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最弱冒険者は、あの背中に手を伸ばしたい  作者: あっかんべー
第一章:最弱冒険者の再出発

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第15話「黒瀬慧、蒼汰を一蹴する」

協会の訓練室は地下一階にある。


縦横十メートルほどの石張りの部屋で、壁に衝撃吸収の魔石が埋め込まれている。

スパーリングや実技訓練に使える施設で、Eランク以上の登録者なら無料で使える。普段は二、三人が黙々と基礎訓練をしているだけで、あまり賑わっていない場所だ。


蒼汰がロッカーで装備を確認していると、扉が開いて黒瀬慧が入ってきた。


金髪、青目。整った顔つきに、いつもの余裕の色。手には木剣を一本持っていた。


「ちょうどいい」と黒瀬は言った。


「少し時間があるか?」


「……俺にですか?」


「他に誰がいる?」


(また唐突だな、この人は)


「スパーリングだ。お前の《影縫い》を実際に受けてみたい。本気でやれ」


黒瀬はそれだけ言って、部屋の中央に立った。

木剣を下段に構えている。

構え自体は教科書的で癖がないが、それがかえって隙のなさを感じさせた。


(実力差は明確だ。黒瀬はすでにEランク。訓練量も段違いのはず。勝ちに行くのは無理だ)


(でも……《影縫い》が通じるかどうかだけ、確かめてみたい)


蒼汰も木剣を取って、向かい合った。


外から扉を開けて、野本悠が顔を覗かせた。「なんか始まりそうだったから見学していい?」と悠は言った。黒瀬が「好きにしろ」と答えて、悠は壁際に座った。



「始め」と黒瀬は言った。


次の瞬間、蒼汰の目の前に光が走った。


黒瀬の右手から発せられた光刃が、木剣の刀身を包んでいた。

閃光――光属性の加速技だ。

それと気づいた瞬間には、すでに黒瀬の木剣が蒼汰の左肩に当たっていた。


痛い、とは思わなかった。

速すぎて、当たったあとに痛みが来た。


(速……!)


蒼汰は右に跳んで距離を取った。

黒瀬は追ってこない。

ただ、元の位置に立ってこちらを見ている。


「遅い」と黒瀬は言った。

批評というより、ただの事実だった。


「お前の反応速度では、俺の《閃光》は見えない。最初の一打を防ぐのは諦めた方がいい」


(わかってる。じゃあどうする?)


(防げないなら、先に動く。黒瀬が動く前に影を縫えれば)


蒼汰は床の影を見た。

訓練室の照明は均等で、影が薄い。

でも完全にないわけじゃない。

黒瀬の足元にも、ぼんやりした影が落ちている。


踏み込む。


「《影縫い》!!」


影を縫い止める。

黒瀬の足が、一瞬だけ固まった。


三秒。


でも黒瀬は焦らなかった。

足が動かないなら上半身だけで対処する、という判断が一瞬でできる人間だった。

体を傾けて、木剣を横に薙ぐ。

固定された足のまま、上体だけで蒼汰の踏み込みに合わせた。


木剣が蒼汰の脇腹に当たった。


痛い。

息が止まる。

踏み込んだ勢いがそのまま打撃に乗った。

膝が折れかけて、なんとか堪えた。


(足を止めても……上半身で対応できるのか、この人は)


黒瀬は三秒が解けると同時に、距離を取った。

乱れた様子は一切ない。


「《影縫い》は面白い」と黒瀬は言った。


「足を止めるだけなら、対策はできる。でも」


少し間を置いた。


「影を遠くから「届かせられる」なら、話が変わる。

今のお前には、それが足りない」


(影の射程距離。今俺が届かせられるのは、接触距離に近い範囲だけだ。黒瀬の足元まで影を伸ばすのが精一杯だった)


(もし、もっと遠くから縫えたら)



三回戦った。

結果は全敗だった。


一回目は速度差で完封。

二回目は《影縫い》で足を止めたが上体で対処された。

三回目は影を伸ばして射程を広げようとしたが、集中が分散して隙を突かれた。


三回目が終わったとき、蒼汰は床に手をついた。

息が上がっている。全身が重い。


黒瀬は木剣を下ろして、蒼汰を見ていた。


「立てるか」


「……立てます」


蒼汰は立った。

膝が笑っていたが、倒れなかった。


黒瀬はしばらく蒼汰の顔を見た。

その目が、少しだけ、最初と違う色をしていた。

批評とも侮蔑とも違う、何か別のものだった。


「……少し変わったな」と黒瀬は言った。


「え」


「覚醒試験のときのお前とは別人だ。目が」


(また、目の話だ。悠も、槙さんも、そして黒瀬も)


「何かあったのか」と黒瀬は聞いた。

問い詰めるのではなく、純粋に疑問として。


蒼汰は少し考えてから、「霧島澪さんに会いました。助けてもらった」と言った。


黒瀬の眉がわずかに動いた。


「霧島か」と黒瀬は呟いた。

それから少し間があって、

「俺もあの人の試合を見たことがある。学生のとき、公開演武で」


「どうでしたか?」


「……圧倒的だった。あれ以来、ずっと届かない」


(黒瀬も、霧島さんに届かないと思っているのか)


(こんなに強い人でも、まだ届かないのか。じゃあ俺はどれだけ先に行かなきゃいけないんだ)


蒼汰が黙っていると、黒瀬は木剣を壁に立てかけた。


「お前の《影縫い》には可能性がある。射程と速度を上げろ。それだけでスキルの価値が変わる」


「……ありがとうございます」


「礼はいらない。ただ、強くなれ」


それだけ言って、黒瀬は出口に向かった。


扉が閉まる直前、黒瀬は一度だけ振り返った。

何か言いかけて、やめた。

それから無言で出ていった。

蒼汰には聞こえなかったが、黒瀬が扉の前で一瞬だけ止まっていたことを、悠は見ていた。



蒼汰が床に座り込んでいると、悠が近づいてきた。


「全敗だったね」


「わかってる」


「でも三回目、黒瀬が少し焦ったのわかった?」


「……え?」


「影の射程を伸ばしてきたとき、黒瀬の動きが一瞬だけ変わった。速度を上げた。つまり」


悠は蒼汰の顔を見た。


「射程が伸びたら、嫌だと思ったんだよ。あの黒瀬が」


(そうか。俺には全敗で何も通じなかったように感じたけど、一瞬だけ……黒瀬に「嫌だ」と思わせた瞬間があったのか)


蒼汰は床の自分の影を見た。薄くて、小さい。でも確かにある。


(射程を伸ばせ。速度を上げろ。それだけで変わる)


(黒瀬に言われた言葉が、槙さんに言われたことと重なった。使い方次第で変わる、と)


「悠」


「なに?」


「また明日も来る。今日の三回をもう一度やり直すつもりで練習する」


悠はしばらく蒼汰を見ていた。

それからいつものサバサバした顔で、


「そう。まあ、頑張れば」


と言って、立ち上がった。


(悠の「頑張れば」は、応援だ。俺はそれを知っている)


蒼汰も立ち上がった。


訓練室の照明が均等に落ちていた。

壁に、床に、蒼汰の影がぼんやりと広がっている。

蒼汰は右手を伸ばして、その影の端に向けて意識を集中した。


影の端が、少しだけ伸びた。


(射程。速度。今よりもっと遠く、もっと速く)


(黒瀬が「嫌だ」と思った一瞬を、次は「止められない」に変える)


影が伸びて、また戻った。五秒分だけの、小さな進歩だった。


でも蒼汰には、それで十分だった。

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