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最弱冒険者は、あの背中に手を伸ばしたい  作者: あっかんべー
第一章:最弱冒険者の再出発

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閑話4「溶けない氷でいることが、私の守り方だった」― 白瀬凜の独白

凜が目を覚ますのは、いつも夜明け前だ。


習慣でも体質でもなく、眠りが浅いからだ。

深く眠れた記憶が、いつからかなくなっていた。

それを誰かに話したことはない。話す必要を感じたことがないからだ。


ベッドの上に起き上がって、窓の外を見る。空はまだ暗い。

街灯がひとつ、ぼんやり灯っている。

息を吐くと、室内なのにかすかに白くなった。

体温が低いのかもしれない。よく言われる。


(冷たい人ですね、と言われたことがある)


スキルの話をしているのか、人格の話をしているのか、そのときはわからなかった。どちらでも構わないと思った。


凜は右手を前に伸ばして、指先から薄いしもを出した。

室内の空気が冷えて、窓ガラスの隅に小さな氷の結晶が張り付いた。


(《氷幕》。私のスキル)


覚醒したのは十五歳のときだった。

両親は驚いていたが、喜んでいた。

「氷は珍しい属性だ」と言っていた。

凜にはピンとこなかった。

ただ、寒くなる力が出た、それだけのことに思えた。


でも。



十六歳のとき、凜は一人でEダンジョンに潜った。


理由は単純だ。

家にいたくなかった。

家の中が静かすぎた。

両親の声が少なかった。

食卓で三人が座っても、話すことがなかった。

凜が何かを言っても、両親は上手く返せなかった。

凜も上手く返せなかった。


ダンジョンの方が、まだ音があった。


単独での潜行は当時まだEランク相当の実力しかなかった凜には危険だったが、それでも構わなかった。怖いというより、ダンジョンの冷えた空気が、凜の体温に近い感じがして、居心地がよかった。


三回目に潜ったとき、迷子になった。


今の蒼汰と同じように。


(あの日の私は、今の私より余裕がなかった)


行き止まりで背中を壁につけて、膝を抱えていた。

スキルを発動する気力もなかった。

ただ、冷たい床に座って、どうせ誰も来ないと思っていた。


そこに、人が来た。


白いコートの女性だった。

長い黒髪。藍色の切れ長な目。

その人は凜を見て、少し立ち止まった。

それから、何も言わずに、凜の隣に腰を下ろした。


「帰り方、わかる?」


「……わかりません」


「案内する」


それだけだった。

名前も聞かなかった。理由も聞かなかった。

ただ立ち上がって、出口まで先を歩いてくれた。


地上に出てから、凜はその人の名前を知った。


霧島澪。

当時すでにAランクに届いていた、業界で名の知られ始めていた冒険者。


凜はその背中が、ずっと頭から離れなかった。


(名前も聞かず、理由も聞かず、ただ連れ出してくれた)


(あの人は私に何も求めなかった。ただ、隣に座ってくれた)


凜が本格的に冒険者を目指したのは、それからだ。

「あの人みたいになりたい」という気持ちを、凜はうまく言葉にできない。

憧れとも違う。ただ、あの背中の方向に歩いていきたい、という感覚があった。



ADRに協力するようになったのは、凜のスキルを「面白い」と言った篠宮冬芽に声をかけられたからだ。


「《氷幕》の通常使用者は広域展開が基本です。でも白瀬さんの使い方は逆で、極限まで絞る。そのアプローチは他に前例がない」


凜にとっては当たり前のことだった。

広く展開しても、当たらなければ意味がない。

一点に絞れば、外れにくい。

それだけの話だ。


でも、誰かに「面白い」と言われたのは、初めてだった。


(私はずっと、感情を表に出さない人間だと言われてきた。冷たいと言われてきた。それが楽だったから、そのままにしてきた)


(溶けない氷でいることが、私の守り方だった)


誰かと深く関わることが怖かった。

家族との間にある薄い壁を、他人との間にも作ることで、傷つかなくて済んだ。



夜霧蒼汰のことを、最初に知ったのは協会の掲示板だった。


《影縫い》という名前が珍しかった。

それだけの理由でスキル診断の予約欄に目をとめた。

診断結果に「判定不能」と書かれていた。


(判定不能。珍しい)


そのとき興味を持ったのは、スキルに対してだけだ。人に対してではなかった。


でも。


ダンジョンで道に迷っているFランクを見つけたとき、凜の足は自然に動いていた。


(あの日の自分に、少し似ていたから)


違うのは、あいつは膝を抱えていなかった。

壁に背をつけて、考えていた。

諦めていなかった。


それがなぜか、少しだけ眩しかった。


昨日、蒼汰が言った。


「俺のスキルも最初は欠陥って言われた。でも凜さんの絞り方は、俺よりずっと先に行ってる気がします」


褒めるのが上手い人間は、嘘っぽく聞こえる。

でもあいつの言い方は、嘘っぽくなかった。

ただ、見えたことを言った。それだけだった。

私はそれに「ありがとう」と言えた。

……いつぶりだろう、素直に「ありがとう」と言えたのは。


窓の外が、少しずつ白んできた。


凜は布団から出て、ローブを羽織った。

今日も依頼がある。一人で行ってもよかったが。


(また依頼票が被るかもしれない)


そう思った自分に、凜は少し驚いた。


(被ったらいいな、と思っている)


それを認めることは、まだ少し難しかった。

でも否定するほど嘘でもなかった。


凜は右手から細い氷の針を一本出して、窓ガラスの霜の上に、ごく小さな線を引いた。何の形でもない、ただの線だ。でも凜が引いた、凜だけの線だった。


それで十分だった。


(溶けない氷でいることが守り方だった。でも)


(少しくらい、溶けてもいいのかもしれない)


夜明けの光が、部屋に差し込んできた。窓ガラスの氷の線が、光を受けてきらりと光った。


凜はそれを少しだけ見てから、目を逸らした。


恥ずかしかったからではない。


たぶん。

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