何かを返したい」
そういう気持ちに、なっていた。
蒼汰にはまだ、霧島澪が何を失ったのかも、何を抱えているのかも、正確にはわからない。
でも、弱い俺が強くなることが、あの人への返答になる気がした。
なんの根拠もない、ただの感覚だった。
でも確かだった。
◆
その夜、蒼汰は部屋のメモ用紙に一行だけ書いた。
「魔力回路の鍛錬法を槙さんに聞く。スキルの消費量を毎日記録する」
それだけだった。
大げさなことは何も書かなかった。
ペンを置いて、天井を見た。
(霧島さんは今日も潜っているんだろう。浅い層を、一人で、丁寧に)
(俺は今日、試験に落ちた。魔力を使い果たして、スキルなしでダクロを倒した)
(どっちが上かなんて、比べるまでもない。でも)
(俺は今日、何かを掴んだ気がする)
窓の外から、秋の風の音がした。
蒼汰の影が、常夜灯の光に照らされて天井に伸びていた。
魔力がまだ完全に戻っていないから、《影縫い》は使えない。
でも影はある。いつもそこにある。
(明日また、始める)
目を閉じた。
今夜は、すぐに眠れた。
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