明日があるさ2【第八話】
会場は立川駅から徒歩10分の居酒屋だった。明日葉は憮然とした顔で居酒屋ののれんをくぐった。後ろからは亜笠が笑顔でついてきていた。
幹事の櫟が明日葉を発見した。
「来た来た! 明日葉が来た!」
なぜか背後に控える亜笠よりも、明日葉が来たことに現場はざわついた。
何せ筋金入りの飲み会嫌い。過去5年の間に参加したのは自分の歓迎会一度きりと言う不名誉な記録を保持する明日葉だった。
「あの明日葉が来るなんて……!」
事務長までもが驚く始末だった。
「亜笠、よくやった!」
亜笠にグッジョブ!と親指を立てる事務長に、ええ加減にせえよ、と明日葉は思った。言わなかったけど。
後ろの亜笠は亜笠で親指を立てて応じていた。いや応じるな。
「お疲れ様です」
微笑んでその場に佇む新人に、女性社員がにわかに色めき立つ。中でも噂が大好きな女性社員の一人は目がらんらんと輝いていた。絶対根掘り葉掘りする気だ。明日葉は深いため息をついた。
「…………帰りたい」
「まだ来たばっかりですよ」
「明日葉さん、亜笠さん、好きなところ座ってくださいね」
櫟と一緒に幹事をする会田が、にこやかに座席を勧めてくれた。
「おれは端っこでいいや」
「じゃあ僕は明日葉さんの隣で」
「あー、亜笠は主賓なので、真ん中で、ぜひ」
櫟がニヤニヤしながら亜笠を誘導した。隅っこに移動しようとしていた明日葉の裾を亜笠が掴み、そのまま引きずられていく。最悪だった。あの糸目いつか殺す……明日葉は櫟を睨んだ。
「そんな明日葉にサプライズがあります」
明日葉の恨みを知ってか知らずか、櫟が言った。明日葉は死んだ目を向ける。
――――と、座敷に癖毛で小柄な女性が座っていた。
「よっ」
つり目の美女が明日葉に向かって片手を上げる。明日葉の顔がにわかに明るくなった。
「愛染さん!」
喜びの滲んだ声に、亜笠の顔が曇った。明日葉は首を傾げた。
「どうして愛染さんがここに?」
「僕が特別に声かけて呼んだんだよ。ほら、愛染さんの送別会、やってなかったから」
明日葉の疑問に、櫟が得意げに答えた。明日葉は不機嫌そうな亜笠を尻目にトコトコと愛染に近寄った。
「3ヵ月ぶりです、愛染さん」
頭を下げる明日葉に、愛染はニッと口角を上げた。
「おう、元気だったか、明日葉」
「愛染さんこそ」
愛染は3ヵ月前――――今年3月の頭に退職した社員だ。明日葉は入社当時からずっと愛染の下で働き、面倒を見てもらっていた。大切な大先輩だった。
照れ笑いする明日葉の隣に、亜笠が立った。
「明日葉さん、こちらは?」
明日葉は少し浮かれ気味に答えた。
「あ、こちらは前に在庫管理部にいた愛染さん。おれの先輩ね」
「どうも」
愛染が亜笠に向かって手を上げる。明日葉は隣の亜笠を掌で指した。
「愛染さん、こっちは亜笠。愛染さんが辞めた後に入った在管部の新人さん」
紹介すると、亜笠は輝くような笑顔を浮かべて言った。
「よろしくお願いします。明日葉さんとはお付き合いさせていただいてます」
さっそく爆弾をぶち込んできた。明日葉は思わず亜笠の胸倉を掴んだ。
「てめぇ!」
油断していた。こいつはこういうやつだった。っていうかお付き合い予定からいつの間にかお付き合い、に変わってないか?
明日葉が首を傾げていると愛染が眉根を寄せた。
「明日葉、ツッコむのはそこじゃない」
「愛染さんおれの心の声にツッコんでくるのやめて下さい」
さすが5年の付き合い、愛染には明日葉の考えていることが表情だけで伝わっていた。そう言えば彼女には仕事で静かにパニックになっている時もさっとフォローしてもらっていた。
「お前はまず交際をバラされたことを怒れ、なっ?いつも自分のこと後回しにすんなって言ってんだろ」
「してません!おれはいつだっておれ優先で生きてます!」
「そもそも交際してるのかどうかも知らんけど」
「してません!」
そうだよまずはそっちを否定しなければ。
と、そこで明日葉はようやく気が付いた。
「…………」
辺り一面に静寂が広がっていることに。
大柴以外の参加者全員が、こちらを見て耳を澄ませていた。
「…………始めて下さい」
しぶしぶ亜笠の隣に座り、明日葉は低く呻いた。
だから来たくなかったんだ。
案の定、始まった途端に女性陣から囲まれて矢継ぎ早に質問をされた。質問の嵐だった。聖徳太子じゃないと聞き取れないくらいみんな同時に話しかけてきた。明日葉は飼育初日のハムスター並みに怯えた。
明日葉がかろうじて聞き取れたのは「亜笠さんと明日葉さんはいつから」と「結婚のご予定は」の二つだけだった。それだけで明日葉には十分だった。
早々に「トイレ行ってきます!」と言ってその場から離脱した。最早後に取り残された亜笠が何を語ろうが、知ったこっちゃねぇと思った。
その後、取り残された亜笠が女性社員たちの質問にひとつひとつ丁寧に答えていったため、明日葉本人よりも女性社員たちの方が二人の関係に詳しくなるという妙な事態が起きていたのだが、そのことを明日葉が知り激怒するのは、もう少し先の話だった。
トイレから戻ると自分の席に他の女性社員が座っていたので、明日葉は愛染の近くに座ることにした。ちょうど愛染の隣には櫟もいた。櫟は明日葉と同期のため、先輩の愛染ともよく話をする仲だった。
「愛染さん、お疲れ様です」
「オッス」
愛染はジョッキでウーロン茶を飲んでいた。
「愛染さんはお酒飲まないんですか?」
それともウーロンハイ?と問いかけると愛染は首を振った。
「あたしは駅から車だから」
「あ、なるほど。っていうか珍しいですね、飲み会に来るの」
愛染もこうした飲み会に参加しているイメージはあまりなかったが。愛染はニヤリと笑った。
「万年欠席のお前に言われたくねぇよ。まあ、今回は櫟に呼ばれて、これは何かあるなと思ってきただけだけど」
強気な笑顔に明日葉は救われる思いだった。思わず両手を合わせて愛染を拝んだ。
「愛染明王様……ありがたいです。おれもう女性陣の質問攻めが怖くて怖くて……」
「愛染さんがいると寄ってこないからね」
櫟がビールを飲みながら呟いた。愛染の額に青筋が浮かぶ。
「おいどういう意味だテメェ」
「良い意味です。魔除け的な」
「さすが明王」
「ぶっ殺すぞ」
愛染が明日葉の頬を引っ張った。明日葉は痛いです、と言いながらも、久しぶりの先輩との歓談が純粋に嬉しかった。
亜笠がその様子を遠くの席からじっと見つめていた。目が合って、慌てて反らす。それにしても、と明日葉は続けた。
「みんな結構飲んでるね」
明日葉はテーブルの上に散らばるグラスを見た。やはり飲酒している人の方が多い。飲み会なので当然なのだが。
「明日も仕事だけど大丈夫かな」
「また社畜的な心配してる」
櫟に茶化される。
「だって配送組とか朝早い人もいるのに――――」
と、明日葉が心配したところで社員の一人が叫んだ。
「飲んでなんぼでーす!」
「お酒飲めない人って人生の半分は損してますよねーっ?」
他の社員も便乗する。明日葉と他の二人は押し黙った。口を開いたのは愛染だった。
「おい、明日葉。あいつらぶん殴ってこい」
「何でおれ!?」
「軽く頬骨折るくらいでいいから」
「それ軽くなくないですか?」
愛染の主張に櫟がツッコんだ。
愛染は相変わらず口が悪い。だが仕事においては誰よりも信頼できることを、明日葉は長年の付き合いで学んでいた。
くだらないことを話していると、女性陣の輪を切り抜けてきた亜笠がこちらにやってきた。明日葉は呑気に串焼きを掲げる。
「おー、主役が来た」
「明日葉さん」
亜笠が何か言いたげに明日葉の背後に来た。が、口を開いたのは明日葉ではなかった。
「亜笠はお酒飲まないの?」
グラスを持っていない亜笠に、櫟が声をかけた。亜笠が即答する。
「下戸なんで」
「えっ、全然見えない!」
「よく言われます」
最近聞いた会話だなぁ、と明日葉は呑気に二人の会話を眺めつつ席を立った。亜笠がはっとして明日葉を見上げる。
「そんなことより――――明日葉さん」
「タバコ吸ってくるね」
亜笠が何か言いだすより先に、その場を後にした。




