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最弱冒険者は、あの背中に手を伸ばしたい  作者: あっかんべー
第一章:最弱冒険者の再出発

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第17話「霧島澪の昔話を、俺は立ち聞きした」

魔力回路の回復には、丸一日かかった。


槙に「今日は訓練なし。体が先だ」と言われて、蒼汰は午前中を協会のカフェスペースで潰していた。温かいコーヒーを一杯だけ買って、窓際の席に座った。

スマホを見る気にもなれなかった。

ただぼんやりと外を眺めていた。


(魔力回路の鍛錬。スキルの消費量把握。やることは増えた)


(でも今日は、何もしない)


隣のテーブルで、二人の冒険者が話していた。


蒼汰は最初、気にしていなかった。

蒼汰の右隣の席に、四十代くらいの大柄な男と、三十代らしき赤髪の女性が向かい合って座っていた。

冒険者の装備を持っているが、今は依頼帰りで寛いでいる雰囲気だ。


蒼汰は窓の外を見ながらコーヒーを飲んでいた。


「そういえば」と大柄な男が言った。


「最近また霧島さんを見かけたぞ。C層で単独潜行してた」


(霧島……さん?)


思わず耳が向いた。


「C層? Sランクがそんな浅い層で何してんの」と女性が言った。


「さあな。でも霧島さんは昔からああいうとこあるだろ。浅い層でも丁寧にやる。下積みを大事にするというか」


「まあね。あの人は元々そういう人だし」


蒼汰はコーヒーカップを持ったまま、動けなくなっていた。


「元々ってどういう意味」と大柄な男が聞いた。


女性が少し声を落とした。

蒼汰はわずかに体を傾けた。

聞くつもりはなかった。

でも耳が塞げなかった。



「あの人、昔は今と全然違ったらしいよ」と女性は言った。


「今みたいにクールで一人でやってるタイプじゃなくて、チームで動く人だったって。仲間思いで、面倒見が良くて」


「知ってる。四人パーティだったろ。確かBランク相当のチームで」


「そう。でも……あの事故で」


女性の声が、少し低くなった。


「四年前の深淵崩落事故。C層で突然《深淵》の構造が崩れて、区画が丸ごと封鎖された。中にいたパーティが五組くらい」


「霧島さんのチームも」


「全員、助からなかった。霧島さん一人だけが出口近くにいたから生き残った。本人が一番自分を責めてたって聞いたよ。しばらく冒険者辞めようとしてたって話もある」


(……知らなかった)


蒼汰はコーヒーカップをテーブルに置いた。

音を立てないように、ゆっくりと。


(霧島さんは、チームを失っていたのか。四年前に)


(だから一人で動くのか。一人の方が、誰かを失わなくて済むから)


男が「でもSランクまで上がったんだから、立ち直ったんだろ」と言った。


「立ち直ったというか……別の人間になった、って感じかな。昔を知ってる人はそう言ってた。仲間を作らない代わりに、誰よりも強くなろうとした、って」


「なんか……重いな」


「うん。だからあの人、強いのにどこか孤独そうだよね。見てると」


二人はそれきり別の話題に移っていった。

依頼の報告がどうとか、次の潜行がどうとか。

普通の雑談に戻っていった。


蒼汰はしばらく動けなかった。



外が見えなくなっていた。

窓ガラスに映っているのは、カフェの内側の景色だ。

蒼汰自身の顔も、うっすらと映っている。


(四年前。深淵崩落事故。チームを全員失った)


(霧島さんが「生きてるうちに強くなれ」と言ったのは……ああいう過去があったからなのか)


蒼汰は最初に澪に会ったときの場面を思い出した。

ガズに囲まれて、死を覚悟していた自分。

嵐のように現れて、たった四秒で全てを片付けた女性。

「生きてるうちに強くなれ」という一言を残して消えた白いコート。


(あの言葉は……霧島さん自身への言葉でもあったのかもしれない)


(仲間を失って、それでも強くなろうとした人が、俺に言った言葉だ)


胸の奥に何かが落ちた。さっきより重くて、さっきより熱いものが。


(俺は、なんとなく憧れていた)


(強くてかっこよくて、俺より全然上にいる人だから、追いつきたいと思っていた)


(でも今は、違う気がする)


(霧島さんは、俺が知らないところで、すごく重いものを抱えながら、それでも前を向いてる人だ)


(そういう人の背中に追いつきたい。それは、もっと真剣なことだ)


コーヒーが冷めていた。

蒼汰は一口飲んだ。

苦かった、でも飲んだ。



カフェを出て、協会のロビーを歩いていたとき、掲示板の前で足が止まった。


Sランク冒険者の活動記録が貼り出される小さなコーナーがある。

協会が広報目的で更新しているもので、普段は素通りしていた。


今日は一枚だけ新しい紙が貼られていた。


「先月の月間最多討伐:霧島澪(Sランク)」


写真はなかった。

名前と数字だけだった。


(月間最多討伐。数字は書いていない。でも単独でSランクがこの記録を持っているということの意味は、今の俺には想像もできない))


蒼汰はその紙をしばらく見ていた。名前だけ見ていた。


(霧島澪)


(あなたは何を背負って、今日も潜っているんですか?)


答えは聞こえなかった。

当たり前だ。

ここにいるのは蒼汰一人で、紙に書かれているのは名前だけだ。


でも蒼汰の中で、何かがはっきりした。


「追いつきたい」という気持ちが、変わった。

憧れから、何か別のものに。

うまく言葉にできないが、強いて言うなら――

「追いつくことで、あの人に何かを返したい」

そういう気持ちに、なっていた。


蒼汰にはまだ、霧島澪が何を失ったのかも、何を抱えているのかも、正確にはわからない。

でも、弱い俺が強くなることが、あの人への返答になる気がした。

なんの根拠もない、ただの感覚だった。

でも確かだった。



その夜、蒼汰は部屋のメモ用紙に一行だけ書いた。


「魔力回路の鍛錬法を槙さんに聞く。スキルの消費量を毎日記録する」


それだけだった。

大げさなことは何も書かなかった。


ペンを置いて、天井を見た。


(霧島さんは今日も潜っているんだろう。浅い層を、一人で、丁寧に)


(俺は今日、試験に落ちた。魔力を使い果たして、スキルなしでダクロを倒した)


(どっちが上かなんて、比べるまでもない。でも)


(俺は今日、何かを掴んだ気がする)


窓の外から、秋の風の音がした。


蒼汰の影が、常夜灯の光に照らされて天井に伸びていた。

魔力がまだ完全に戻っていないから、《影縫い》は使えない。

でも影はある。いつもそこにある。


(明日また、始める)


目を閉じた。


今夜は、すぐに眠れた。

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