嵐
ホテルのお風呂場は大きくて。
しっとりとした湯気が漂っていた。
そして。
意外なことに温泉だった。
脱衣所の効能に関する貼り紙を目にした時。
思わず飛び跳ねた。
広い湯船のそばに。
全面ガラス張りの窓があって。
明るい時間帯なら。
瀬戸内海の景色が見れるみたい。
曇った窓の向こうは漆黒の世界。
ぼんやりと映る私の顔。
滑らかなお湯に包まれて。
暖まって。
ほんのり頬が染まって。
恋をしてる女の子だね。
なーんて。
でも。
なんか。
やっぱり。
不思議。
膝を抱えて丸くなる。
ふーっと。
湯面に息を吹きかける。
出来た波が穏やかに溶けていく。
昨夜の亮さんとの出逢い。
そこから始まった。
この一連の出来事。
旅という。
日常から離れた行動。
夕凪島という。
東京から遠い場所で。
亮さんの存在を確かに感じて。
近くに来て。
まだ会ってもいないのに。
のろけ気分にのぼせそう。
微笑みを落として。
お湯の余韻を体に残して。
ゆっくりと立ち上がった。
私はホテルが用意してくれた。
浴衣に袖を通す。
こういうの。
着てみたかったんだよね。
淡い黄色地に緑や青や赤。
鮮やかな花があしらわれている。
確か。
浴衣とかって。
衿を右に前だよね。
きつくならない程度に。
帯を締めて。
衿をただして。
裾を直す。
袖を握って。
鏡の前でポーズをとる。
少しぼわっとした感じだけど。
うん。
いいんじゃない。
まとめ上げた髪も相まって。
雰囲気はいい感じ。
浴衣とか着ると。
不思議と。
背筋を伸ばしたくなる。
よし。
がらがら。
元気に脱衣所の扉が開いて。
賑やかな集団が入って来た。
年配のおばさま方。
「あら? かわいらしい」
「ほんまやなぁ」
「あんたちょっと、それ逆やで衿」
三人組の一人が。
するすると近寄ってきて。
帯をほどきはじめた。
「え?」
「ほんまや、お姉ちゃん、着物は右前な。覚えとき」
右前?
ん?
右側を前にしてるけど?
首をかしげる私をよそに。
おばさまは。
手際よくほどいた帯を小脇に抱え。
浴衣の衿を伸ばして。
私をなめるように見て。
私がしていたのと逆。
左側を表に出した。
「右前はな、右を先にって覚えたらええ。左前は死んだ人の着方やからな」
「あ、はい」
「ほんなら、手を挙げて」
「はい」
言われるがまま。
されるがまま。
みるみるうちに。
整えられて。
なんか。
着せ替え人形の気分。
ん?
帯が少しきついかも。
「ほら、どうや、鏡見てみ」
「あ、はい」
そろそろと鏡の前に立つ。
「わっ」
自分で着たのより。
断然きれい。
たるみもなくて。
女性らしさが出てる。
「これで、彼氏もいちころやな」
「どうせ、脱がされてしまうけどな」
「ええなぁ、若いって。肌もピチピチや。うちらの肌なんてもう水弾かんで、馴染んでしまうんやからな」
私の腕を両手で撫でるおばさま。
なんか。
おばさま方の妄想が。
いささか激しすぎて。
苦笑いしか出来ない私。
「ほらあんた、お姉ちゃんはよ行かせてあげな」
「そうや。これからなお楽しみやもんな」
「ほな、頑張りやお姉ちゃん」
「あ、ありがとうございます」
三人のおばさま方は。
満面の笑みで。
揃って手を振っていた。
廊下に出て。
長いため息をつく。
頑張るようなことないけど。
ね。
でも。
ちゃんと着せてもらった浴衣。
頬が緩んで。
にんまりな私。
手提げ袋を抱きしめて。
鼻歌交じりに。
軽やかな足取り。
あっ!
視界の先。
ロビーの一角に。
夕凪島大観音のポスターが貼られていた。
お読み下さりありがとうございます。
感謝しております。




