第13話「トラップ、そして二人きりの脱出」
三日連続で依頼票が被った。
今日も蒼汰が依頼ボードで手を伸ばした瞬間、隣から凜が同じ票を取っていた。
『E層D区画・未踏通路マッピング補助』
二人同行が条件の依頼だ。
被ったというより、最初から二人向けだったのかもしれない。
「また一緒ですね」
凜は少し間を置いてから、「そう」と言った。
(今日の「そう」はいつもより少し柔らかい気がする。気のせいかもしれない。でも気のせいじゃない気もする)
朝の槙の訓練を終えた後だった。
腕が重い。脚も重い。でも不思議と足取りは軽かった。
「行こう」と凜は言って、先に出口に向かった。蒼汰はその後を追った。
◆
未踏通路は、D区画をさらに奥に進んだ先にあった。
協会の地図では「未確認区域」とだけ記されている場所だ。
壁の色が変わっていた。
これまでの灰色の石ではなく、黒みがかった岩盤に変わっている。
足元の魔石光がなく、二人が持つ小型の照明魔石だけが頼りだ。
「足元、気をつけて」
凜は「わかってる」と言いながら、手の先から薄い氷の結晶を浮かべて足元を照らした。昨日と同じ、言葉ではなく行動で示す凜らしいやり方だった。
(やっぱり、丁寧な人だ)
通路を三十メートルほど進んだとき、地図に記されていない分岐が現れた。
左右に分かれている。どちらも同じように暗い。
凜が左の通路を覗き込んだ。
蒼汰は右の通路を覗き込んだ。
そのとき、蒼汰の足元が、かすかに沈んだ。
(……あ)
踏んだ石が、トラップだった。
床が割れる音がして、壁から横断するように石の板が飛び出してきた。
分岐の中央を遮断する形で、一瞬にして壁を作った。
蒼汰は右の通路に、凜は左の通路と分岐の境目に、それぞれ分断されていた。
「凜さん!」
「……夜霧」
石の板の向こうから、凜の声が返ってきた。
くぐもっているが、聞こえる。
「怪我は?」
「ない。そちらは」
「俺もない。ただ……」
蒼汰は右の通路をざっと見渡した。
一方向だけの行き止まり。幅は一・五メートルほど。
そして壁が、じわりじわりと、内側に迫っていた。
可動式の壁だ。
ゆっくりと、しかし確実に、両側から狭まってくる。
速度は遅い。でも止まる気配はない。
このまま何もしなければ、十分以内に蒼汰は壁に潰される。
(落ち着け。落ち着いて考えろ)
(《影縫い》で壁を縫い止められるか? 壁は石だ。影は投影されている。石の影を縫えば、物理的に石を止められるか? 試したことはない。でも)
「凜さん、聞こえますか?」
「聞こえてる」
「俺のいる通路の壁が動いてます。影縫いで止めようとしてみます。でも保証はない。凜さんは出口に戻れそうですか」
石の板の向こうで、凜が動く気配がした。
少しの沈黙。
「出口方向には戻れる。でも戻らない」
「え? 戻った方が」
「石板の継ぎ目がある。私が外から《氷幕》で冷やして膨張させれば、板が割れるかもしれない。試す」
(凜さん……)
(一人で逃げることもできるのに、そっちを選ばない)
「わかりました。俺は壁を止めることに集中します」
「蒼汰」と凜は言った。
「急いで」
「はい」
◆
蒼汰は動いている壁に向き直った。
壁の表面に、照明魔石の光が当たって影が生まれている。
壁そのものの影ではなく、壁の凹凸が作る薄い影だ。
(《影縫い》の発動条件は「影と影の接触」。あの壁の影に俺の影を届かせれば、縫い止められるかもしれない。でも壁は動いている。動いているものの影を縫うのは、止まっているものより難しい)
壁との距離は、もう一メートルを切っていた。
蒼汰は影を「剥がして」手の中に持った。
壁の影に向かって、這わせる。
「《影縫い》――!」
影が壁の凹凸に接触した瞬間、縫い止める。
壁の動きが、緩んだ。
止まったわけではない。
でも速度が落ちた。
まるで重いものを引きずるように、じりじりとした動きに変わった。
(効いてる……でも完全には止まらない。三秒後に解けたらまた動き出す)
三秒。解ける。壁がまた速度を取り戻す。
もう一回。
「《影縫い》!」
また緩む。また三秒。また解ける。
クールタイムの五秒の間、壁が迫ってくる。
蒼汰は端に寄って体を細くした。壁まで五十センチ。
石の板の向こうで、轟音がした。
凜の声がした。
「《氷幕》――結晶爆!!」
石板の継ぎ目に急激な冷気が叩き込まれる。
水分が一瞬で膨張して、石の内部から破裂するような音。
石板にひびが走った。一本、二本、三本。
四本目のひびが走った瞬間、石板が砕けた。
白い粉塵が広がる中、凜が踏み込んできた。
蒼汰との壁まで残り三十センチ。
凜は迷わず動いている壁の前に立って、両手を壁に当てた。
「《氷幕》――氷結固定!!」
壁の表面全体が瞬時に凍り付いた。
石と氷が結合して、壁の駆動部が凍結する。壁が、止まった。
完全に。
静寂。
蒼汰と凜は、止まった壁の前に並んで立っていた。距離、二十センチ。
(止まった……間に合った)
蒼汰は大きく息を吐いた。
膝が少し笑っていた。
凜の肩が、微かに上下していた。
結晶爆と氷結固定を連続で使ったのは相当な消耗だったはずだ。
「凜さん、大丈夫ですか?」
凜は答える前に、一度深く息を吸った。
「……大丈夫」
声がいつもより少し掠れていた。
(全然大丈夫じゃない気がする。でも凜さんは「大丈夫」と言う人だ。それ以上聞いたら嫌がるかもしれない)
蒼汰はポーチから回復ドリンクを取り出して、無言で凜に差し出した。
凜はそれを見て、少し間を置いてから、受け取った。
「…ありがとう」
(今日で三回目だ。凜さんが「ありがとう」を言ってくれたのが)
◆
壁が止まっている間に、二人は慎重に通路を引き返した。
出口に向かいながら、凜が口を開いた。
「さっきの影縫い、物に使ったのは初めて?」
「はい。人間やモンスター以外に使ったのは初めてでした」
「……効いてた」
「完全には止められませんでしたけど」
「速度を落とした。それで私が間に合った」
(凜さんの言い方は、いつも過不足がない。多くも言わないし、少なくもない。ちょうどいい量の言葉をくれる)
「凜さんの結晶爆、すごかったです。石を内側から割るなんて思いつかなかった」
「急速冷却による膨張。物理の応用」と凜は言った。でもその声に、少しだけ照れに似たものがあった気がした。
(凜さんが照れた? 気のせいか?)
その日、蒼汰は初めて気づいた。
凜は「すごい」と言われることに、慣れていない。
慣れていないから、照れを隠すのが上手くない。
ただ、隠そうとする。
――それが、少しだけ可愛かった。
そう思ってから、蒼汰は少し自分に驚いた。
そういう目で見ていたのか、俺は、と。
出口の階段が見えてきた。地上の光が差し込んでいる。
凜が少し前を歩いていた。
白銀の髪が揺れている。
蒼汰はその背中を見ながら、さっきの「急いで」という一言を思い出した。
(凜さんは「急いで」と言った。逃げることもできたのに。俺を助けるために石板を壊しに来た)
(なんで、という答えを凜さんは言わない。でも行動で、見せてくれた)
「凜さん」
「なに?」
「今日、助けてくれてありがとうございました」
凜の背中が、一瞬だけ止まった。
それから、前を向いたまま、
「……次は、トラップを踏まないで」
とだけ言って、階段を上っていった。
(怒ってる? いや、声に怒りはなかった)
(なんか……うまく言えないけど、あったかかった。「次は」って言ってくれたのが)
(次があること、前提にしてくれてる)
蒼汰も階段を上った。地上の秋の空気が、今日はいつもよりひんやりしていた。
でも不思議と、寒くなかった。
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