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最弱冒険者は、あの背中に手を伸ばしたい  作者: あっかんべー
第一章:最弱冒険者の再出発

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第13話「トラップ、そして二人きりの脱出」

三日連続で依頼票が被った。


今日も蒼汰が依頼ボードで手を伸ばした瞬間、隣から凜が同じ票を取っていた。

『E層D区画・未踏通路マッピング補助』

二人同行が条件の依頼だ。

被ったというより、最初から二人向けだったのかもしれない。


「また一緒ですね」


凜は少し間を置いてから、「そう」と言った。


(今日の「そう」はいつもより少し柔らかい気がする。気のせいかもしれない。でも気のせいじゃない気もする)


朝の槙の訓練を終えた後だった。

腕が重い。脚も重い。でも不思議と足取りは軽かった。


「行こう」と凜は言って、先に出口に向かった。蒼汰はその後を追った。



未踏通路は、D区画をさらに奥に進んだ先にあった。


協会の地図では「未確認区域」とだけ記されている場所だ。

壁の色が変わっていた。

これまでの灰色の石ではなく、黒みがかった岩盤に変わっている。

足元の魔石光がなく、二人が持つ小型の照明魔石だけが頼りだ。


「足元、気をつけて」


凜は「わかってる」と言いながら、手の先から薄い氷の結晶を浮かべて足元を照らした。昨日と同じ、言葉ではなく行動で示す凜らしいやり方だった。


(やっぱり、丁寧な人だ)


通路を三十メートルほど進んだとき、地図に記されていない分岐が現れた。

左右に分かれている。どちらも同じように暗い。


凜が左の通路を覗き込んだ。

蒼汰は右の通路を覗き込んだ。


そのとき、蒼汰の足元が、かすかに沈んだ。


(……あ)


踏んだ石が、トラップだった。


床が割れる音がして、壁から横断するように石の板が飛び出してきた。

分岐の中央を遮断する形で、一瞬にして壁を作った。


蒼汰は右の通路に、凜は左の通路と分岐の境目に、それぞれ分断されていた。


「凜さん!」


「……夜霧」


石の板の向こうから、凜の声が返ってきた。

くぐもっているが、聞こえる。


「怪我は?」


「ない。そちらは」


「俺もない。ただ……」


蒼汰は右の通路をざっと見渡した。

一方向だけの行き止まり。幅は一・五メートルほど。

そして壁が、じわりじわりと、内側に迫っていた。


可動式の壁だ。

ゆっくりと、しかし確実に、両側から狭まってくる。

速度は遅い。でも止まる気配はない。

このまま何もしなければ、十分以内に蒼汰は壁に潰される。


(落ち着け。落ち着いて考えろ)


(《影縫い》で壁を縫い止められるか? 壁は石だ。影は投影されている。石の影を縫えば、物理的に石を止められるか? 試したことはない。でも)


「凜さん、聞こえますか?」


「聞こえてる」


「俺のいる通路の壁が動いてます。影縫いで止めようとしてみます。でも保証はない。凜さんは出口に戻れそうですか」


石の板の向こうで、凜が動く気配がした。


少しの沈黙。


「出口方向には戻れる。でも戻らない」


「え? 戻った方が」


「石板の継ぎ目がある。私が外から《氷幕》で冷やして膨張させれば、板が割れるかもしれない。試す」


(凜さん……)


(一人で逃げることもできるのに、そっちを選ばない)


「わかりました。俺は壁を止めることに集中します」


「蒼汰」と凜は言った。


「急いで」


「はい」



蒼汰は動いている壁に向き直った。


壁の表面に、照明魔石の光が当たって影が生まれている。

壁そのものの影ではなく、壁の凹凸が作る薄い影だ。


(《影縫い》の発動条件は「影と影の接触」。あの壁の影に俺の影を届かせれば、縫い止められるかもしれない。でも壁は動いている。動いているものの影を縫うのは、止まっているものより難しい)


壁との距離は、もう一メートルを切っていた。


蒼汰は影を「剥がして」手の中に持った。

壁の影に向かって、這わせる。


「《影縫い》――!」


影が壁の凹凸に接触した瞬間、縫い止める。


壁の動きが、緩んだ。


止まったわけではない。

でも速度が落ちた。

まるで重いものを引きずるように、じりじりとした動きに変わった。


(効いてる……でも完全には止まらない。三秒後に解けたらまた動き出す)


三秒。解ける。壁がまた速度を取り戻す。


もう一回。


「《影縫い》!」


また緩む。また三秒。また解ける。


クールタイムの五秒の間、壁が迫ってくる。

蒼汰は端に寄って体を細くした。壁まで五十センチ。


石の板の向こうで、轟音がした。


凜の声がした。


「《氷幕》――結晶爆けっしょうばく!!」


石板の継ぎ目に急激な冷気が叩き込まれる。

水分が一瞬で膨張して、石の内部から破裂するような音。

石板にひびが走った。一本、二本、三本。


四本目のひびが走った瞬間、石板が砕けた。


白い粉塵が広がる中、凜が踏み込んできた。

蒼汰との壁まで残り三十センチ。

凜は迷わず動いている壁の前に立って、両手を壁に当てた。


「《氷幕》――氷結固定!!」


壁の表面全体が瞬時に凍り付いた。

石と氷が結合して、壁の駆動部が凍結する。壁が、止まった。


完全に。


静寂。


蒼汰と凜は、止まった壁の前に並んで立っていた。距離、二十センチ。


(止まった……間に合った)


蒼汰は大きく息を吐いた。

膝が少し笑っていた。

凜の肩が、微かに上下していた。

結晶爆と氷結固定を連続で使ったのは相当な消耗だったはずだ。


「凜さん、大丈夫ですか?」


凜は答える前に、一度深く息を吸った。


「……大丈夫」


声がいつもより少し掠れていた。


(全然大丈夫じゃない気がする。でも凜さんは「大丈夫」と言う人だ。それ以上聞いたら嫌がるかもしれない)


蒼汰はポーチから回復ドリンクを取り出して、無言で凜に差し出した。


凜はそれを見て、少し間を置いてから、受け取った。


「…ありがとう」


(今日で三回目だ。凜さんが「ありがとう」を言ってくれたのが)



壁が止まっている間に、二人は慎重に通路を引き返した。


出口に向かいながら、凜が口を開いた。


「さっきの影縫い、物に使ったのは初めて?」


「はい。人間やモンスター以外に使ったのは初めてでした」


「……効いてた」


「完全には止められませんでしたけど」


「速度を落とした。それで私が間に合った」


(凜さんの言い方は、いつも過不足がない。多くも言わないし、少なくもない。ちょうどいい量の言葉をくれる)


「凜さんの結晶爆、すごかったです。石を内側から割るなんて思いつかなかった」


「急速冷却による膨張。物理の応用」と凜は言った。でもその声に、少しだけ照れに似たものがあった気がした。


(凜さんが照れた? 気のせいか?)


その日、蒼汰は初めて気づいた。

凜は「すごい」と言われることに、慣れていない。

慣れていないから、照れを隠すのが上手くない。

ただ、隠そうとする。


――それが、少しだけ可愛かった。

そう思ってから、蒼汰は少し自分に驚いた。

そういう目で見ていたのか、俺は、と。


出口の階段が見えてきた。地上の光が差し込んでいる。


凜が少し前を歩いていた。

白銀の髪が揺れている。

蒼汰はその背中を見ながら、さっきの「急いで」という一言を思い出した。


(凜さんは「急いで」と言った。逃げることもできたのに。俺を助けるために石板を壊しに来た)


(なんで、という答えを凜さんは言わない。でも行動で、見せてくれた)


「凜さん」


「なに?」


「今日、助けてくれてありがとうございました」


凜の背中が、一瞬だけ止まった。


それから、前を向いたまま、


「……次は、トラップを踏まないで」


とだけ言って、階段を上っていった。


(怒ってる? いや、声に怒りはなかった)


(なんか……うまく言えないけど、あったかかった。「次は」って言ってくれたのが)


(次があること、前提にしてくれてる)


蒼汰も階段を上った。地上の秋の空気が、今日はいつもよりひんやりしていた。


でも不思議と、寒くなかった。

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