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最弱冒険者は、あの背中に手を伸ばしたい  作者: あっかんべー
第一章:最弱冒険者の再出発

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第14話「凜の氷結魔法を、きれいだと思った」

協会でトラップ事故の報告書を提出すると、朝倉さんに「本当によく生きてましたね」と言われた。今回は先週よりも切実そうな顔をしていた。


「D区画の可動壁トラップは既知のものですが、今回のは駆動速度が通常の三倍ありました。旧式だと思って油断していた可能性が高い。改めて注意喚起を出します」


「俺が踏んだせいですよね」


「記録上は『自然発動』です。夜霧さんのせいではありません」


(優しい嘘をついてくれる人だ、朝倉さんは)


報告を終えて、ロビーに戻ると凜がいた。

壁際に立って、手の中で小さな氷の結晶を作ったり溶かしたりしていた。

待っていてくれたらしかった。


「凜さん」


凜は顔を上げた。


「報告、終わった?」


「はい。凜さんはもう終わりましたか?」


「先に終わらせた」


蒼汰は少し考えてから、「あの、もし良ければ……」と言いかけた。


凜が少し首を傾けた。


「お茶でも。お礼をしたくて。今日、助けてもらったので」


凜は手の中の氷の結晶を、すっと溶かした。

それから少し間を置いて、


「……構わない」


と言った。


(「構わない」三回目。これはもうOKの意味で確定だ)



協会から一本入った路地に、小さなカフェがあった。


窓際の二人席。

外は秋の夕方で、ゆっくりと日が傾いている。

凜はブラックコーヒーを頼んだ。

蒼汰はホットチョコレートを頼んだ。

注文を聞いた店員が少しだけ不思議そうな顔をして、すぐに消えた。


(凜さん、ブラックか。なんか、らしい気がする)


飲み物が来るまで、二人は黙っていた。

でも前よりずっと、静かさが苦じゃなかった。

凜との沈黙は、埋めなくていい沈黙だと、だんだんわかってきた。


コーヒーとホットチョコレートが来て、凜が一口飲んだ。蒼汰も飲んだ。


しばらくして、凜が口を開いた。


「夜霧は、霧島澪のどこを見ていたの?」


(凜さんから、霧島さんの話を出した。初めてだ)


蒼汰は少し考えてから、正直に答えた。


「最初に見た瞬間、なんというか……嵐みたいだと思いました。ガズを八体、四秒もかからずに片付けて、白いコートに血の一滴もついていなかった。俺はその横でへたり込んでいた。情けなかった。でも悔しいより先に、圧倒されていました。ああいう強さがあるんだ、って」


「それで憧れた?」


「憧れた、というか……追いつきたいと思いました。追いつけるとは思っていないんですけど。でも、目指したい、って。あの人が『生きてるうちに強くなれ』と言ってくれたから、理由ができた感じです」


凜はコーヒーカップを両手で持ったまま、窓の外を見た。


「……私は、澪さんに何も言われなかった」


蒼汰は黙って続きを待った。


「ダンジョンで迷子になったとき、助けてもらった。名前も聞かれなかった。理由も聞かれなかった。ただ、隣に座って、出口まで先を歩いてくれた。それだけ」


前に凜が思っていた回想そのままだ。でも蒼汰には聞こえない。ただ今、凜は自分の言葉でそれを話してくれている


「それが、忘れられないんです?」


凜は少し間を置いた。


「……忘れられない、というより。あの人は私に何も求めなかった。強くなれとも言わなかった。情けないとも言わなかった。ただ、一緒にいてくれた」


蒼汰はそれを聞いて、少し胸が痛くなった。


(凜さんは……ずっと「何かを求められる」環境にいたのかもしれない。スキルのデータを提供するADR、冒険者という仕事、「面白い使い方」という評価。何かを持っていることで、関わられる経験ばかりだったのかもしれない)


「澪さんはそうじゃなかった」


「そう」と凜は言った。

窓の外を見たまま。

「ただ、そこにいてくれた」


カフェの中が静かだった。

BGMが薄く流れていて、コーヒーのにおいがして、窓の外で落ち葉が一枚飛んでいった。

凜が窓の外を見ていた。

その横顔は、いつもの無表情とは少し違った。

何かを思い出しているような、遠い目をしていた。

蒼汰はその横顔を見て、なんとなく、余計なことを言ってはいけない気がした。

だからそのまま、黙って隣にいた。


しばらくして、凜が視線を戻した。


「……あなたは、夜霧は、私に何かを求めてる?」


唐突だった。

でも凜の声は真剣だった。


(何かを求めてるか? 一緒に依頼をこなすこと。連携。戦闘での補助。それだけか?)


蒼汰は少し考えた。

本当に少し、考えた。


「……凜さんと話すのが楽しいです。だから、また話したいとは思います。それが『求める』なら、そうかもしれません」


凜はしばらく蒼汰を見ていた。


「話が楽しい」と繰り返した。


「はい」


「私、口数が少ない」


「知ってます。でも凜さんの言葉は少ない分、全部ちゃんと意味があるので。聞いてて、楽しいです」


(……この人は)


(不思議な人だ)


凜はコーヒーを一口飲んだ。

それから、窓の外をもう一度見て、また蒼汰に視線を戻した。


「私も……話すのは、嫌じゃない。あなたとは」


それだけだった。

でも凜が言える最大の言葉だと、蒼汰には何となくわかった。


(嫌じゃない。凜さんが言うと、それは「好き」に近い言葉だ)


(……なんか、嬉しかった)



帰り際、カフェの前で二人は別の方向に別れた。


凜が歩き始めたとき、ふと足を止めた。

振り返って、蒼汰を見た。


「さっきの氷結魔法。きれいだと思う?」


突然の質問だった。


(え? なんで突然)


蒼汰は少し驚いたが、考えるまでもなかった。


「思います。無駄が何もなくて、きれいです。針晶も結晶爆も、見てて惚れ惚れします」


凜はしばらく蒼汰の顔を見ていた。


何かを確かめるような目だった。

それから、ほんのわずかだけ、目が和らいだ。


「……そう」


それきり、今度こそ歩き去った。

振り返らなかった。


(なんで突然あんなことを聞いたんだろう)


(でも……嬉しそうだった、気がした)


蒼汰は少しの間、凜の消えた方向を見ていた。


夕暮れの路地に、蒼汰の影が長く伸びていた。

その影の端が、今日は特に、凜が歩いていった方向に向かって少しだけ、揺れていた。


凜がその夜考えたこと。

――あの日、澪さんに「きれいだな」と言われたことがある。

凜の《氷幕》が、洗練されていると言ってくれた、たった一人の人だ。

今日、夜霧蒼汰も同じことを言った。

「きれいです。無駄が何もなくて」

似た言葉なのに、なぜか今日の方が、少しだけ長く胸に残った。


その理由を、凜はまだ考えたくなかった。

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