―第87章― 千夏が1月を生き永らえる為の飛鷹の「覚熱」
スパイクに履き替えて、青い芝生を踏み込む。
スパイクの異常なほどの軽さも足の感覚もいつも通り。
痛みもないし、準備体操も万全。
だから、怪我をする可能性は限りなく低い。
大丈夫だと自分に言い聞かせて深く息を吸う。
横に立つ隼人は、時折俺の方を見ながら、相手コートのゴール付近を睨みつけていた。
会場に甲高く、ホイッスルが鳴り響く。
相手チームの選手がコート中央からキックオフを行った。
そのボールは円の中を転がり、こちら側のフィールドへ蹴り出される。
ゴールの数歩手前でその選手と側にいた隼人は向かい合った。
2人とも視線を落として、僅かな隙を狙う。
その間には緊張が張り詰めていて、観客全体の熱い視線が集まっている。
相手がほんの少しボールを前に出した瞬間、隼人がスッと相手の間合いに足を伸ばした。
音はほとんど聞こえない静かなプレー。
そのプレーに光を覚えた。
ボールの向きが変わり、相手の体勢が僅かに崩れる。
相手からボールを奪い取った快感が思い出され、足が疼きだす。
いつの間にか、俺の足はゴールラインに向かって無意識に駆け出していた。
ハーフウェイライン、センターサークルを越えて、他選手を横切っていく。
光景が揺れていた。
その瞬間、フィールドの反対側にいる隼人と目が合ったような気がした。
その眼差しは怯えている俺をどこか煽るような目つき。
ボールがこちらに向かってくる。
白い面と黒い面が高速で回り、淡い灰色の球体に映る。
そのボールめがけて、俺の足はさらに加速した。
周囲の雑音が遠のいていき、視界が急激に開けていく。
世界の色彩が一段と鮮やかに、輪郭が鋭く際立って見えた。
ボールがあと一歩の目の前に来る。
気を抜かず、スピードを緩めることなく、ボールを受け止める。
着地一歩目がドリブルの加速に変わり、追手を物ともせず、ゴールへ一目散に駆けた。
ゴールキーパーとの一騎打ち。
逆サイドに待ち構えるチームメイトの方をわざとらしく見つめて、相手の視線を誘い出す。
目が合って、チームメイトはパスが来るという期待を込めた眼差し。
が、俺はその期待を裏切って、ボールを振り蹴る。
ゴールが揺れ、親指の皮膚は僅かに痺れていた。
ボールはフィールドの全体をダイナミックに転がっていく。
高揚感が増していく。
思いっきり走って、ボールを、ストライカーを追いかけて、疲れるけど、楽しい。
この快感を待っていたかのように心が滾っていく。
これまでのサッカー以外の全ての興奮が色褪せて感じる。
俺はこの興奮が好きだ。
ただこの興奮のために生きているのだと、この時確信した。




