―第10章― 千夏が4月を生き永らえる為の飛鷹の「追憶」
「今月のミッションは輪廻転生ルートの補修な。先月の鍵を渡しとくから住民に用具は借りて、整備しといてくれ」
そう言った死神は以前に会った時とは違い、血色もよく元気が漲っていた。
「前みたいなズルはないんだよな」
軽口を叩くと、死神は別人のように悪い笑みを浮かべて、「さあ、どうかな」と口角を引き上げる。
思い詰めていた物が取れたように清々しい微笑み。
死神に促されて、輪廻転生ルートへ辿り着いた。
見た目にはそれほど汚れている訳ではないが、蜘蛛の巣がそこら中に張られていて、入りたくなるような環境ではない。
「じゃあ、整備よろしく頼むよ」
前のミッションよりは筋道が見えているが、相当な肉体労働になりそうだ。
それに、この蜘蛛の巣を取り除く作業は気が重くなる。
「道具を貸してもらいに行くか」
隼人の声で身体に鞭を打ち、「おう」と声を上げた。
10軒ほどの家を周った後、若い夫婦が道具を貸してくれることになった。
人数分のゴム手袋、ほうき、窓拭き、差し入れの飲料水。
まず、一人一人が手袋を装着し、ルート全体に密集している蜘蛛の巣を取り除く。
しつこく絡みつく糸に苦戦しながらも、作業を続けていく。
幸い、5人の中に極度の虫嫌いはおらず、予想以上にスムーズに進んでいった。
入口への抵抗も徐々に和らぎ、少しずつ清潔になっていく。
「次は壁の補修だよな」
隼人がそう呟いたとき、輪廻転生ルートにあった小石に躓いて、俺はよろけた。
視界がぐるりと反転して、「大丈夫か」と問う隼人の声が走馬灯のように遠く響き渡る。
中1の夏、全国中学生夏季サッカー大会のシード枠を争う試合で、俺は怪我をした。
「3ヶ月間完全に休みなさい」
白衣の医師の言葉はまるで鋼鉄の扉が閉まるように心に重く響き渡る。
靭帯損傷。
全治3ヶ月。
他人にとっては数えるほどの短い期間。
だが、俺にとって積み上げてきた努力が一瞬で凍りつき、崩壊していく宣告に他ならなかった。
ベッドの上で固定された右足を見下ろすたびに焦燥と絶望が渦巻く。
中1にして、強豪チームのレギュラーの座を掴んだ俺にとって、3ヶ月のブランクは耐えきれなかった。
一瞬でも立ち止まれば、積み重ねてきた努力は水の泡となり、他の誰かにレギュラーの座を奪われる。
きっと、俺はチームメイトがボールを追いかけているのを眺めているだけなんて耐えられない。
だから、人一倍練習を積み重ねてきたのに、よりによってレギュラーを掴んだ瞬間。
浮かれていた、スターになれると思っていた俺を打ち砕くようにその怪我の宣告は成された。
グラウンドの喧騒、仲間達の笑い声、ボールがネットを揺らす快感。
その当たり前だった全てが遠く、羨ましく聞こえる。
頭の中では俺のレギュラーを掻っ攫っていくライバルの残像がちらつき、焦燥の波に呑まれていく。
「このままじゃ、レギュラーを取られる」
日に日に増していく不安と焦りが心を蝕み、休養を命じられた身体は練習を求めて疼く。
過去の努力が指の合間から零れ落ちていくその感覚に俺は耐え切れなかった。
医師の忠告を無視して、その不安と焦りを誤魔化すように必死にボールを追いかけた。
「痛い」
まだ完全に治り切っていない足首が悲鳴を上げる。
関節が軋み、汗が滲む。
それでも歯を食い縛って、強引に痛みを捩じ伏せて、ボールを追いかけ続けた。
誰もいない深夜の公園で、俺はそれを永遠に続けた。
レギュラーへの執着と他のメンバーへの劣等感。
自分が思い描く方向に転がっていたボールは呆気なくコートの外へ逃げていく。
自分の弱さを認めたくない苛立ちを俺は一番近くにいたチームメイトにぶつけた。
練習後、俺の怪我によって出場機会が増えた同級生。
自分の無力さを認めたくないが為に、弱さを隠す為に、俺はそいつに暴言を浴びせた。
唖然としていた相手の顔に、怒りのまま、身勝手に拳を投げつけた。
3ヶ月後。
ついに怪我が完全に治り、グラウンドに戻る許可を得た。
ユニフォームに袖を通し、久々に練習場に立つ。
しかし、そこは以前知っていた場所とは全く違っていた。
「よぉ、戻ったか」という温かい言葉は誰からもなく、チームメイト達の間に流れる空気は重く冷たい。
練習の指示の伝達も自分だけ伝えられない。
ボールを要求しても、パスは来ない。
ボールを持つと、メンバーは一歩引いて様子を伺う。
俺は存在しないように扱われ、チームは俺がいない3ヶ月の間に俺に頼らない連携を築いていた。
ベンチで水分補給をするチームメイトの輪から遠く離れた場所に立つ。
孤立無援。
瞬く間にチーム内に同級生を殴った噂は広がって、僅かな優しさも気遣いも亀裂と共に消えていた。
3ヶ月間、努力が消えていくのを恐れて必死に守り抜き、痛みと引き換えに維持した技術は何の意味も為さなかった。
最強だと思っていた自分が堕ちていくのに耐えられなかった。
俺はサッカーを辞めた。
器用に休めと言われて、休める奴だったら。
レギュラーを取られても、また取り返せばいいなんて切り替えられる奴だったら。
こうはならなかったのだろうか。
俺はどうせ不器用に藻掻くことしか出来なかった。
目を開けると、ふかふかの布団の中にいた。
柔らかな夕方の光が窓から差し込み、部屋の中を優しく包む。
「起きたか。飛鷹」
4人が駆け寄ってきて、眉をひそめて青ざめた顔を浮かべた。
その表情に虚しさが走り、胸の奥に沈んでいた針が静かに動き出す。
詰まっていた何かが解ける感覚が身体に広がり、ふっと息をついた。
「ただの寝不足だよ」
むくりと起き上がって、ミッションへ向かおうとすると、隼人に止められた。
「だとしたら、尚の事、寝てろ」
行く手を阻んだ彼の薬が握られていた。
隼人の一文字に結ばれた口元に、詰まっていた感情が緩く解れていき、千夏の残像が蘇る。
彼女の笑顔がまるで風のように吹き込む。
孤立していた俺に笑い掛けてくれた千夏のあどけない柔らかな笑顔。
その温かさが今も胸に灯っていた。
「そうだな。頼むよ」
この一言が言えたら、俺は違っていたのかもしれないな。
布団に潜り込んで、去っていく4人の背中を見つめた。
「ねえ、飛鷹君だよね。サッカー好きなんでしょ。サッカー、私に教えてよ」
孤独を認めないように必死になっていたあの時の俺に、暖かい笑顔が広がった感覚。
千夏のためにも、頑張んねえとな。
俺はそのまま目を閉じた。
静かに決意が心に芽生えた。




