第10話「白瀬凜と、氷の通路」
本日ラストになるかと思います。
ADR再診断の前日だった。
蒼汰はその日、珍しくEダンジョンの新規開拓区画に足を踏み入れていた。
正確には「新規開拓区画への入り口付近で依頼をこなすつもりだったが、気づいたら奥まで来ていた」だ。
(また迷ったのか、俺)
E層の通常区画は見慣れた構造だが、新規開拓区画はまだ協会の地図が完成していない。壁が多く、曲がり角が複雑で、蒼汰が得意とするタイプの地形ではなかった。要するに、方向感覚が弱い。
三十分ほど歩いて、行き止まりに突き当たった。
石造りの壁。
行き止まりの表示もなく、ただの壁だ。
引き返そうとして振り返ると、後ろの通路の形が来たときと違う気がした。
(…………迷子だ)
蒼汰は壁に背をつけて、静かに状況を整理した。
スマホの電波はない。
協会の緊急ビーコンは腰のポーチにある。
使えば救助が来るが、「新規区画で道に迷った最弱Fランク」という記録が残る。
それはできれば避けたかった。
(落ち着け。影を使って、来た道の痕跡を探せば)
そのとき、通路の奥から足音がした。
◆
足音は一定のリズムで近づいてきた。
焦りがない。
迷っている感じもない。
ただ静かに、こちらへ向かってくる音だ。
角を曲がって現れたのは、少女だった。
白銀の長い髪が、揺れずに背中に流れている。
身に纏っているのは白に近い淡い藍色のローブで、腰に薄い魔導書を提げている。
目は紫色で、感情の色が読みにくい。身長は蒼汰より少し低い。
年齢は十代後半から二十代前半のあいだに見えた。
少女は蒼汰を見た。
蒼汰も少女を見た。
沈黙が三秒ほど続いた。
少女が口を開いた。
「道に迷っているの?」
声は低くて静かで、抑揚が少なかった。
断定でも疑問でもなく、ただ事実を確認している口調だった。
蒼汰は「……迷いました」と正直に答えた。
少女はしばらく蒼汰を見ていた。
値踏みでも同情でもなく、観察しているような目だった。
それから視線を通路の奥に向けて、
「出口はこっち」
と言って、また歩き始めた。
(……案内してくれるのか?)
「あの、案内してもらえるんですか?」
少女は振り返らずに答えた。
「案内は別に。ただ、同じ方向なだけ」
(そういうことか。まあ、ありがたくついていこう)
◆
少女の後を歩きながら、蒼汰は少し観察した。
歩き方が整然としている。
無駄がない。
通路の幅が変わるたびに自然に位置を調整していて、それが訓練の結果なのか天性なのかわからないが、とにかく「慣れている人間」の動きだった。
ランクはおそらくCかB。もしかしたらそれ以上かもしれない。
(何者なんだろう。白銀の髪って珍しい。混血かな)
「名前、聞いてもいいですか」と蒼汰は言った。
少女は少し間を置いてから、
「白瀬凜」
と答えた。
「夜霧蒼汰です。Fランクで、一応冒険者です」と蒼汰が続けると、凜はちらっと後ろを向いた。
「知ってる」
「え」
「協会の掲示板で名前を見た。スキル再診断の予約が入っている人間の名前に記憶があった」
(掲示板……そんな情報、出てるのか。というか凜さんはなぜそれを覚えていたんだ)
「なんで覚えてたんですか」と聞くと、凜は前を向いたまま、
「《影縫い》という名前が珍しかったから」
と言った。それきり黙った。
(俺のスキルを珍しいと思ってくれた人、初めてだ。欠陥と言われてばかりだったから)
◆
しばらく歩いたとき、通路の分岐に差し掛かった。
左右どちらに行くか、蒼汰には判断できない。凜は迷わず右に曲がった。
その直後、分岐の影からガズが一体飛び出してきた。
個体名「ガズ・ソム」。小柄で素早い斥候型だ。奇襲を得意とする。
蒼汰は反射的に前に出た。
「《影縫い》!」
ガズ・ソムの影を縫い止めた。
三秒。
蒼汰が短剣を抜いてソムの核に向かう。
だが固定が切れる前に、凜がすっと手を伸ばした。
指先から細い冷気が出て、ガズ・ソムの足元の床が瞬時に凍った。
固定と凍結が重なって、ソムが完全に動けなくなる。
蒼汰の短剣が核に届いた。
ガズ・ソムが光の粒子になって消える。
一秒もかからなかった。
蒼汰は凜を見た。
凜は手を下ろしながら、もう次の通路に視線を向けていた。
「凜さん……今の、何ですか?」
「《氷幕》の派生。範囲を絞った結晶化」
「すごいですね」
凜は少しだけ蒼汰の方を見た。
「あなたの影縫いと、相性がいい」
(相性がいい、か。確かに。影で動きを止めて、さらに凍結で固定を重ねれば……)
(そういうことを、この人はすぐに見抜くんだな)
蒼汰が「そうですね」と答えると、凜はまた前を向いて歩き出した。
◆
出口に近い通路まで戻ってきたとき、凜が足を止めた。
壁際に小さな水たまりがあった。
ダンジョンの染み出した水だ。
凜はそれを見て、右手をかざした。
水たまりが凍った。
薄い氷の板になって、床に広がった。
凜は蒼汰を見た。
「足元が滑りやすいから。踏まないで」
蒼汰は頷いて、氷の板を迂回した。
凜がそれを作ったのは、蒼汰に注意を促すためだったのだとわかった。
直接「危ない」と言うのではなく、氷を作って示した。
(不思議な人だ。言葉は少ないのに、行動が丁寧だ)
凜はほとんど話さなかった。
でも通路が暗くなるたびに、手の先から薄い氷の結晶を浮かべて足元を照らした。
蒼汰のために。
そのことに、凜は何も言わなかった。
蒼汰も、気づいていなかった。
出口の光が見えてきた。
蒼汰は「助かりました、ありがとうございます」と言った。
今度は凜は「別に」とは言わなかった。少しだけ間を置いて、
「明日、ADRの再診断でしょう」
「……はい。なんで知ってるんですか?」
「火曜日の予約欄に名前があった。私も同じ時間帯に研究棟に用がある」
(ADRに用がある? 凜さんはADRと関わりがあるのか)
「そうなんですか。もしかしたらまた会いますね」と蒼汰が言うと、凜は少しだけ目を細めた。
感情が読みにくい目だった。
でも蒼汰には、その目が少しだけ和らいだように見えた。
気のせいかもしれない。
「……会うかもしれない」
凜はそれだけ言って、出口の階段を上っていった。
白銀の髪が揺れて、光の中に消えていった。
蒼汰はしばらくその場に立っていた。
(白瀬凜。《氷幕》。物静かで、観察眼が鋭くて、行動が丁寧な人だ)
(俺のスキルを「珍しい」と言ってくれた。「相性がいい」と言ってくれた)
胸の中に、じんわりとした温かさがあった。
(欠陥って言われてきたのに、今日は二人に「面白い」「相性がいい」って言ってもらった日だ)
(……悪くない一日だった)
蒼汰は階段を上った。
地上の秋の空気が、ひんやりと清々しかった。
それはちょうど、凜の指先から出ていた冷気に似た温度だった。
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