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最弱冒険者は、あの背中に手を伸ばしたい  作者: あっかんべー
第一章:最弱冒険者の再出発

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第10話「白瀬凜と、氷の通路」

本日ラストになるかと思います。

ADR再診断の前日だった。


蒼汰はその日、珍しくEダンジョンの新規開拓区画に足を踏み入れていた。

正確には「新規開拓区画への入り口付近で依頼をこなすつもりだったが、気づいたら奥まで来ていた」だ。


(また迷ったのか、俺)


E層の通常区画は見慣れた構造だが、新規開拓区画はまだ協会の地図が完成していない。壁が多く、曲がり角が複雑で、蒼汰が得意とするタイプの地形ではなかった。要するに、方向感覚が弱い。


三十分ほど歩いて、行き止まりに突き当たった。


石造りの壁。

行き止まりの表示もなく、ただの壁だ。

引き返そうとして振り返ると、後ろの通路の形が来たときと違う気がした。


(…………迷子だ)


蒼汰は壁に背をつけて、静かに状況を整理した。

スマホの電波はない。

協会の緊急ビーコンは腰のポーチにある。

使えば救助が来るが、「新規区画で道に迷った最弱Fランク」という記録が残る。

それはできれば避けたかった。


(落ち着け。影を使って、来た道の痕跡を探せば)


そのとき、通路の奥から足音がした。



足音は一定のリズムで近づいてきた。

焦りがない。

迷っている感じもない。

ただ静かに、こちらへ向かってくる音だ。


角を曲がって現れたのは、少女だった。


白銀の長い髪が、揺れずに背中に流れている。

身に纏っているのは白に近い淡い藍色のローブで、腰に薄い魔導書を提げている。

目は紫色で、感情の色が読みにくい。身長は蒼汰より少し低い。

年齢は十代後半から二十代前半のあいだに見えた。


少女は蒼汰を見た。


蒼汰も少女を見た。


沈黙が三秒ほど続いた。


少女が口を開いた。


「道に迷っているの?」


声は低くて静かで、抑揚が少なかった。

断定でも疑問でもなく、ただ事実を確認している口調だった。


蒼汰は「……迷いました」と正直に答えた。


少女はしばらく蒼汰を見ていた。

値踏みでも同情でもなく、観察しているような目だった。

それから視線を通路の奥に向けて、


「出口はこっち」


と言って、また歩き始めた。


(……案内してくれるのか?)


「あの、案内してもらえるんですか?」


少女は振り返らずに答えた。


「案内は別に。ただ、同じ方向なだけ」


(そういうことか。まあ、ありがたくついていこう)



少女の後を歩きながら、蒼汰は少し観察した。


歩き方が整然としている。

無駄がない。

通路の幅が変わるたびに自然に位置を調整していて、それが訓練の結果なのか天性なのかわからないが、とにかく「慣れている人間」の動きだった。

ランクはおそらくCかB。もしかしたらそれ以上かもしれない。


(何者なんだろう。白銀の髪って珍しい。混血かな)


「名前、聞いてもいいですか」と蒼汰は言った。


少女は少し間を置いてから、


白瀬凜しらせりん


と答えた。


「夜霧蒼汰です。Fランクで、一応冒険者です」と蒼汰が続けると、凜はちらっと後ろを向いた。


「知ってる」


「え」


「協会の掲示板で名前を見た。スキル再診断の予約が入っている人間の名前に記憶があった」


(掲示板……そんな情報、出てるのか。というか凜さんはなぜそれを覚えていたんだ)


「なんで覚えてたんですか」と聞くと、凜は前を向いたまま、


「《影縫い》という名前が珍しかったから」


と言った。それきり黙った。


(俺のスキルを珍しいと思ってくれた人、初めてだ。欠陥と言われてばかりだったから)



しばらく歩いたとき、通路の分岐に差し掛かった。

左右どちらに行くか、蒼汰には判断できない。凜は迷わず右に曲がった。


その直後、分岐の影からガズが一体飛び出してきた。


個体名「ガズ・ソム」。小柄で素早い斥候型だ。奇襲を得意とする。


蒼汰は反射的に前に出た。


「《影縫い》!」


ガズ・ソムの影を縫い止めた。


三秒。


蒼汰が短剣を抜いてソムの核に向かう。


だが固定が切れる前に、凜がすっと手を伸ばした。


指先から細い冷気が出て、ガズ・ソムの足元の床が瞬時に凍った。

固定と凍結が重なって、ソムが完全に動けなくなる。

蒼汰の短剣が核に届いた。

ガズ・ソムが光の粒子になって消える。


一秒もかからなかった。


蒼汰は凜を見た。

凜は手を下ろしながら、もう次の通路に視線を向けていた。


「凜さん……今の、何ですか?」


「《氷幕》の派生。範囲を絞った結晶化」


「すごいですね」


凜は少しだけ蒼汰の方を見た。


「あなたの影縫いと、相性がいい」


(相性がいい、か。確かに。影で動きを止めて、さらに凍結で固定を重ねれば……)


(そういうことを、この人はすぐに見抜くんだな)


蒼汰が「そうですね」と答えると、凜はまた前を向いて歩き出した。



出口に近い通路まで戻ってきたとき、凜が足を止めた。


壁際に小さな水たまりがあった。

ダンジョンの染み出した水だ。

凜はそれを見て、右手をかざした。


水たまりが凍った。

薄い氷の板になって、床に広がった。


凜は蒼汰を見た。


「足元が滑りやすいから。踏まないで」


蒼汰は頷いて、氷の板を迂回した。

凜がそれを作ったのは、蒼汰に注意を促すためだったのだとわかった。

直接「危ない」と言うのではなく、氷を作って示した。


(不思議な人だ。言葉は少ないのに、行動が丁寧だ)


凜はほとんど話さなかった。

でも通路が暗くなるたびに、手の先から薄い氷の結晶を浮かべて足元を照らした。

蒼汰のために。

そのことに、凜は何も言わなかった。

蒼汰も、気づいていなかった。


出口の光が見えてきた。


蒼汰は「助かりました、ありがとうございます」と言った。

今度は凜は「別に」とは言わなかった。少しだけ間を置いて、


「明日、ADRの再診断でしょう」


「……はい。なんで知ってるんですか?」


「火曜日の予約欄に名前があった。私も同じ時間帯に研究棟に用がある」


(ADRに用がある? 凜さんはADRと関わりがあるのか)


「そうなんですか。もしかしたらまた会いますね」と蒼汰が言うと、凜は少しだけ目を細めた。


感情が読みにくい目だった。

でも蒼汰には、その目が少しだけ和らいだように見えた。

気のせいかもしれない。


「……会うかもしれない」


凜はそれだけ言って、出口の階段を上っていった。

白銀の髪が揺れて、光の中に消えていった。


蒼汰はしばらくその場に立っていた。


(白瀬凜。《氷幕》。物静かで、観察眼が鋭くて、行動が丁寧な人だ)


(俺のスキルを「珍しい」と言ってくれた。「相性がいい」と言ってくれた)


胸の中に、じんわりとした温かさがあった。


(欠陥って言われてきたのに、今日は二人に「面白い」「相性がいい」って言ってもらった日だ)


(……悪くない一日だった)


蒼汰は階段を上った。


地上の秋の空気が、ひんやりと清々しかった。


それはちょうど、凜の指先から出ていた冷気に似た温度だった。

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