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94/99

―第94章― 千夏が1月を生き永らえる為の理恵の「微光」

 敗北を目前にして、さらに五感が開けてくる。

「右。左。右。右。左」

 奥から震え立つような声で、的確に相手コートの空きを告げる声が聞こえた。

 喧騒の合間に薄く、しかし、はっきりとした声。

 これで声の通りに打ち分ければ、コースを見極めることに使っていた脳のストレージをプレーの正確性に全振りすることができる。

「会場の奥の声に注目して」

 丁度、回ってきた私のサーブの番でサーブの出し方を話し合う振りをして鈴に伝える。

 一瞬、驚いたように口をぽかんと開けて、その後に「分かった」と頷いた。

 意味が伝わったかどうかは分からない。

 けれども、鈴は私の言葉を信じて、頷く。

 ならば、その微かな声が鈴の耳に届いてくれることを祈るだけ。

 球を高く投げ出して、対角線側のコートにフォアで鋭い横回転をかけて打ち込む。

 成功率2割程度の、私にとって高難易度の技。

 1回でもミスったら負けるのに、私は賭けてみたくなってしまった。

 その球は相手コートで変な方向にバウンドする。

 できた。

 安心と興奮が胸を高鳴らせていく。

「左」

 緩く高く返ってきた球に対して、その声がまた空きを告げた。

 鈴はその声に従って、左際にフォアドライブを打ち込む。


 10-10.

 得点を順調に重ねていき、同点に迫る。

「マッチです」

 2点差がつくまでこの試合は続く。

 追い詰められている状況は私達も相手も変わらない。

 その声に従って、私達は必死にラケットを振るう。

 難しいコースに返されても、有効な攻撃手段だったはずのものが返球されても、相手のスマッシュに圧倒されても、私はまだ勝利の可能性があるからと、挫けない。

「決まれ」

 身体に蓄積されていた全ての力を出し切って、バックドライブを振った。

 強い祈りをこめて、力一杯に。

 もし、これが失敗したら、打ち返されたら、私はもうラケットを振るえない。

 疲労はとっくに限界を超えていた。

 振るった手つきのまま私は、恐怖で、つい目を瞑った。

 お願い。

 球がバウンドした音が聞こえたと同時に、会場に歓声が鳴り響いた。

 恐る恐る、目を開ける。

「やったよ。勝ったんだよ」

 鈴からは漲んばかりの喜びが溢れ出て、額に噴き出した汗は美しかった。

 理屈でも、奇跡でもない。

 私達はどうせ、奇跡は起こせない。

 この勝利は努力と絆の称号。


 歓声の中、あの声の先を見つめると、そこには死神の姿があった。

 予想の線がふっと途切れて、呼吸が浅くなる。

 そっか。

 死神さんだったんだ。

「ありがとう」

 心の内で小さく呟いた。


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