明日があるさ6【第三話】
三人はそろって台所のテーブルに着いた。亜笠と綾が向かい合い、明日葉はテーブルの横に折り畳み椅子を出して、クッションを敷いて腰掛けた。
出されたコーヒーを一口飲んで、綾が口を開いた。
「改めて――――誠一郎の元彼の、綾巧人です」
綾が明日葉に向かって頭を下げた。明日葉もつられて頭を下げ返す。
「あ、えっと、誠一郎の、今彼? の? 明日葉護です」
よろしくお願いします、と言うと、亜笠の眉間に皺が寄った。
「夫です」
「いやまだ早いから」
言い切る亜笠にツッコんだ。
「ところで綾さん、どうして僕に会いに来たんですか」
「ああ、そのことなんだけど――――」
話し始めた二人を尻目に、明日葉は失礼にも綾をじろじろと観察した。
雨宮ほどではないが、背が高い。180はありそうだ。日に焼けた肌に、肩にかかるほどまで伸ばした黒髪。無造作に流した前髪の隙間から覗く目元は涼しげで、鼻筋も高い。細身ではあるが肩幅は広く、人目を引く華やかさがある男だった。
タートルネックにチノパンというシンプルな出で立ちだが、まるで芸能人のようだった。
明日葉の脳内を一瞬にしてイメージが駆け巡った。
綾の胸に寄り添い、小麦色の腕に抱かれる亜笠。それを愛しげに見つめる綾。亜笠の白い耳に唇を寄せ、愛を囁く。亜笠がうっとりと眼を閉じ、それに応じる――――重なり合う二人は、もちろん衣類を纏ってはいない。
明日葉は顎に手をあてて神妙な顔をしていた。
「護さん」
「えっ、何!?」
亜笠に唐突に名前を呼ばれて、明日葉の身体がビクッと揺れた。
「面白い妄想してますけど、逆です、それ」
亜笠が冷静に言った。
「えっ!?」
妄想を暴かれ、焦って亜笠を見る。呆れ顔の彼がいた。亜笠は躊躇いなく口を開いた。
「彼、バリネコです」
明日葉は視線を上に向けて考え込んだ。脳内に、会社のオペレーター・会田のデスクの上に鎮座している可愛らしい木製の猫の顔が浮かんだ。
「それはバリ島の木彫り猫です」
「おれの想像にツッコむのやめろよ!」
「あなたは考えていることがだだ漏れなんですよ……要するに、彼が下ってことです」
「あ、そういうこと……」
完全に夫婦漫才をする二人の間で、綾が顔を赤くして言った。
「誠一郎、そういうことはわざわざ言わなくていいから……」
(あ、この人意外に普通の人だ……)
赤面する綾に、明日葉は親近感を覚えた。亜笠はそんな明日葉に向かって平然と言った。
「綾さんは恥ずかしがり屋なんです。護さんと違って」
「おれも! 恥ずかしがり屋だよ!」
「綾さん、護さんは僕が社内メールで全社員に交際宣言をしても翌日平然と出社する鋼の心臓を持ってるんですよ」
「えっ……社内メールで……?」
綾が口元に手をあてて普通に引いていた。
「おれが止める前に送っちゃってたから、お前が!」
「訂正メールを送る発想もない大らかな人なんです」
「ああああその手があったか!!!」
明日葉は今頃気が付いて、テーブルを両手で叩いた。
「ぶっ、あはははは!」
黙っていた綾が、突然腹を抱えて笑いだした。
明日葉と亜笠は顔を見合わせた。
「あーもう、お前たち面白すぎるよ……」
笑いすぎて出てきた涙を指で拭いながら、綾が亜笠を見て微笑んだ。
「誠一郎、お前――――本当に良い人に会ったんだな」
その言葉に、亜笠は少し頬を染めて幸せそうに微笑んだ。
明日葉はテーブルに置いた携帯電話を握り締めた。
(今の顔、撮っておきたかった……)
さすがに場違いだったので黙っておいた。
「どうかしました?」
「いや、何でもない……」
明日葉は携帯電話をパーカーのポケットに入れて、亜笠から目を逸らした。
「――――で、綾さん。すみません、話の腰を折って」
護さんもちゃんと聞いてください、と注意を受け、明日葉は改めて綾に向き直った。
綾の話はこうだった。
数日前、見覚えのないアドレスから、一通のメールが届いた。件名はなく、本文もごく短いものだった。
『亜笠さんが今お付き合いしている人です』
たったそれだけ。
そしてメールには、一枚の写真が添付されていた。
「これ」
綾がスマートフォンを操作して、テーブルの上に置いた。
明日葉と亜笠が同時に画面を覗き込む。
「…………コレ、って」
「あ」
駅の改札口で、男二人が向かい合って立っていた。一人は亜笠だった。亜笠は瞳を閉じていた。そして向かいに立つのは、黒髪の寝癖頭。
寝癖頭の男が、亜笠の肩に手を添えて――――キス、していた。
紛れもなく自分だった。
「立川駅のぁああああああ!」
「ご近所に迷惑ですよ」
亜笠が冷静に言った。明日葉はそれどことではなかった。
「コレ!? これが撮影されてたの!?」
明日葉は目を剥いた。今年の5月に立川駅で亜笠にせがまれてキスをした時の写真だった。よりにもよって自分から亜笠にキスをした瞬間が、これ以上ないほど鮮明に収められていた。
「最悪だ……もう立川駅に立てない……」
「もう何回も立ってるじゃないですか。そんなことより――――」
亜笠が顎に手をあてて、真剣な表情で写真を覗き込んだ。
「綾さん、この写真、あとで僕に送ってください」
明日葉は亜笠の頭を叩いた。
「何でだよ!」
「僕、この時目を閉じてて護さんのこと見れてなかったので」
「送らないで! 消してぇ!」
「俺はどうすればいいの?」
綾が眉を八の字にして困惑していた。
「とりあえず何かあった時のために、証拠としてメールごと僕に転送してください」
「わかった」
綾がその場でスマートフォンを操作した。ピコン、という電子音と共に亜笠のスマートフォンがメールを受信する。亜笠も操作してメールと画像をチェックしていた。
「…………待ち受けに……」
ボソッと聞こえた言葉に明日葉はツッコみたかったが、これ以上話を掻き回すのも嫌だったので黙っていた。
ふと、亜笠が真剣な顔になって口を開いた。
「一体誰がこんなこと……」
その言葉に、明日葉は呑気に首を傾けて言った。
「二人の知り合いとかが送ったんじゃないの?」
「それなんですけど……」
亜笠が言葉を区切って、綾のことを見た。綾が頷いて言った。
「明日葉さんの前だから言うけど、俺は家の事情で、ゲイを公言することができないんだ。だから誠一郎とも、周りに絶対に知られないように付き合ってた」
明日葉は目を見開いた。それは初耳だった。
「俺たちのことを知ってる人はひとりもいない。だからこのメールが俺に送られてくること自体が不思議なんだ。ちょっと、気味が悪いっていうか」
「ひとりも、ですか……」
明日葉の呟きに、綾は苦笑した。
今の明日葉にはにわかに信じられなかった。この亜笠が、7年間も恋人の存在を隠し続けていたなんて――――
明日葉はふと自分のことを振り返った。
入社初日の童貞処女発言、入社4日目の社内交際予定宣言、強制デート、サプライズ家族紹介、実家凸――――好き放題だった。
明日葉は諦めにも似た微笑みを浮かべた。7年忍んだ恋故の反動だろうか……?
そんな明日葉の内心も知らず、亜笠と綾の二人は犯人について推察していた。
「僕も話したことはありませんし、写真も常にパソコンに保管してましたから、携帯を見られても綾さんに繋がるような情報はなかったはずです」
「俺も――――今付き合ってる相手以外に話したことはない。今の相手はそんなことするようなやつじゃないし……」
綾の言葉に亜笠が目を丸くした。
「恋人ですか」
「ああ……実を言うと、前のやつとはさっさと別れたんだ……その後付き合ったやつと、今は一緒にいる」
綾は瞳を細めて、相手は男だよ、と付け加えた。
「――――よかったです。綾さんにも支えになる人がいて」
亜笠の言葉に、綾は照れたように頬を掻いた。
「お前、そういうこと普通に言うよな」
「何かおかしいですか?」
「いや、変わってないなと思って」
綾は苦笑して、コーヒーカップに口をつけた。
「ありがとう。今度はちゃんと、大事にするよ」
「そうしてください」
「相変わらず容赦ないな」
「事実なので」
明日葉は黙って二人を眺めた。
七年。自分には想像もつかないほど長い時間を、この二人は一緒に過ごしてきた。不思議と嫌な感じはしなかった。
目の前にいる二人の間にあるのは、未練というより、長い時間を共にした人間同士の親しさのように思えた。
「それより」
綾がスマートフォンに目を落とした。
「今の相手は、誠一郎と付き合ってたことを知ってる。でも、この写真を撮れるような場所にはいない。そもそも誠一郎の顔も知らないよ」
「となると、綾さん側から漏れた可能性は低そうですね」
「たぶんな」
「僕の方……」
亜笠は顎に手を添えて考え込んだ。
「何か思い当たるか?」
「いえ」
綾の問いかけに、亜笠はゆっくり首を振った。
「少なくとも、すぐには」
綾が小さく息を吐いた。
「少しでも早く相談した方がいいだろうと思ってお前の家に行ったんだけど、いつ行っても留守で。ウロウロしてたら大家さんに捕まったんだ」
綾は恥ずかし気に頭を掻いた。亜笠がなるほど、と言った。
「俺、一回スマホ壊して連絡先全部消えちゃったんだよ。誠一郎の新しい住所だけは覚えてたから……昨日たまたま大家さんに会ったから、事情話して俺の連絡先を渡してもらったんだ」
「だから昨日、大家さんから連絡が来たんですね」
「そういうこと」
「大家さんからいきなり「ここに連絡してくれ」と言われた時は何事かと思いました」
亜笠の言葉に綾も頷いた。
「お前から連絡もらえて助かったよ。お前、全然家に帰ってないんだな」
「最近明日葉さんの家に入り浸りで、全然家に帰ってませんでしたからね……」
「ねぇちゃんと家に帰って?」
まるで明日葉のせいで帰れなかったような言い草に、すかさずツッコんだ。
亜笠がかわいいことには変わりない。今となっては何をされても大抵のことはかわいく見えてしまうくらいには、明日葉の目には重度のフィルターがかかっている。
だが、それとこれとは話が別だった。かわいければ何をしても許されるわけではない。その特権が認められているのは、せいぜいハムスターくらいのものだと明日葉は思っていた。
亜笠は綾のことを真っ直ぐに見つめた。
「事情はわかりました。わざわざ知らせに来てくれて、ありがとうございます」
「いや……俺も放っておくのは気持ち悪かったから、話せてよかったよ」
綾はそう言うと明日葉の顔を見て、それから亜笠に向き直った。
「将来の夫さんと元気にやってる姿も見れたしな」
ニカッと歯を見せて、綾が笑った。テレビのCMに出ても遜色のない、さわやかな笑顔だった。
「それじゃあ俺はお暇するよ」
「もう? お昼ご飯でも食べて行ったらどうですか?」
亜笠の提案に綾は手を振った。
「これから仕事なんだ。それに」
綾はコートを着ながら微笑んだ。
「新婚生活満喫してるところ、お邪魔したら悪いだろ?」
「違います。結婚してません」
「まだ」
否定する明日葉に、亜笠が言葉をかぶせてきた。綾は口元を押さえて笑っていた。
立ち上がって玄関に向かう綾に亜笠が付き添った。明日葉も立ち上がろうと足に力を込めた瞬間――――腰に鈍い痛みが走った。
「痛っ――――」
思わず呻く。ハッとして綾と亜笠を見ると、二人とも目を丸くしてこちらを見ていた。明日葉の顔がトマト並みに真っ赤に染まった。
「あ、う……」
咄嗟のことに明日葉は言い訳が出来なかった。
「誠一郎……」
綾が横目で亜笠を見た。亜笠は輝くような笑顔で言った。
「昨日は5回までがんばったので」
「言わなくていいよそう言うことは!!!」
涙目で叫ぶ明日葉を見て、綾は亜笠の肩に手を置いた。
「誠一郎、嬉しいのはわかるけど、明日葉さんのプライベートも大事にしような……」
綾が苦笑して言った。




