明日があるさ7【第二話】
いよいよ仕事に復帰となった。
明日葉はサポーターを右手に嵌めて張り切って出社した。
が、すでに亜笠があらゆることに手を回していた。重量物の運搬厳禁、軽量でも大きさによってはダメ、基本的に業務は伝票整理、返品処理、ピッキングしたものの検品等に限定されていた。じゃあ配達に、と打診したら亜笠は額に青筋を浮かべながら言った。
「手首負傷してる人間に運転させると思いますか?」
ごもっともだった。
とどめに、事務長からも悪化させないことがお前の最優先業務だと釘を刺されてしまった。
何より驚いたのが、大柴の働きぶりだった。
「あ~明日葉くん、帰ってきてくれて嬉しいです~」
倉庫へ足を運ぶと、大柴が目の淵に涙を滲ませながら近寄ってきた。彼は伝票を手にピッキングに勤しんでいた。
「大柴さんが……あの大柴さんがピッキングなんて……天変地異の前触れか……!?」
あの愛染さんがいる時ですらやらなかったのに、と驚きに震えていると、作業用手袋を嵌めた亜笠が呆れた眼差しを向けてきた。
「人員不足なんだからやって当然です」
「お前が仕込んだの?」
「一から丁寧に教えて差し上げました」
すごい。さすが亜笠、強い。明日葉は変なところで感心していた。
「亜笠くんは明日葉くんみたいに優しくないです……。明日葉くん、早く手首直してくださいね」
その間だけはがんばります! と宣言されたが、明日葉はぜひその調子でこれからもがんばってくれ、と思った。心の中だけで。
「明日葉さんの手首が治っても大柴さんはやらないとダメですよ」
「えぇ~」
さすが亜笠。容赦がなかった。大柴が情けない声を出しても完全無視だった。
「でも二人でかなりキツかったろ。本当ごめんな」
明日葉がそう言うと、亜笠は首を振った。
「ここの在庫管理部は明日葉さんに属人化しすぎてましたから、システム自体を見直すいい機会でした」
それに、と亜笠は詰所の方を振り返った。詰所から、背の高いスーツ姿の痩身の男が手を振りながら近付いてきた。
明日葉はその顔を見てパッと表情を輝かせた。
「――――旭さん!」
「明日葉、元気だった?」
男はそう言うと、人の良さそうな笑顔を浮かべた。
総務の旭だった。彼は明日葉や櫟が入社当初、愛染の次によく面倒を見てくれた先輩社員だ。既婚で、つい最近奥さんが出産したので、ここ数カ月間育休を取得していたところだった。
とにかく穏やかで優しい旭のことを、明日葉はよく慕っていた。
亜笠はそんな明日葉を見て微笑んだ。
「旭さんにはかなり手助けしていただきました」
亜笠の言葉に旭は照れくさそうに頭を掻いた。
「ピッキングと検品くらいだけどな。にしても驚いたよ、育休明けて戻ってきたら、明日葉が骨折で休職なんて」
「ご迷惑をおかけしました……」
育休明けの大変な時にすみません、明日葉が小さくなりながら言うと、旭は首を振った。
「普段お前がしっかりやってくれてたから、俺もスムーズに手伝えたんだ」
さすが在庫管理部の要だな、と旭は明日葉の肩を叩いてくれた。
明日葉は旭のこういうところを尊敬していた。露骨に励ますわけでもなく、欲しい言葉をくれる。優しく頼りがいのある先輩だった。
「重量物運ぶときは声かけろよ。俺も手伝うから」
旭はそう言うと、事務所へと去って行った。
「旭さんのこと、好きなんですね」
亜笠はハンディスキャナーを手に取りながら、明日葉に言った。
「うん、好きだよ。めっちゃいい先輩でしょ」
「短い期間ですけど、一緒に仕事して十分わかりました」
「お前にちょっと似てる」
「僕にですか?」
亜笠は意外そうに目を丸くした。明日葉は悪戯っぽく笑った。
「旭さん、奥さんにプロポーズする時に一泊15万するスイートルームとったって言ってた」
「ああ……」
今年5月のスイートルームのことを思い出して、二人は顔を見合わせて笑った。
その後、明日葉は亜笠の厳重な監視下で仕事を始めた。配送員の泉や今宮にも声をかけた。迷惑をかけたことを謝ったが、二人とも首を横に振った。逆に、くれぐれも無理はしないようにと念を押されてしまった。
大柴がピッキングしたものを検品していく。いくつか間違いは見られたが、大柴は頑張って動いていた。亜笠は54歳初老男性にも容赦がなかった。
亜笠は入荷処理とピッキングとに奔走していた。明日葉がこっそり輸液に手をかけた瞬間、どこからともなく現れて輸液を運びながら明日葉に説教して、自分の作業へ戻っていった。
明日葉は詰所で大人しく伝票整理しながら、自分の働き方を反省していた。
今までは自分がやれば早い、そう思って仕事を抱え込んでいたが――――それではダメなのだ。ある程度人に任せることも覚えなければいけない。亜笠のように。
(やっぱりすごいな……あいつは……)
少し悔しい気もするが、今はそれよりも誇らしい気持ちの方が強かった。
そんな初日ではあったが、その後も仕事は大きなトラブルなく順調に進んでいった。急配には旭も参加してくれ、明日葉は留守番して検品や軽い物のピッキングなどを担当した。
そうして12月も残り少なくなってきた頃、明日葉は休憩室で一人ぼんやりと佇む旭を見つけた。
明日葉は二階の流しで弁当箱を洗って詰所へと帰るところだった。
なんとなく旭の様子が気になって、休憩室に足を踏み入れる。旭以外誰もいなかった。
「旭さん」
旭は顔を覗かせた明日葉を見ると、力なく笑った。
――――やっぱり少し様子がおかしい。明日葉はそう思って、旭の傍まで歩いた。隣に立つと、旭が口を開いた。
「明日葉、手首の具合はどうだ」
「家でリハビリもしてるので順調ですよ」
「早いとこ完全復帰できるといいな。もどかしいだろ」
「まあ――――でも、亜笠がよくやってくれてますから」
そう言って笑うと、旭は思い出したように言った。
「一緒に暮らしてるんだって? 亜笠と」
明日葉は頬を掻きながら頷いた。改めて他人から指摘されると、気恥ずかしかった。
旭は優しく微笑んだ。
「よかったな――――いい相手が見つかって」
「旭さん……」
祝福してくれる相手に、明日葉はなぜかかすかな疲れのようなものを感じ取った。考えるより先に口を開いていた。
「旭さん、もしかして疲れてますか?」
復帰したばかりで、在庫管理の方にまで回されてつらかっただろうか。明日葉はそんな心配をした。
旭が一瞬目を見開いて、それから明日葉から顔を逸らした。
「いや、少しな……」
「大丈夫ですか、体調悪いなら櫟に仕事押し付けて帰っても――――」
明日葉はさりげなく酷いことを平然と言った。旭が首を振る。
「違うんだ」
明日葉は首を傾げた。
旭は目を伏せて大きな息を吐いた。
「――――俺、来月から本社に異動になるかもしれない」
「…………は?」
思いもしなかった言葉に、間の抜けた声が出た。旭は困ったように眉を下げた。
「さっき社長から直々に電話があったんだ。本社の営業の一人が産休に入るから、代打が欲しいんだって」
「営業って、だって旭さん、全然畑違い……」
旭は総務の人間だ。少なくとも明日葉が入社してから、営業として働く姿は一度も見たことがない。
「河和に来る前な、少しだけ営業やってた期間があったから。たぶんそれでだと思う」
「何ですか、それ――――」
あまりに急な話に、明日葉は眉を顰めた。旭は力なく笑って、視線を落とした。
「栄転みたいなものだから本当は喜ぶべきなんだろうけど」
そう言う旭の顔は、とても喜んでいるようには見えなかった。
「でも、旭さんお子さんが」
「うん……今、奥さんも産後で体調が悪くて大変なんだ。子供もまだ小さいし……定時で上がれなくなったり、休日が潰れるのは痛いな、と思って」
旭は言葉を切って、小さく息を吐いた。
本社の、しかも営業。今までのように定時で帰れるとは限らない。休日当番や接待で土日が潰れることもあるだろう。営業経験のない明日葉にも容易に想像できた。
つい最近まで育休を取っていたくらいなのだ。今の旭にとって、仕事に割く時間が増えることは、自分一人だけの問題ではないはずだ。
「定時で上がるために転職したんだけどな……」
旭の呟きに、明日葉は拳をぎゅっと握りしめた。




