明日があるさ【第九話】
押しかけ女房世話焼き攻(年下)×自己肯定感低め天然社畜受(年上)の社会人BLコメディです。
出発した時間が時間だったので、帰宅ラッシュに巻き込まれ、会社に戻る頃には7時近くになっていた。もう事務所には誰もいないだろう。大柴なんかはとっくの昔に帰っている。彼は定時きっかりに会社を出ることで有名だ。
もしかして、もしかすると。彼も定時で上がってるんじゃないかな、という淡い期待を抱いて倉庫の扉をあけた。
全然いた。しかも仁王立ちで腕組みしていかにも怒ってます感が出ていた。美形の癖にやたらどす黒いオーラを振りまいていた。
「明日葉さん…………」
声が低い。
「…………戻りましたぁ~」
なるべく平常心を崩さないように声をかけた。
「僕、座っててくださいって言いましたよね」
「はい」
「動かないでくださいって、言いましたよね」
「言われました」
「急配に、行きましたよね」
「行ったね」
「何で行くんですか!?」
「急配だったから?」
すっとぼける明日葉に、亜笠は額に手を当ててため息をついた。
「――――冷所逸脱の件はひとまず落ち着きました」
「あ……ありがとう」
「各メーカーの品質保証部に連絡しておきました。明日の午前中には使用可能かどうかの回答をくださるそうです」
「え、それって――――」
本社の仕事じゃあ、言いかけた台詞を亜笠が遮る。
「前職でお世話になっていた人たちに声をかけました。出来る限り早く回答が欲しいと」
MR時代の人脈を使ってくれたのだ。明日葉には出来ないことだった。
「――――ありがとう。本当にごめん。結局対応全部任せちゃって」
「任せてほしいって言ったのは僕です」
「でもおれの方が教える立場なのに」
「そう思うなら、体調しっかり整えて下さい」
ぐうの音も出ない。黙り込む明日葉に、亜笠は詰め寄った。
「まさかとは思いますけど、その状態で残業するとか言いませんよね」
「おれは、まだ帰れないから」
「明日葉さん、今日二回倒れかけてましたよね」
「倒れてないよ、立ちくらみだよ」
「どっちも僕が支えてなかったら倒れてました」
また言葉に詰まる。何も言えなかった。だが帰るわけにもいかない。今日こそ棚卸のデータを完成させたかった。
「帰りましょう」
「帰れない」
「帰る」
「帰らない」
ラ行四段活用。明日葉の脳裏を高校時代の古典文法が過った。いかん、追い詰められると思考が飛ぶ悪い癖が出ている。
頑として帰る姿勢を見せない明日葉に、亜笠が珍しく声を荒げた。
「明日葉さん! いい加減にしてください!」
寝不足だった。三日間ほぼ徹夜だった。疲れもたまってた。立ちくらみで二回倒れかけた。だからと言って言い訳にはならないけれど。つい、明日葉も声を荒げてしまった。
「それはこっちの台詞だよ!」
明日葉は叫んだ。
「おれのこと嫌いならさっさと帰ればいいだろ!」
しまった、と思った時には遅かった。連日の疲れと睡眠不足もあって、つい本音が漏れてしまった。いや、だいたいいつも本音だけど。
やばい、やってしまった。恐る恐る顔を上げると、そこには鬼のような形相をした青年が立っていた。美形が台無しだ! うわぁやった! と緊張感も薄く考える一方で、顔から血の気が引くのがわかった。
「むぐふっ!」
逃げ出すのが遅かった。伸びてきた手に顎を掴まれて、明日葉は身を竦ませた。
「明日葉さん……あなたって人は……!」
「うむぶぶぶ! ごみんっへば!」
「おれのこと嫌いなら? どうしてそうなるんですか?!」
だから何でそんな怒ってんの!? 聞きたいのに聞けない、手が邪魔で。
だが明日葉がそれを聞く前に、怒髪天を突いた新人は――――それこそ明日葉のすべてをひっくり返すような、告白をした。
「僕はあなたのことが好きなんですよ!」
――――聞き間違いかな、おれの。
おれはとうとう耳まで駄目になったか。それとも言い間違いかな、彼の。そうだね、たぶん。いや絶対。
きっと嫌いって言うつもりだったんだよね。入社3日目で仕事が山積みな上、先輩が怒鳴り散らかすし。嫌にもなるよね。疲れもするよね。おれだってもうくったくたで今すぐ家に帰って眠りたい。
亜笠は呆然と見上げる明日葉の顎を解放すると、今度は両手で頬を包み込むように触れてきた。その体温に、明日葉の肌が粟立った。
「あなたを嫌いだなんていつ言いました? 好きですよ、全部。徹夜でボサボサの頭に浮腫んで隈のついた顔も、ガラガラの声も、ひょろひょろなくせに一心不乱にガツガツ仕事する背中も、生真面目で情けなくって自信がなくて、自分のことばっかり考えているようで、本当は人のこと誰よりも心配しているあなたのことが、大好きです」
駄目だ、こいつの言葉が全然頭に入ってこない。どういうことなの? 何が起きてるの一体……っていうかこいつ彼女いるんじゃなかったっけ?
「僕は自分のことじゃなくて、身を粉にして働くあなたを見てるのがつらかったんですよ。僕にもっと頼ってくれればいいのに、あなたはそれもしないし、自分から言えばそれも断られるし……僕のことを一生懸命考えてくれるのは嬉しいんですけど、僕だってあなたを支えたい」
亜笠の手に力がこもって、上を向かされる。明日葉がようやく、その手を外そうと掴んだが、遅かった。
亜笠の顔が近寄ってきて、思わず目を閉じかけた。
(うっ、こ、れは――――まさか!)
キス――――されると思ったもの束の間、触れそうな近距離で、亜笠の顔がピタリと止まる。明日葉は目を丸くした。
「キスしたいですけど」
「へっ?」
「同意が取れてませんし、今日はやめておきます」
亜笠の顔が少しだけ離れる。
愛想笑いの一つもしなかった彼が、目の前で、花が咲くように笑った。
「初めて会った時から、ずっと好きでした」
思わずポカンとする。
「えーっとぉ」
ヤバい完全に脳味噌がキャパオーバーだ。コイツの言ってることが一つもわからん。っていうか笑うこともあるんだこいつ!
「誰が?いつ?どこで?何を?なぜ?どのように?」
5W1H。思わず中学の時の英語の授業が出てくるくらいパニクっていた。
「僕が、一年前から、駅で、明日葉さんを見かけた時から、好きになって、この会社を受けました」
亜笠も負けていなかった。明日葉のパニック状態に合わせて懇切丁寧に教えてくれる。一年前? ということはこいつとは一度会っているということか? こんな美形一度見たら忘れないと思うが……いかん、また意識が飛びかけている。
「好きって誰が?誰を?」
「僕が、明日葉さんを。このやりとり一生続けますか?僕はいいですよ」
「いやいやいやおかしいおかしい」
「本当なら僕があなたを好きだってことを証明するために、今この場であなたを抱きたいくらいなんですけど、それだと強制性交にあたりますから」
「えっ、それを知らされておれはどうすればいいの?」
「だってあなたはただ単に好きだって告白してもラブをライクに捉えるような人じゃないですか」
「ねぇもしかしてもしかしなくてもおれの脳内覗いてない?」
「覗いてなくてもわかりますよ、そのくらい」
「それが怖いんだよ!」
朝から寝癖だらけの髪の毛をぐしゃぐしゃとかき回す。
「えっだって彼女いるみたいなこと言ってなかったっけ!?」
「一度も言ってませんけど、僕」
「待って、そうすると一回どっかで会ってるっていうこと?駅ってどこ?一年前っていつ?」
「一年前は一年前ですよ。大丈夫ですか」
「大丈夫にさせてくれない人から言われたくない! パニックなんだけど! もうヤダ仕事だってまだ終わってないのに! いきなり新人からわけわからん告白とか! もぉ無理!」
明日葉は堪え切れずにその場に突っ伏して「うわぁあああ」と泣き出した。
「明日葉さん、落ち着いてください。お茶でも入れてきましょうか」
「ああああ! っていうかお前帰れよぉ! おれが事務長に新人に残業させたって怒られるだろ!」
「事務長には僕が手を回しておきました。今日は明日葉さんから棚卸作業の段取りを教えてもらうということで、残業の許可も得ています」
「事務長と仲良しだなチクショー!」
「明日葉さんが怒られることはありませんから、今日は存分に付き合いますよ。明日葉さんが無事に家に帰るまで」
「うるさいうるさい! もういい! おれひとりでやる!」
怒りながら倉庫の奥にドカドカと歩いていく。相手は笑顔でついてきた。
「返品在庫の確認ですよね、僕も探します」
「うるさい!」
と言いつつ、あーだこーだ口を出してくる新人と、現物探しに勤しむのだった。
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