―第65章― 私が11月を生き永らえる為の千夏の「焦慮」
「千夏。調子どう?」
その声に鉛筆を走らせていた手を止めて、向き直る。
「うん。大丈夫だよ」
椅子に座りながら、小刻みに膝や指を揺らして、心躍らせる鈴の姿が視界に入った。
「収穫祭の準備、順調?」
「うん。順調だよ。昨日、収穫祭のシンボルの入場口も完成して、私が考えた企画の食べ比べもサツマイモ農家の根岸さんに品種ごとの特徴と美味しい食べ方を教えてもらって、形になってきたよ」
鈴の声に拍車が掛かり、早口になっていく。
「そっか。なら、よかった」
受験生の5人の負担になっているのではと、罪悪感を抱いていたから、少しでも楽しさを感じているようで心が緩んだ。
「じゃあ、また今度ね」
手を振って、鈴が病室から去っていく。
「うん。また」
その背中が見えなくなってから、私はまた理恵に貸してもらった教科書で勉強を再開する。
分数の足し算、引き算。
分母を通分して、分母の値を等しく書き直していく。
収穫祭まではあと1日。
5人の話を聞く限り、一人一人が自分の企画したイベントに向けて動き、会場の設営、食材の手配、当日のスケージュール調整など細かい部分の計画まで練って、順調に進んでいるようだ。
「成功するといいな」
呟いた言葉が窓から入る日光に照らされて、煌めいた。
綺麗と思ったのも束の間、眩しい光が目の奥を突き刺して、私は咄嗟に目を背けた。
その瞬間、通知音が鳴って、スマホを開いた。
鈴からのメッセージ。
「入場口の強度が低かったのか今日の強風で壊れて、なんかいいいアイデアないかな」
慌てて打ち込んだのか、読点が少なく、誤字がある。
どうしよう。
その現場を目の前で見た鈴の方が大変な筈なのに、ただメッセージ上で見ただけの私がこんなにも慌ててしまっている。
頭の中はぐるぐると同じ言葉を繰り返して、考えようとしても思考が霧に包まれていく。
手元のスマホを見つめるだけで、指が動かない。
何のアイデアも浮かばない。
どうしよう、という言葉だけが胸の奥で何度も何度も波のように打ち寄せていた。
「千夏ちゃん。体調どう?」
看護師さんが優しい声で様子を見に入ってきた。
窓から差し込む柔らかな光が白いカーテンを照らし、静かな病室に暖かな空気を運ぶ。
スマホを布団の上に置くと、バックに取り付けられたCのイニシャルが入ったアルパカのキーホルダーがふと目に入った。
そのキーホルダーをくれた心葉ちゃんの退院のお祝い会の思い出。
急遽決まった退院。
それでもお祝いがしたくて、同年代の子供達を集めて、色とりどりの風船を膨らませては束ね、大きなアーチを作り上げた。
そのアーチをくぐる心葉ちゃんの目からは感動の涙が滲み出て、とびきりの笑顔を浮かべていた。
「いつも通り元気ですよ」
過ぎ去っていく看護師さんの背中を軽く見送って、私は再びスマホを手に取った。
「風船アーチはどうかな」
「たくさん膨らませた風船を束ねて、アーチに取り付ける感じで、結構手早くできると思うよ」
打ち込んで送信。
「いいね。隼人に伝えてみる」
早速返信がきて、頬が緩む。
「採用だって。養護施設の子供たちにも協力してもらって、現在、風船膨らませ中」
可愛いスタンプを添えて、送られてきた文章に嬉しさが溢れる。
素敵な収穫祭になってくれることを願いながら、私はそっとスマホを閉じた。




