―第51章― 何気ないことを褒められた為の隼人の「喜悦」
千夏が倒れている状況を目にしたら、もっと動揺するものと思っていたのに、まるで自分を外側から見ているように冷静だった。
どこか、千夏は気にしなくてもいいことは気にせず、気ままに生きていける奴なのだと思っていた。
俺が千夏と初めて会ったのは、中2の1学期の始業式の日。
1年生の時から不登校の子という事で、名前だけ知っていたけれど、その姿を見るのは初めてだった。
「久しぶりに来てくれた生徒がいるので、じゃあ一ノ瀬さん自己紹介お願いします」
先生に促されて、隣の席に座っていた初めて見た女子が立ち上がる。
「初めまして。一ノ瀬千夏です。4年ぶりに学校に来たので、分からないことも多いですが、優しく教えてくれると嬉しいです。これからよろしくお願いします」
少し緊張しながらも、たゆみなく口を動かす。
礼を終えて、頭を上げた彼女は喜びに溢れた表情をしていた。
「一ノ瀬さんはある事情で長い間休んでいたから、みんな何か聞かれたらちゃんと答えてあげてね」
先生が教壇に戻って、俺に号令を促す。
いつも通りに号令をかけ終わると、教室は笑い声と机を動かす音で満ち、小さな嵐のように騒がしくなる。
隣の千夏は様子を窺うように、周りを見渡していた。
俺の周りには去年の同じクラスの奴や部活仲間などが群がってきていた。
「隼人。今年も同じクラスじゃん」
無理矢理に肩を組んできて、苦笑いながらはにかむ。
自由気儘なのか、他の知り合いを見つけるとまた過ぎ去っていく。
自分の周りが静かになり、千夏が逡巡している先に手を伸ばした。
「俺、鈴木隼人っていうから。何か分からないことがあったら訊いてね」
何で、声を掛けたのかと問われれば、なんとなく自分のポジション的にそうするべきだろうと思ったから。
その言葉に千夏は戸惑いながらも微笑みを返し、「ありがとう」と呟いた。
案の定、その年も学級代表を任されて、互いに協力し合って楽しく過ごせるクラスというような軽いスピーチをした。
「じゃあ、今年度もよろしくお願いします」
そう言って、スピーチを締めくくると早々、千夏が感激交じりの拍手をくれた。
こんな軽いもので、心を動かされるなんてヤバいだろ。
そう思う反面、少し嬉しかった。
小学校から今まで学級代表のようなものをずっとやってきて、簡単にこなせるのが当たり前で、上手くいっても褒められることはないし、変に間ができたら「どうしたん?」って怪しまれる。
だから、「いいね」という、ただの一言の誉め言葉が異様に安心して、心が安らいだ。
それから数ヶ月して、千夏はクラスに馴染んでからも、みんなが当たり前に扱うことを毎回のように褒めてくれた。
数学の簡単な問題を解いた時とか、バスケでゴールを決めた時とか。
嬉しかったし、やらなければいけない、頑張らなければいけないことに張り合いが生まれていった。
そうやって褒めてくれるのは千夏が人を気にせずにポジティブな感情を共有することが楽しいのだと思っていた。
けれど、それは気にしなくていいことを気にするからこその行動だと知った。
「そうだよな」と呟いて、その瞬間、胸の奥で何かが音もなく解けた。




