明日があるさ【第八話】
押しかけ女房世話焼き攻(年下)×自己肯定感低め天然社畜受(年上)の社会人BLコメディです。
5年の歳月をかけて覚えた裏道と言う裏道を駆使し、明日葉は何とか閉局前に薬局に駆け込むことが出来た。腰を折りそうな勢いで頭を下げながら謝る明日葉に、西多摩調剤の人たちは笑いながら「急いでくれてありがとう」と声をかけてくれた。3日徹夜している明日葉の心に、その言葉は非常に沁みた。帰りの営業車の中で少し泣いた。
「戻りましたぁ……」
よろめきながら詰所に戻ってきた明日葉に、今しがたピッキングを終えたであろう亜笠が駆け寄ってきた。
「明日葉さん、大丈夫ですか」
顔色が悪いです、と言われるが手を振る。
「だいじょうぶだいじょうぶ……」
言いながら手袋をはめて、ハンディスキャナーを手に倉庫へ出る。午前分の入荷登録を何とか終わらせたかった。黙々と入荷登録し、棚入れを進めていく。
下の段の整理が終わり、かがんだ腰を伸ばした瞬間、目の前が真っ白になった。
「明日葉さん!」
「え、あ――――――」
倒れそうだった明日葉の腕を、亜笠が掴んでいた。耳鳴りに顔を顰めながらも、礼を言う。亜笠の顔が強張っていた。
「お昼、食べてないでしょう」
「あ、うん……時間なくて……」
「お弁当あるので、今食べて下さい。そんな状態で仕事してたら箱汚損しますよ。ちゃんと自己管理してください」
「…………すみません」
どっちが教育係だ、と思ったが、ごもっともなので何も言えなかった。
たしかに商品を持ったまま倒れては、包装の破損に繋がりかねない。メーカーによっては返品が出来なくなる。明日葉は渋々応じた。
「ごめん、じゃあ少しだけ」
「冷蔵庫にお弁当入ってます」
あたためて食べて下さい、と言われ、明日葉は肩を落としながら詰所へと戻った。後輩に迷惑をかけてしまった。その上怒られた。
落ち込んで食べてもお弁当は美味しかった。サクッと揚がったからあげを食べながら、棚卸のデータをチェックしていく。
と、亜笠がお茶を持ってきてくれた。明日葉は目を丸くした。
「…………そんなに、気を遣わなくていいのに」
「倒れそうな上司は黙っててください」
「ぐっ」
お互いもういい年の社会人同士、別にべったり仲良くしたいわけじゃないけれど、せめてもうちょっと優しい言い方をしてくれても良いのではないだろうか……明日葉は少し落ち込んだ。
(あーあ……やっぱ嫌われてるのかなぁ……)
言われた通り、お弁当を食べてしばらく休憩してから仕事に戻った。まあその間も棚卸のデータチェックはしていたが。
しかしさっきより体が動くし、立ちくらみもしなかった。
ピッキングに勤しむ亜笠に、明日葉は手袋を嵌めながら近づいた。
「さっきはごめん。ありがとう。お弁当食べたらだいぶ楽になった」
「ご飯抜くとか、やめてください。休憩はちゃんと取ってください」
「そうだよね……亜笠さんにまで迷惑かけちゃって」
ごめん、と眉を下げて謝る。亜笠を見ると、彼は明らかに怒気を纏っていた。なんで、と声に出さずに戸惑う明日葉に、亜笠が言った。
「どうしてそこまでするんですか」
「え」
「残業代も出ない、上司も自分のことしか頭にない、周りだってみんな見て見ぬふりしてる。仕事量の差に気付かない人間だっているくらいだ。認めてくれるのも一部でしょう? それなのに、どうしてそんな風に身を粉にしてまで働くんですか」
質問、というよりも、半ば責めるような口調だった。
口が動かない。指先がじわりと痺れた。言いたいことが次々湧き上がるのに、ぐるぐると頭の中を巡って、声には出てこない。出せなかったのか、堪えたのか、自分でもよくわからなかった。
固まっている明日葉に、亜笠は「コンテナ片付けてきます」と言い放って、行ってしまった。
明日葉が動き出せたのは、彼の姿が奥に消えてしばらく経ってからだった。心臓はやけに大きく脈打つし、指も震える。とにかく落ち着こうと息を吐いた。
棚入れを黙々とこなしながら、明日葉は情けないな、とひとりごちた。
先月からの愛染の仕事の引継、棚卸のための在庫の整理、棚卸データの作成、たたでさえパンク気味なのに、新人指導の仕事も加わって明日葉はほとんどパニックだった。
自分の手がふさがっていたら新人が放置される。とてもじゃないが大柴に教育は出来ない。なら出来るだけ自分だけで出来る業務は夜に回し、日中は新人教育に、と、そうと思っていた。思っていたのに、急配やら誤配送やらでそれも思うように行かなかった。
教育係としては失格だろう。
(……相当、嫌われてるんだなぁ、おれ)
自分の何がいけなかったのか。そんなことはわかりきっていた。振り返っても反省しかない。
と、その時明日葉の耳に嫌な音が聞こえてきた。
単調な電子音――――アラームだ。出所は、冷蔵室。
まずい、これは。棚入れ予定の箱を放り出して冷蔵室へ行く。庫内温度計は――――10・8℃。冷所逸脱だ。
「いやぁあああああああ!」
倉庫に明日葉の悲鳴がこだました。明日葉のただでさえ悪かった顔色が、青を通り越して白くなる。終わった。これでもう今日は帰れない。
在庫差異よりヤバい。誤配送よりヤバい。下手すると数百万が飛ぶ。
どうして――――メンテナンスはひと月前にしている。ファンか、コンプレッサーの異常か、もしそうであれば非常にまずい。
が、足元をよく見ると冷蔵室の扉に段ボールの破片が挟まっていた。半ドアになっている。ここから冷気が漏れたのだ。急ぎ破片を取り除いて扉を閉める。ひとまずこれで温度が戻ってくれればいいが。明日葉は今日の記憶をたどった。
一体いつから開いていたのだろう。午前中のピッキング? いや、亜笠ならこんな単純なミスはしないはずだ。だとしたら自分――――と、心臓が凍りかけたところで背後から大柴の声が聞こえた。
「あ、明日葉く~ん、大丈夫ですかぁ?」
「大柴さん……」
「あのー、そう言えば午前中に営業の山田さんから冷所品の返品頼まれたので、冷蔵室に入れておきましたよ~」
「大柴さ――――ん!」
それだけ言って大柴は詰所に引っ込んでしまった。明日葉は声なき声を上げた。
(お前かぁああああ!)
叫び出したいのをなけなしの理性を使って堪える。
(ダメだ、落ち着けおれ! とにかく製品保全優先しないと。いやでも何時間前から……ロガー確認して、いや、その前に出荷停止連絡――――)
冷蔵室には常温保管不可、およそ8度以下で保管する冷所品が置かれている。これらは常温に晒すと、下手すると廃棄せざるを得なくなる医薬品類だ。しかもインスリン注射や抗がん剤など高額商品も多い。よりにもよって。
どうして前任者――――愛染が辞めた途端にこんなにトラブルが起きるのだろうか。
――――いや、愛染が辞めたから、だ。彼女はいつも先手先手でミスが出ないよう仕事をしていた。そう言えば一度言われたことがある。大柴が開けた後の冷蔵室は必ずチェックしろ、と。こういうことか!
あれだけ指導してくれた愛染の業務を、自分が引き継げていない。明日葉は唇を噛んだ。
それもそのはず。今まで2人作業でやってきたことが1人の肩にのしかかっているのだ。ミスや不出来は当たり前――――だが明日葉はそう考えられる人間ではなかった。
「明日葉さん」
後ろから声がかかり、明日葉は白い顔で振り返る。亜笠は怪訝な顔をした。
「冷所逸脱ですか」
アラーム音と自分の叫び声から察したのだろう。さすが元MR、判断が早い。
「そう! 出荷停止お願いしな、い、と――――」
と、そこで視界が大きく揺らいだ。めまい?と思う間もなく身体が傾く。思わずこちらに伸びてきた腕に縋り付いた。
「……っと、ごめん」
「危ないので、座っててください」
脇を抱えられたまま詰所まで引きずられ、椅子に座らされる。
「いや、大丈夫だから!」
「大丈夫じゃありません。今倒れかけましたよね」
「ちょっとめまいしただけ!」
「それを倒れかけたって言うんです」
「いいから! そんなことより」
「冷所逸脱の対応ですよね。僕がやります」
「え――――」
「元MRですから、そのくらいの対応は経験があります。やらせてください」
「でも」
「それ以上体調が悪化した場合は引きずってでも病院に連れて行きますよ」
「…………ワカリマシタ」
3日目の新人らしからぬ怒気を放つ亜笠に、明日葉は頷くしかなかった。
そこからの亜笠の手腕は見事と言う他なかった。事務所に行き事務長に事の次第を報告すると状況把握に努めた。ロガー(温度記録計)を確認すると対象ロットを抽出・隔離し、出荷停止の旨を事務長へと再び報告した。やろうと思っていたことがすべて3日目の新人の手で行われていくのは、明日葉としては少し複雑な気分だった。助かる、と思う反面――――自分の情けなさに悲しくなってしまう。教育係失格もここに極まれり、だ。
明日葉が欝々とした気分に浸っていると、亜笠は何やら自分のスマホで電話をかけながらどこかへ行ってしまった。
その隙を狙っていたかのように2階から会田が降りてきて、言った。
「明日葉さん、急配です! 今から伝票起こします!」
会田が握りしめるメモを受け取る。明日葉はその白い顔に穏やかな微笑みをたたえながら席を立った。
そう、ここは医薬品卸という名の戦場――――明日葉に安寧の二文字は存在しなかった。
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