―第33章― 部活動の引退試合の為の鈴の「高揚」
6月24日、火曜日。
目覚まし時計の液晶パネルに表示された数字を噛み締めて、私は布団から起き上がった。
心が震える。
自分が高揚していることを感じる。
目標としてはベスト32、3回戦出場くらいかなんて考えながら、綺麗に勝ち進んでいく自分を妄想したりして。
まだ、呆気なく敗れ去る未来を知らないから、その時はまだいい未来に酔いしれていた。
部員全員で電車に揺られる。
美奈が作ってきたフエルトの可愛らしいキーホルダーに想いを馳せて、青春っぽいことをできている嬉しさに浸る。
車窓を通り過ぎていく景色をいつもよりも深く捉えて、自分が特別になった気がする。
全く練習をしてこなかった人間が試合本番だけ劇的に、なんてそんなフィクションみたいなことが起こるはずもないのに。
あと数時間後には絶望に苛まれるのだと、負けるのだと分かりながらも、もしかしたらを重く信じてしまっている。
試合会場に着いた私達はチームらしく円陣を組んで、美奈の掛け声で「オーッ」と叫んだ。
すぐに負けるだろうという予測は頭の隅にあるのに、こんな青春らしいことをしたら奇跡が起こるんじゃないかなんて思ってしまう私は馬鹿だ。
多くの学生が行きかっていて、蒸し暑い室内だというのに、手が冬のように冷たい。
自分の体感が暑いのか寒いのかが分からない。
身体は熱く感じるのに、温まって欲しい手だけが一層冷たく縮こまっていく。
簡単に一回戦目は勝てると考えていた自分が一気にみすぼらしく、身の程知らずに感じて醒めていく。
どうしよう。
このままじゃ。
おどおど思考を巡らせるだけで、何の結論にも辿り着けず、焦りだけが増す。
全く顔を出さないくせにこういう時だけは顧問面をする顧問の先生に呼ばれて、緊張した面持ちで理恵と共にベンチに着いた。
理恵は無心に試合をしている選手たちを眺めている。
一体、何を考えているのか、全く読み取れない。
「穂積さん、森田さん」
バインダーに止められたトーナメント表を指さして他校の先生がたどたどしく名前を呼んだ。
その不自然さと返事をしなければ怒られるという事実がより緊張を引き出していく。
「はい」
対戦相手である、他校の1年生ペアの後ろについて行き、空いている台についた。
私達は3年生だからという事と理恵の強さで、部内でのダブルスで一番手になっているから、2回戦目からのシード枠。
台の横についた審判は1回戦の敗者ペアだった。
そして、台の向こう側に立ったペアがそのペアに勝ったペア。
けれど、練習ラリーのラケットの振り方にはまだ稚拙さが残っていた。
1年生だし、きっと勝てる。
大丈夫。
審判の号令に合わせてお辞儀をする。
スッと息を吐いて、球を掴んで真上に投げた。
手首を回して、下回転がかかった球を相手コートに送り出す。
審判が掲げる点数ボードには8対7と、かろうじてリードしている状況が映し出されている。
セットカウントは3セット取ることができれば勝ちの中、2セットを取っている為、勝利は目前にあるものの瀬戸際の緊張感が拳から拭えない。
対戦相手のペアはラリー同様のあどけない素振りを見せているが、点差が開かないのは同じ分私達がミスをしてしまっているからに他ならない。
サーブミスが続き、普段なら簡単に取れるはずの球のタイミングを誤って空振りしてしまうなど、散々なミスを繰り返している。
緊張と焦りが増すにつれて、ミスの量も増えていく。
視界がぼやけて、思考がまとまらなくなっていく中で、どうにかいつも通りに戻ってくれと必死に祈いながら、くしゃくしゃに折り畳まれた感情のままラケットを振る。
理恵のバックドライブの成功率が安定してきた事で1セットも奪われることなく切り抜けられたが、一年生ペア相手にギリギリの勝利。
安心と同時に焦りを感じてしまう。
卓球台の下から水筒やメモ帳などの荷物を取って、審判に挨拶をしてから、学校の応援席に向かう。
「どうだった?鈴」
座席に座ると、シングルスの2回戦目を終えた美奈が笑いかけてきた。
その高く吊り上がった口角から美奈が興奮していることが読み取れる。
「ギリギリだけど勝てたよ。ね、理恵?」
「あ、うん」
理恵はトーナメント表を見つめる手を止めて、小さく頷いた。
理恵は今、何を思考しているのか。
話題が切り替わると、再びトーナメント表を指差して思考を巡らせる。
現時点では、シングルス6人のうち2、3年生それぞれ1人ずつが3回戦に進出し、ダブルスでは3ペアのうち私達ペアの1ペアのみ3回戦(1回戦目はシードだが)に進出している。
私達ペアの2回戦目の相手は前回の関東大会に出場した強豪校の2年生。
彼女達は試合中も冷静で、緊張の色は全く見られなかった。
ラリー中のストロークも強打も全部綺麗で、サーブは台に触れたかと思うと軌道が変わる複雑なサーブを使っていた。
どう考えても、相手の方が技術も経験も勝っている。
勝つ可能性は低いだろうな。
それでも、挑みたい。
ちゃんと練習をしていないくせに、1年生相手に僅差だったくせに、こんな危機的状況なのに、もしかしたらを考えてしまっている。
大丈夫。
無根拠の自信。
「ダブルス3回戦に進出した方は本部に集まって下さい」
アナウンスが流れて、私達2人は歩き出した。
もし、負けたら、後悔なくいられる訳がない。
それでも、大丈夫。
高まっていく鼓動を落ち着けるために大丈夫と唱えて、私は歩き出す。




