おいしいのに。おしい!?
昨日。
ホテルの夕食で食べた素麺が。
あまりにも美味しくて。
こっそり調べていた私。
ホテルがある瀬田町に。
『松寿庵』という素麺屋さんを見つけた。
住宅街にひっそり佇む。
日本家屋のお店。
人気のようで。
私たちの前に。
お客さんが二組待っていた。
「大丈夫? けんくん」
「ええ。よく生きてここに着けたと。自分を労っている所です」
「確かに、あの坂道下るの怖かったよね」
「ええ。行きはよいよい、帰りは怖いを、地でいってる道でしたよ」
西龍寺へと続く勾配の山道。
一度。
切り返しで。
そのまま森へと。
突っ込みそうになった……
私が運転してたら……
ぶるぶるっと。
悪寒が走る。
グー……
けんくんのお腹が。
悲鳴をあげている。
「失敬……」
「私も、お腹ぺこぺこだから。気にしないでいいよ」
それもそのはず。
天ぷらかな。
香ばしい。
食欲をそそる匂いが。
この辺りに居座っている。
「お待たせしました」
声をかけてきたのは。
エプロン姿の女の子。
ミディアムボブがよく似合う。
かわいい子。
年は同じくらいか。
高校生くらいか。
ん?
目が合った瞬間。
その漆黒の瞳に。
吸い込まれそうに。
ううん。
私の心が――
見透かされているような。
気がした。
ん?
女の子は。
少しだけ首をかしげた。
でも。
すぐに。
笑顔をまとう。
「どうぞ」
片手で暖簾をあげて。
私たちを店内へと促した。
入り口そばの。
空いているテーブル席に腰かけた。
「ご注文が決まりましたら、呼んでください」
会釈をする女の子に。
「天ぷら定食二つで」
すかさず。
けんくんが注文してくれた。
予め。
お店のサイトを見て。
決めていたから。
「はい。少々お待ちください」
「お冷やになります」
入れ代わりでやって来た茶髪の女の子が。
グラスを置いて。
軽やかに去っていく。
うーん。
かわいいなぁ。
店内はこじんまりとしていて。
お客さんは。
観光客。
地元の人。
半分くらいずつ。
カウンターの向こう。
厨房では湯気が上がり。
数人のスタッフが。
調理に当たっている。
「へえ。俳優の津山勲や女優の杵築八雲も来てるみたいですよ」
「ん?」
けんくんは。
おしぼりで手を拭きながら。
私の背後を指差した。
振り返ると。
レジカウンターの奥の壁に。
額に入ったサイン色紙が飾られていた。
「いいなぁ、私も会ってみたい」
「ですね。津山さんは時代劇の大御所、杵築さんは新進気鋭だけど、時代劇に出ていますからね」
「うん。津山さんも八雲ちゃんも、立ち居振舞いがきれいなんだよね」
「まさにです」
パン!
けんくんは。
我が意を得たり。
と。
言わんばかりに。
手を叩いて。
親指を立てた。
「お待たせしました、天ぷら定食です」
料理を運んできたのは男の子。
私とけんくんの前にトレーを置く。
ん?
なんとなく。
川勝さんに目鼻立ちが似ている。
「旨そうですね、ゆうさん」
「ん? ああ、そうだね」
「しんいちろう!」
厨房から飛んできた陽気な声。
「はい! ごゆっくり」
名前を呼ばれた男の子は一礼して。
おっとり刀で。
厨房の中に入っていった。
しんいちろう?
川勝さんは。
京一郎。
兄弟?
とかかな?
けんくんも。
健一郎だけとね。
「いただきます」
けんくんは。
素麺を箸で摘まんでいた。
私も。
食べよ。
透明なガラスの器に盛り付けられた。
真っ白な細い糸のような素麺。
氷を添えられて。
光沢のある表面が。
涼やかに光っている。
「いただきます」
両手を合わせて箸を取った。
つまみあげた。
つるつるの素麺を。
めんつゆにつけて。
口に運ぶ。
「おいしい!」
「これ、お代わりできますね」
頬を膨らませて。
満足気に微笑むけんくん。
「ご馳走さま」
背後から聞こえた女性の声。
あれ?
素麺を口に咥えたまま。
首をひねる私。
「天ぷら定食二つで、1600円になります」
女の子の声は。
案内してくれた。
大きな漆黒の瞳の子。
がらがら……
扉の音がして。
人が出ていく気配。
「美味しかった、ありがとう」
ん?
この声……
「ありがとうございます」
つるるっ。
素麺をすすって振り返る。
女の子が。
入り口から半身を出して。
お辞儀をしていた。
「どうしました? ゆうさん」
「ん?」
私は。
ゆっくりと。
体勢を戻す。
「今いたお客さんって一人だった?」
「ん? いやカップルっぽっかったですよ」
「そう……女の人の声。昨日、エレベーターのとこですれ違った人かも」
「ん!?」
天ぷらにかぶりついたまま。
固まるけんくん。
「けんくん、ここにいて」
私は両手を突き出して。
椅子を引いて立ち上がる。
扉を閉めようとしていた女の子に。
「ごめんなさい」
声をかけて。
隙間から外へ出た。
道路には人影もなく。
お店の脇の駐車場にも。
人の気配はなかった。
口を尖らせて。
ため息ひとつ。
もし。
あの女性が言った。
りょうという名前が。
亮さん。
だったら。
店内にいたって。
ことになる。
よね……
えー!?
ニアミス!?
緩やかな風が。
そっと。
髪を揺らしていった。




