明日があるさ7【第十話】
庵司の事件から、明けて翌月。
明日葉は本社へ出勤する亜笠を見送って、自分も家を後にした。
青梅営業所に今日から新しい人員が配置される。明日葉は期待半分、不安半分でタイムカードを押した。倉庫の詰所に行き、着替えや荷受けを済ませてから、朝礼のために事務所へと戻る。
事務長のあいさつで朝礼が始まる。事務長の隣に立たされたその人は、クリッとした瞳にボブカットの、活発そうな女性だった。
「じゃあ、自己紹介を」
事務長に促されて、女性は一歩前に出た。
「秋庭です。よろしくお願いします」
朝礼が終わり、しばらくすると大柴が秋庭を引き連れて倉庫へ降りてくるのが見えた。明日葉は入荷処理をするのに、ハンディスキャナーを手に倉庫内をウロウロしているところだった。
「明日葉く~ん、秋庭さんが来ましたよ」
「はーい!」
返事をして詰所へ戻る。
秋庭は笑顔で明日葉の前に立った。
背は明日葉より少し低いくらい。女性にしては背が高い方だった。
「よろしくお願いします。秋庭って言います」
「よろしく、秋庭さん。教育係の明日葉です」
お辞儀する相手に、明日葉も頭を下げた。同時に頭を上げると目が合った。秋庭は人懐っこい笑顔で、にこりと微笑んだ。
秋庭はすでに作業服姿だった。聞くと朝一番で女性用ロッカーに案内されたらしい。それならばと明日葉は簡単に施設内の案内をした。倉庫、冷蔵室、詰所を周って、それから作業用手袋を渡した。
在庫管理の仕事を簡単に説明してから、ピッキングを手伝ってもらう。秋庭は慣れないながらもよく動いてくれた。
数日、そんな調子で秋庭にくっついて仕事をしていた。明日葉はあることに気が付いた。
この子――――とても頭の回転が速い。おまけに気遣い上手だった。
明日葉が右手にサポーターを嵌めているのを見るなり、秋庭は「自分重いものも全然持てますよ」と言って輸液や経口液も積極的に運んでくれた。
ピッキングも、まだ精度には問題はあるものの、未経験にしてはかなり手早い方だった。
何より、間違いを指摘しても不貞腐れることなく素直に直して次に繋げてくれる。明日葉はいつも喧嘩越しの社長に、少しだけ感謝した。この人事、正解です、と。
お昼休み中、明日葉は秋庭と一緒に詰所で昼食を取っていた。明日葉は自分で詰めたお弁当を、彼女も自分で握ってきたらしいおにぎりを頬張っていた。
明日葉はふと気になって、秋庭に声をかけた。
「秋庭さんって、めちゃくちゃ仕事覚えるの早いね」
すごく助かってる、と言うと秋庭はからからと笑った。
「何言ってるんですか、明日葉さんの教え方が上手いんですよ」
「そんなことないよ、おれたまに自分でも何言ってるのかわかんなくなる時あるもん」
「何ですかそれ」
おにぎりを齧りながら微笑む彼女に、明日葉は質問を投げた。
「前職って何してたの?」
「夜職です」
即答した秋庭に、明日葉はフリーズした。
単語の意味の理解を脳が拒んでいた。
いや、意味はわかる。わかるが、これは聞いてよかったんだろうか?
(え、っていうかこういうのってセクハラになるんじゃ……)
明日葉は顔を青くした。前職はと言う問いにまさかそんな答えが帰ってくるとは思わなかったから……。明日葉は誰に聞かせるわけでもないのに、心の中だけで言い訳をした。
一方、秋庭は笑顔のままで頭を掻いた。
「すみません、やっぱり言われても反応に困りますよね」
「いや、そんなことないよ」
いや、あった。大いにあった。だが明日葉は首を横に振った。
秋庭はそんな明日葉に、あっけらかんとして笑いかけた。
「これでも人気だったんですよ~。いや~、稼ぎました」
「そうなんだ……」
ふと、それまで笑っていた秋庭が、真剣な顔をした。
「でも、昼間の仕事がしてみたくて」
秋庭は愛おしそうに、自分が握った歪なおにぎりを見つめた。
「普通に仕事して、夜には家に帰って、自分のためにご飯作って静かに食べて。そういう暮らしがしたかったんです」
「――――そっか」
明日葉はそれ以上何も聞かなかった。ただ黙って、自分と亜笠のために作ったお弁当を口に運んだ。
秋庭はそんな明日葉を見て微笑んだ。
そこから、明日葉はなぜか急速に秋庭と仲良くなっていった。
秋庭は恋人が同性だと伝えても驚かなかった。どころか、明日葉の無自覚のノロケ話も淡々と聞いてくれた。
秋庭は大柴の扱いもとても上手かった。すぐにサボろうとする大柴を捕獲しては、もう少しだからがんばりましょうと笑顔で発破をかけてくれた。大柴は渋々ながらも自分の担当だけはこなしていた。
「明日葉さん、こっち終わりました。あとやることあります?」
「ピッキングはひと段落でいいよ。じゃあ、そろそろ入荷処理覚えてもらおうかな」
「はーい!」
秋庭の元気の良い返事は、倉庫内を明るくした。ハンディスキャナーを手に処理方法を教えていると、詰所から聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「明日葉さん!」
こちらに向かって手を振る姿に、自然と明日葉の頬が緩んだ。
「せ――――亜笠!」
スーツにコートを羽織った姿で、亜笠がこちらに歩いてきた。
「どうしたの?」
問いかけると亜笠は嬉しそうに笑った。
「青梅病院の案件で江南さんと打合せすることになっていて」
「あ、そうなんだ。なんか久しぶりで変な感じだな。お前とここで会うの」
「今朝も会ったじゃないですか」
会話する二人の横に、秋庭がすすすっと近付いてきた。明日葉はあっと声を上げて、秋庭を手で示した。
「亜笠、こちらが今月から入った秋庭さんです」
「初めまして、本社営業の亜笠です」
亜笠が秋庭に向かって頭を下げた。秋庭も同様に頭を下げる。
「亜笠さん、初めまして。秋庭です。お噂は聞いてます」
顔を上げて、秋庭は亜笠の顔を見つめた。亜笠は首を傾げた。
「噂?」
「明日葉さんの夫さんですよね。いっっっつも明日葉さんからお話聞いてますよ。かっこよくて最高の夫さんだって」
秋庭の言葉に、亜笠が目を丸くする。明日葉の顔が見る間に赤くなっていった。
「秋庭さん……それは、明日葉さん本人が?」
「そうですよ。いつも顔の綺麗な夫さんの話ばっかりしてますよ」
「秋庭さん!」
明日葉の制止に、秋庭は声を上げて笑った。
「明日葉さん」
「な、何?」
「秋庭さん……いい人ですね」
目をキラキラさせて言う亜笠に、明日葉はその場でずっこけた。
明日葉の無自覚のノロケを報告した秋庭は、亜笠にいたく気に入られた。
しばらく三人で話していると、旭が伝票を手に事務所から降りてきた。
「明日葉、急配入ったけどどうする? 俺が行こうか?」
「旭さん」
明日葉が振り返る。その隣に立つ亜笠に気付いて、旭が目を丸くした。
「亜笠、久しぶりだな。元気にやってるか」
「ええ。旭さんもお元気そうで。奥さんはその後どうですか?」
「ああ、だいぶ良くなったよ。再来月から仕事復帰が決まったくらいには回復してきた。これもお前のおかげだな」
旭が笑いながら言うと、亜笠はすぐに首を横に振った。
「明日葉さんのおかげですね。あの時、一番騒いだのはこの人ですから」
「そうだな」
二人の視線が揃って自分へ向く。明日葉はなんとなく居心地が悪くなって、手に持ったハンディスキャナーを弄った。
「あ、旭さん、急配はお願いしてもいいですか。すぐに現物用意するんで」
「了解」
旭が頷く。
以前なら間違いなく「おれ行きます」と答えていたが、今日は素直に旭へ任せた。任せられるものはまず任せる、明日葉は右手首を負傷してから、そう自分自身に言い聞かせてきた。
明日葉は旭から伝票を受け取り、すぐに準備に取りかかった。
「秋庭さん、ごめん。入荷処理より先に急配出しちゃおう」
「はーい。何持ってきます?」
「これとこれ。棚番、ここね」
「了解です!」
秋庭が軽い足取りで棚へ向かった。
「じゃあ僕は江南さんと打合せしてきますね」
そう言って事務所へ向かう亜笠に手を振った。
急配分を取りまとめて旭に持たせる。旭は快く引き受けてくれた。
旭が乗り込んだ配送車を見送って、秋庭に入荷処理を教えていく。メモを取りながら頷く秋庭に、明日葉は目を細めた。
秋庭が来てから、倉庫の空気が少し変わった。
秋庭はよく動き、よく気が付いてくれる。明日葉が何も言わなくても自分にできることを探してくれる。大柴ともうまくやってくれる。
亜笠がいなくなった穴を埋めた、というのとは少し違う。
亜笠がいた頃とはまた違う形で仕事が回り始めていた。
そうして慌ただしく処理を続けているうちに、打合せを終えた亜笠が倉庫へ降りてきた。
ちょうどハンディスキャナーを片手に歩いていた明日葉と目が合う。
亜笠が微笑んだ。
明日葉は亜笠の傍に駆け寄って手を上げた。
「それじゃあ、また後で」
「はい、また家で」
そう言って、亜笠は青梅営業所を後にした。
その背中を見送りながら、明日葉は思った。
亜笠、お前がいなくても大丈夫だよ。
仕事では秋庭が来てくれた。大柴も弱音を吐きながらがんばってくれている。旭だって、櫟だって、声をかければ力になってくれる。
庵司の件もそうだ。雨宮の手を借りて、ちゃんと自分で断ることができた。
もうひとりで抱え込んで、自分を投げ出すようなことはしないから。
だから、大丈夫。
明日葉はそこまで考えて、ぎゅっと拳を握った。
たったひとつの問題を除けば――――
その日は雪がちらちらと降っていた。
定期通院の帰り、明日葉はサポーターの取れた右手をくねくねと動かしながら、立川駅前を歩いていた。
医者からはもうサポーターの必要がないと言われた。重量物の取り扱いも、完全に許可が下りた。通院も今日が最後でいいとのことだった。
これで思う存分働ける。明日葉の社畜気質は骨の髄まで沁み渡っていた。
何もかも順調だった。
たったひとつ――――亜笠と身体を重ねることができないことを、除けば。
明日葉はため息を吐いた。
庵司との話し合いの後も何度か試してみたが、ダメだった。
キスはできる。抱き締めてもらうのも平気だった。なのに、いざ服を脱いでベッドに上がると、身体が硬直して言うことを聞かなかった。
その度に中断して優しく微笑んでくれる亜笠に、明日葉は申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
どうしてできないんだろう。
そんなことを考えながら、明日葉は駅のホームに降りる階段へ一歩踏み出した。
その時だった。
明日葉の足が、濡れた階段を滑った。
(あ、やば――――)
ぐらり、と身体が前方に傾いた。せっかく治ったのに、こんなところでふりだしに戻るのか。そんな考えが頭を過った。
瞬間。
「うわっ!」
ガクンッと落ちかけた身体が止まった。
痛いくらいの力で、誰かが左腕を掴んでいた。
「あ、危なかった……」
明日葉はそう呟くのと同時に、掴まれた先を見た。
ド派手な金髪の青年が、青い顔で立っていた。
耳にはたくさんのピアス。ライダースジャケットに、パーカー、細身のダメージジーンズ、すべてが黒で統一されていた。
どう見てもヤンキー……。明日葉は失礼ながらもそんなことを考えた。
だが、その青年の目には、おおよそ柄にはない必死さが宿っていた。
明日葉はにへらっと笑って礼を口にした。
「あ、あの、ありがとうございま」
「――――っぶねぇだろうが! 足元見て歩け! ボケ!!!」
明日葉が最後まで言うより先に、青年は怒鳴り散らした。
乱暴に明日葉の腕から手を放すと、すぐに踵を返して駅の雑踏に消えて行く。
明日葉は呆気にとられて、その場に佇んだ。
掴まれた左腕を見る。
青年の手は――――これ以上ないくらい、震えていた。
「…………何だったんだ」
明日葉は行き交う人の合間の中で、ぽつりと呟いた。
ここまで読んでいただきありがとうございます!
第7章本社異動編終了です。少し間が空きますが、次回より第8章となります。
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