第14話「凜の氷結魔法を、きれいだと思った」
協会でトラップ事故の報告書を提出すると、朝倉さんに「本当によく生きてましたね」と言われた。今回は先週よりも切実そうな顔をしていた。
「D区画の可動壁トラップは既知のものですが、今回のは駆動速度が通常の三倍ありました。旧式だと思って油断していた可能性が高い。改めて注意喚起を出します」
「俺が踏んだせいですよね」
「記録上は『自然発動』です。夜霧さんのせいではありません」
(優しい嘘をついてくれる人だ、朝倉さんは)
報告を終えて、ロビーに戻ると凜がいた。
壁際に立って、手の中で小さな氷の結晶を作ったり溶かしたりしていた。
待っていてくれたらしかった。
「凜さん」
凜は顔を上げた。
「報告、終わった?」
「はい。凜さんはもう終わりましたか?」
「先に終わらせた」
蒼汰は少し考えてから、「あの、もし良ければ……」と言いかけた。
凜が少し首を傾けた。
「お茶でも。お礼をしたくて。今日、助けてもらったので」
凜は手の中の氷の結晶を、すっと溶かした。
それから少し間を置いて、
「……構わない」
と言った。
(「構わない」三回目。これはもうOKの意味で確定だ)
◆
協会から一本入った路地に、小さなカフェがあった。
窓際の二人席。
外は秋の夕方で、ゆっくりと日が傾いている。
凜はブラックコーヒーを頼んだ。
蒼汰はホットチョコレートを頼んだ。
注文を聞いた店員が少しだけ不思議そうな顔をして、すぐに消えた。
(凜さん、ブラックか。なんか、らしい気がする)
飲み物が来るまで、二人は黙っていた。
でも前よりずっと、静かさが苦じゃなかった。
凜との沈黙は、埋めなくていい沈黙だと、だんだんわかってきた。
コーヒーとホットチョコレートが来て、凜が一口飲んだ。蒼汰も飲んだ。
しばらくして、凜が口を開いた。
「夜霧は、霧島澪のどこを見ていたの?」
(凜さんから、霧島さんの話を出した。初めてだ)
蒼汰は少し考えてから、正直に答えた。
「最初に見た瞬間、なんというか……嵐みたいだと思いました。ガズを八体、四秒もかからずに片付けて、白いコートに血の一滴もついていなかった。俺はその横でへたり込んでいた。情けなかった。でも悔しいより先に、圧倒されていました。ああいう強さがあるんだ、って」
「それで憧れた?」
「憧れた、というか……追いつきたいと思いました。追いつけるとは思っていないんですけど。でも、目指したい、って。あの人が『生きてるうちに強くなれ』と言ってくれたから、理由ができた感じです」
凜はコーヒーカップを両手で持ったまま、窓の外を見た。
「……私は、澪さんに何も言われなかった」
蒼汰は黙って続きを待った。
「ダンジョンで迷子になったとき、助けてもらった。名前も聞かれなかった。理由も聞かれなかった。ただ、隣に座って、出口まで先を歩いてくれた。それだけ」
前に凜が思っていた回想そのままだ。でも蒼汰には聞こえない。ただ今、凜は自分の言葉でそれを話してくれている
「それが、忘れられないんです?」
凜は少し間を置いた。
「……忘れられない、というより。あの人は私に何も求めなかった。強くなれとも言わなかった。情けないとも言わなかった。ただ、一緒にいてくれた」
蒼汰はそれを聞いて、少し胸が痛くなった。
(凜さんは……ずっと「何かを求められる」環境にいたのかもしれない。スキルのデータを提供するADR、冒険者という仕事、「面白い使い方」という評価。何かを持っていることで、関わられる経験ばかりだったのかもしれない)
「澪さんはそうじゃなかった」
「そう」と凜は言った。
窓の外を見たまま。
「ただ、そこにいてくれた」
カフェの中が静かだった。
BGMが薄く流れていて、コーヒーのにおいがして、窓の外で落ち葉が一枚飛んでいった。
凜が窓の外を見ていた。
その横顔は、いつもの無表情とは少し違った。
何かを思い出しているような、遠い目をしていた。
蒼汰はその横顔を見て、なんとなく、余計なことを言ってはいけない気がした。
だからそのまま、黙って隣にいた。
しばらくして、凜が視線を戻した。
「……あなたは、夜霧は、私に何かを求めてる?」
唐突だった。
でも凜の声は真剣だった。
(何かを求めてるか? 一緒に依頼をこなすこと。連携。戦闘での補助。それだけか?)
蒼汰は少し考えた。
本当に少し、考えた。
「……凜さんと話すのが楽しいです。だから、また話したいとは思います。それが『求める』なら、そうかもしれません」
凜はしばらく蒼汰を見ていた。
「話が楽しい」と繰り返した。
「はい」
「私、口数が少ない」
「知ってます。でも凜さんの言葉は少ない分、全部ちゃんと意味があるので。聞いてて、楽しいです」
(……この人は)
(不思議な人だ)
凜はコーヒーを一口飲んだ。
それから、窓の外をもう一度見て、また蒼汰に視線を戻した。
「私も……話すのは、嫌じゃない。あなたとは」
それだけだった。
でも凜が言える最大の言葉だと、蒼汰には何となくわかった。
(嫌じゃない。凜さんが言うと、それは「好き」に近い言葉だ)
(……なんか、嬉しかった)
◆
帰り際、カフェの前で二人は別の方向に別れた。
凜が歩き始めたとき、ふと足を止めた。
振り返って、蒼汰を見た。
「さっきの氷結魔法。きれいだと思う?」
突然の質問だった。
(え? なんで突然)
蒼汰は少し驚いたが、考えるまでもなかった。
「思います。無駄が何もなくて、きれいです。針晶も結晶爆も、見てて惚れ惚れします」
凜はしばらく蒼汰の顔を見ていた。
何かを確かめるような目だった。
それから、ほんのわずかだけ、目が和らいだ。
「……そう」
それきり、今度こそ歩き去った。
振り返らなかった。
(なんで突然あんなことを聞いたんだろう)
(でも……嬉しそうだった、気がした)
蒼汰は少しの間、凜の消えた方向を見ていた。
夕暮れの路地に、蒼汰の影が長く伸びていた。
その影の端が、今日は特に、凜が歩いていった方向に向かって少しだけ、揺れていた。
凜がその夜考えたこと。
――あの日、澪さんに「きれいだな」と言われたことがある。
凜の《氷幕》が、洗練されていると言ってくれた、たった一人の人だ。
今日、夜霧蒼汰も同じことを言った。
「きれいです。無駄が何もなくて」
似た言葉なのに、なぜか今日の方が、少しだけ長く胸に残った。
その理由を、凜はまだ考えたくなかった。
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