第11話「神楽槙に、拾われた」
もう1話いけちゃいました。
これが本当に本日ラストです。
ADR渋谷連絡所は、協会から徒歩五分の雑居ビルの四階にあった。
看板は小さく地味で、知らなければ通り過ぎるような場所だ。
エレベーターで上がると、白い廊下とガラス張りの部屋が並んでいた。
研究機関というより、小さなオフィスに近い雰囲気だった。
受付で名前を告げると、すぐに奥から男が出てきた。
三十代半ば。細身で、黒縁の眼鏡。
白衣の下にグレーのシャツ。
声を聞いた瞬間、電話の人だとわかった。
「夜霧さん、初めまして。篠宮冬芽です。」
落ち着いた声だった。
握手を求めてきたので応じると、手が細くて、指先だけ少しひんやりしていた。
(研究者、って感じがする人だ)
個室に通されて、向かい合って座った。
机の上にはスキル診断装置の小型版と、分厚いファイルがあった。
ファイルの背表紙には「固有スキル・未分類群データ」と書かれていた。
篠宮は蒼汰のスキル診断書を開いて、少し眺めた。
「《影縫い》。最初の診断では『影を三秒固定』とありますね」
「はい。でも最近、変わってきていて…」
「具体的に聞かせてください」
蒼汰は順を追って話した。
影を伸ばせるようになったこと。
影を床から剥がせるようになったこと。
フェネクスの炎で影が消えたとき、手元から直接縫い止め直せたこと。
篠宮は静かに聞いていた。
途中で何度かメモを取った。
表情は穏やかで、驚いた顔はしなかった。
まるで予想していたかのように。
(この人、知ってる顔だ。驚いていない)
「一つだけ確認させてください」と篠宮は言った。
「影を剥がしたとき、冷感はありましたか」
「ぬるりと冷たい感覚がありました」
篠宮はメモを止めた。少しだけ、目が真剣になった。
「そうですか…」
「何か……わかったことがあるんですか?」
篠宮はしばらく考えてから、
「今日のところは、まだお話しできる段階にないんです。もう少し調査が必要で…」
(はぐらかされた。でも嘘をついている感じはない。本当に、まだ言えない段階なのかもしれない)
「一つだけ聞いていいですか?」
「俺のスキルに、何か……危ないことはありますか。俺だけじゃなく、周りの人間に対しても」
篠宮は少し目を細めた。
それから、
「今の段階では、危険性はありません」
「今の段階では」という言葉が、蒼汰の耳に引っかかった。
◆
診断は四十分で終わった。
帰り際、廊下で白銀の髪が見えた。
白瀬凜だった。別の部屋から出てきて、蒼汰と目が合った。
凜は少し頷いた。蒼汰も頷いた。それだけで、二人は別の方向に歩いた。
(凜さんはADRと何の関わりがあるんだろう。でも今日は聞けなかった)
エレベーターを降りて、雑居ビルの外に出た。
秋の午後の路地裏。人通りが少ない。
篠宮の「今の段階では」という言葉が頭から離れない。
そのとき、後ろから声がかかった。
「おい、ちょっといいか?」
低い、よく通る声だった。
◆
振り返ると、男が立っていた。
二十代半ばくらい。
刈り上げた黒髪、茶色い目。
がっしりした体格で、首から上に細かい傷跡がいくつかある。
腕も同じだ。右手の甲に、古い火傷の跡が薄く残っている。
ジーンズと黒いジャケット。
冒険者の装備は持っていないが、動きやすい格好をしている。
なんとなく、強い人間の雰囲気があった。
「あんた、今ADRから出てきたな」
「……そうですけど」
「Fランクの冒険者が再診断を受けるのは珍しい。スキルに何かあったか」
(なんで知ってるんだ。というかこの人は何者だ)
蒼汰は少し警戒した。
男はそれを察したのか、軽く両手を上げた。
「敵意はない。俺は神楽槙。Bランクの冒険者だ。ADRの近くでたまにFランクの新人を見張る趣味がある」
「……見張る趣味が、あるんですか?」
「言い方が悪かった。ADRに呼ばれるFランクってのは、だいたい面白いスキルを持ってる。俺はそういうやつを見るのが好きなんだ」
槙はにやっと笑った。
人懐っこい笑い方だった。
警戒がほんの少しだけ解けた。
「夜霧蒼汰です。《影縫い》というスキルを持っています」
「《影縫い》」と槙は繰り返した。「見せてみろ」
(いきなりだな)
でも蒼汰は短剣を抜いて、路地裏の地面に自分の影を落とした。
影縫いを発動して、影の端を伸ばし、剥がして、手の中に浮かべた。
槙は黙って見ていた。影が五秒で霧散した。
槙はしばらく何も言わなかった。それから、
「素質あるぞ、それ」
と言った。
(……素質?)
「欠陥スキルって言われてます」
「言ったやつが馬鹿だ」
槙は即答した。
「影を縫う、ってのはな、動きを止めるだけじゃない。
縫い方次第で、繋ぐこともできるし、切ることもできる。
お前はまだそこまで気づいてないだろうが、
そのスキルには、戦闘の根幹を変える可能性がある」
(戦闘の根幹を変える……?)
蒼汰は呆気に取られていた。
初対面の人間に、ここまで断言されたことがなかった。
篠宮はどこか含みを持たせた言い方をしたし、悠や桜花や凜は「面白い」「相性がいい」と言ってくれたが、「素質がある」と言い切った人間はいなかった。
「どうしてそう思うんですか…?」
「俺の《剛拳》はただの強打だ。でも俺は『打ち方』を変えることで、壁を砕いたり、人を傷つけずに吹き飛ばしたり、地面を割って足場を崩したりできるようになった。スキルの名前は変わらない。使い方が変わるだけで、できることが全然違う」
「……つまり」
「《影縫い》の使い方を、お前はまだ十分の一も知らないってことだ。そしてそれが、楽しみだってことだ」
槙は蒼汰の顔を見て、もう一度笑った。
「Fランクにしちゃあ、目つきがいいな!」
(目つき)
(悠にも言われた。目が変わった、って。霧島さんに会ってから、俺は変わったんだろうか)
「俺と組んでみる気はないか」
「依頼を一緒にこなすんじゃない。訓練だ。俺がお前を鍛えてやる。ただし、俺の言うことを聞ける根性があればの話だが」
(訓練。この人が、俺を鍛えてくれる?)
断る理由が、なかった。
「……お願いします」
槙は「よし」と言って、右手を差し出した。
蒼汰は握り返した。
手が大きかった。傷だらけの、でも温かい手だった。
(この人と一緒にいたら、強くなれる気がする。根拠はない。でも確信があった)
◆
「一つだけ聞いていいですか?なんで俺みたいな最弱を鍛えようと思ったんですか?」
槙は少し空を見上げた。
秋の雲が流れている。
「昔、俺も誰かに拾われたんだ。路地裏で、情けない顔して座ってた俺を。そいつが『目つきがいいな』って言ってくれて、鍛えてくれた」
「その人は今も」
「死んだ。ダンジョンで」
槙はあっさり言った。
後悔でも悲しみでもなく、ただ事実として言った。
でも目は、少し遠くを見ていた。
「だから俺も、同じことをしてやろうと思ってる。拾ってもらったぶんは、別の誰かに返す。それだけだ」
(……槙さん)
蒼汰は何も言えなかった。
ありがとうございます、と言いたかったが、なんか違う気がした。
だから黙って、もう一度だけ頷いた。
槙は「明日の朝六時、協会の裏の公園に来い。遅刻したらその日は終わりだ」と言って、ジャケットのポケットに手を突っ込んで歩き去った。
蒼汰はその背中を見送った。
(拾ってもらったぶんは、別の誰かに返す)
(俺も、いつかそういう人間になれるだろうか)
路地裏の夕暮れに、蒼汰の影が長く伸びていた。
今日、三人の人間が《影縫い》に可能性を見てくれた。
(霧島さんに追いつく道が、少しだけ見えてきた気がする)
蒼汰は歩き出した。明日の朝六時に向けて、今夜は早く寝ようと思いながら。
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