―第15章― 千夏を楽しませる為の理恵達の「探訪」
5月4日、みどりの日。
鎌倉校外学習当日の朝が訪れた。
カレンダーを捲って、そのことを認識すると、少し身体が強張った。
緊張している。
忘れ物や遅刻など、ミスをしてしまわないかという考えが回って、楽しむべき行事なのに手は冷たく震えていた。
新幹線が7時発車で、家から最寄駅までが15分、少し余裕を持って6時15分。
そんな胸算用を立てながら、自転車に跨った。
誰もいない、静かな時間帯。
冷たく澄んだ空気が鼻の穴から足先まで流れていく。
通りがかった家の草花。
緑が鮮やかに光り、赤や黄色がコントラストとしてそれを盛り上げる。
いつもは何気なく通り過ぎてしまう草花が今日は一段と愛おしく感じた。
吸い込んだ空気に影響されたのか、校外学習へのワクワクが生んだものなのか、気分は清々しかった。
駐輪場で、前に停めた人を待ってからその横に自転車を停めた。
まだ4人とも来ていない。
30分も早く来たんだから、仕方ないか。
駐輪場から離れて、人目につかなそうな隅に移動する。
千夏から託されたタブレットをリュックから取り出して、タップした。
画面が明るくなって、アプリが飛び出してくる。
特に何をするでもなく、その画面を眺めて時間を浪費していく。
「暇だなあ」
マスクの下から人に聞こえないボリュームで声を出した。
空が薄く真っ青に染まっていて、綺麗だった。
一呼吸するように無意識に、私はスマホのカメラアプリを起動してシャッターボタンを押した。
一画に区切られた碧。
上が濃く、下が薄くのグラデーションで構成された空。
「あ、森田さん。おはよう」
後ろに穂積鈴がいた。
私は小さく会釈を返す。
私の事を理恵と呼ぶのは、隼人と千夏だけ。
他の3人は名字にさん付けで呼んだり、そもそも呼ばれた事がなかったり。
そんな事を考えて、自分のコミュニケーション能力の無さをまた思い知る。
隼人、飛鷹、想空の順で集まって、ホームへ移動する。
ぶら下がった時計は7時15分を指していた。
「まだ余裕があるし、千夏に繋いでおくか?」
隼人の言葉に頷いて、スマホとタブレットを取り出した。
連絡アプリを立ち上げて、千夏に「今から繋ぐね」と送信。
タブレットのズームアプリをタップすると、設定画面が現れた。
カメラの角度調節、音量調節の確認していく。
タブレットの前で、想いを馳せながらスタンバイしている千夏を想像しながら祈った。
入室ボタンを軽くタップ。
繰り出される千夏の表情がコロコロと移り変わっていく。
間に合うかなという眉を歪めた不安そうな顔。
これからの校外学習にワクワクした顔。
久しぶりの非日常を待ち切れない表情。
それらを眺めながら、反対の耳で4人の会話を聞き取っていく。
日程の確認から持ち物の話へ会話が流れていく。
「まもなく2番線に〈あすか〉が参ります。危ないですから、黄色い線の内側までお下がり下さい」
車輪が線路を滑走していく音が鋭く耳に響き、咄嗟にタブレットを線路に向けた。
その新幹線は目の前を心地よく駆け抜けていく。
風圧がいつもより丁寧に整えていた髪を乱して、吸い込まれるようにゆっくりと停車する。
「凄い」
千夏の興奮した声が鼓膜に響いた。
「そうだね。凄く心地いい」
千夏にだけ聞こえる小さめのボリュームで、乱された髪を直さずに頷く。
「席、男女で分かれる感じでいい?」
前の人に促されるまま通路を通っていく最中、隼人に確認されて頷いた。
鈴の隣に座って、荷物を足元に下ろす。
「女子トークだね。こういうの初めてじゃない?」
千夏のテンションが跳ね上がるが、気まずい空気が気遅れしていた。
顔を見合わせて黙り込む。
それも当然。
私と鈴は一対一で話したことがない。
そして、学校の自分を見つめたら、人をずっと俯瞰して軽蔑して見ている嫌な奴。
どうせ、その軽蔑している奴に勝てるのは学力だけで人望も行動力も劣る。
変なプライドを抱えて、それを守り切れるだけの実力がない。
「鈴も理恵も読書好きだよね。せっかくだし、お勧めの本を紹介し合おうよ」
千夏の呼びかけで現実に引き戻されて、私は最近読んだ面白かった本を脳内で連想した。
「じゃあ、私からね」
千夏が大きく手を挙げて、ベッドの横の机に置いてあった本が画面に映る。
本を片手に仏頂面を浮かべる女の子と窓の先を眺めるショートカットの女の子。
その傍ら清純な時間が流れていく。
モノクロームな背景が読書欲を誘い、表紙絵だけで惹かれていく。
「どういうあらすじなの?」
隣に座る鈴も興味津々のようで、椅子から身を乗り出して前のめりに質問していた。
「小説家になりたい少女と陸上部のエースの話だよ。病院の看護師さんが紹介してくれて、お母さんに買ってもらったんだ」
千夏が話し出した言葉はスッと心の奥に溶けていき、好奇心が心を揺らす。
あらすじの説明なのに、吸い込まれるほどその声に夢中になっていく。
「あ、じゃあ、今度は私が」
千夏の話が一段落つき、どちらが先に言うか、探り合う空気になり、鈴が手を挙げてくれた。
同じくらいの年代の少女が家出を経て、学びを得るという内容の青春小説。
鈴も魅力を伝える事が上手かった。
鈴の言葉にも引き込まれて、鈴も私のゆっくりと発していく言葉を聞き逃さないように、一生懸命に聞いてくれた。
千夏以外の人間と話すのが心地よかった。
それも、また意外な事だった。




