明日があるさ2【第七話】
明日葉の背中が消えた角を曲がると、明日葉はその場で地面に突っ伏して倒れていた。
「…………明日葉さん」
洋服が汚れるのも構わずに明日葉が寝返りを打つ。
「ハァ……ハァ……もうむり……歩けない……」
「わかりました。お姫様抱っこでアパートまで送り届けますね」
明日葉がすぐに起きて立ち上がった。亜笠が舌打ちする。
「お前それ言っとくけど好きな人に対する態度じゃないからな!」
ひどすぎる! と言いながら洋服についた砂利を手で払う。亜笠は完全にむくれた表情で口を開いた。
「一年待ちで取ったスイートルームを滞在時間30分で出なきゃいけなかったことに比べれば、全然だと思いませんか?」
「すみませんでしたぁ!」
明日葉が光の速さで土下座した。今頃になって自分のしたことを自覚した。
「この埋め合わせはいつか必ず何かしらの形でさせていただきたいと努力いたします」
「日本語おかしいですよ」
「いや、本当に悪かったって! 埋め合わせ―――――」
と言いかけて、明日葉はふと思った。
「待ってぇ、今一年待ちって言わなかった?」
「言いました」
「一年前――――会ってないよね」
「会ってましたよ」
亜笠は堂々と言った。
「僕は」
明日葉の背中を嫌な汗が流れていく。そういえば以前もチラッと聞いたが、たしか一年前からずっと好きだったとか、なんとか。
でも普通好きな人が出来ただけでホテルを予約するだろうか。好きな人にまだきちんと会ってすらいない段階で。
(いや、もしかしておれの記憶がないだけでちゃんと会ってるのか?)
こんな美形記憶にはないが。というか、だとしても一年前に予約を入れるのはどう考えても異常だった。が、この一ヶ月亜笠誠一郎という存在に慣らされつつある明日葉は、そこまでの考えに至らなかった。
「まあ――――もういいです。帰りましょう。さすがの僕も疲れました」
そう言って駅へと歩ぎだす亜笠。そのあとを追いかけつつ、明日葉は口を開いた。
「あの、本当にごめん、今日……予定潰しちゃって」
一年待ちのスイートルーム……一年前に云々はひとまず置いておいて、自分が滞在時間30分にさせてしまったのは事実だ。中流階級以下の自分には想像がつかないが、おそらく十数万はするのだろう。あとで絶対調べよう、と明日葉は心に誓った。調べたことを後悔するとも知らずに。
「もういいですって」
「埋め合わせはするから……」
それはせめてもの謝罪だった。亜笠はしばらく明日葉を眺めると、ニコッと笑って言った。
「じゃあ終電なくなったので泊めて下さい」
「11時前だぞ! 終電はまだあるだろ!」
ふざけんな!と言いつつも亜笠を駅まで見送った。亜笠は思ったよりもすんなり帰ってくれた。明日葉はどっと疲労を感じて、肩を落としてトボトボと歩いた。
静かな夜道に、ふとホテルでの会話が甦る。
携帯を取り戻そうとしたあの時、珍しく亜笠が必死だった。
『今日だけは――――』
今日だけは、の続きは、なんだったのだろうか。明日葉は首を傾げながら、帰路についた。
人のまばらな車内。座席には座らずに、窓辺に立って亜笠は今日一日の出来事を振り返っていた。
駅について自分を見た途端逃げ出す明日葉、いろんな服を着せられて最終的にキレる明日葉、フレンチに恐れ慄く明日葉、遊園地で死んだ顔をする明日葉、キスをした後の、少し驚いた表情の明日葉、焼き鳥を頬張る明日葉、ホテルに入ってからハムスターのように怯える明日葉――――頬に手を寄せた時の、思い詰めた様子の明日葉。
(こんな誕生日――――)
青い顔で電話を取る明日葉に、滞在時間30分のスイートルーム、走って降りた階段、駅、電車の中での貧乏ゆすり、会社から病院まで一目散に走る背中。
(――――一生忘れられない)
今日のすべてを、心の中に刻んでおく。
あんな人、世界中どこ探したって見つからない。
ドタバタで、予測がつかなくって、すごく楽しかった――――
暗い窓に映る自分の顔は、幸せそうに微笑んでいた。
翌々日、GW明け初日。
出勤早々、明日葉はたまった伝票を見て死んだ顔をしていた。
連休明けとあって、ピッキングの量が膨大だった。おまけに連休中に止まっていた荷受けが倉庫のあちこちに山のように積まれていた。その量は普段の比ではなかった。
積み上げられた入荷物を亜笠と二人で捌いていると、総務の櫟が事務所から降りてきた。詰所の窓口から顔を出している。
「ねぇ、二人ともいる~?」
「何ですか」
「何、忙しいんだけど」
明日葉と亜笠が詰所に戻ると、櫟はバインダーを抱え、片手でペンを回しながら言った。
「一瞬で終わるから。今週末の亜笠の歓迎会、二人はどうする? って言っても亜笠は強制参加だけど」
「僕は以前にも話した通り平気です」
「私は行きますよ~」
さっきまで舟を漕いでいたはずの大柴が、そこだけは逃さず顔を上げた。
「はいはい、大柴さんは参加ね。明日葉は?」
「パスで」
明日葉は即答した。
期待の新人の歓迎会とあって出席率は過去最高と耳にしていたからだ。
特に女性社員はこぞって参加するらしい。新人の社内お付き合い予定宣言はなかったことにされているのか、それとも逆に某教育番組のもぐらたちのごとく根掘り葉掘りしたいのか……わからない。
わからないが、行きたくない。最高に。
明日葉の返答に櫟がため息をついた。
「ま、やっぱりそうだよね」
「明日葉さん……」
迷いなく答えた明日葉に、櫟は納得し、亜笠は殺気を昇らせた。
明日葉は素知らぬ顔で納品書を捲った。
「あー……明日葉はね、駄目なんだよね」
飲み会、という櫟を完璧に無視し、亜笠は明日葉に詰め寄った。
「どうして行かないんですか、僕の歓迎会ですよ。教育係が欠席してどうします」
「ごめん、ホントごめん」
両手を合わせて亜笠に謝罪する。が、亜笠は額に青筋を浮かべていた。
「全然悪いと思ってないでしょう。明日葉さん、今日は残業もないはずですよ」
「うん、GW中の分の仕事、前倒しで処理しちゃいたいからさ~」
「そんなんだからみんなから社畜って呼ばれるんですよ」
亜笠は明日葉の胸倉を掴んでガクガクと揺さぶった。
揺すられながら明日葉は言った。
「いやーホント残念。うん、残念だぁ」
いかにも残念そうに言ったつもりが、ダメだった。声が弾んでしまった。口元も自然綻ぶ。
亜笠は諦めるかと思いきや、しれっと無茶なことを言い出した。
「じゃあ僕も行きません」
「えっ」
「お前らほんと仲良しね……」
ニワトリ追いかけるヒナみたい、と櫟が呆れたように言った。明日葉はあえて無視した。亜笠に至っては目にすら入っていないようだった。
「だって、主賓いなくてどうすんだよ!」
「僕にとっては明日葉さんが主賓ですよ!」
「ちょっと待って、どういうキレ方? っていうか、そういうこと言うなよ。おれがみんなに怒られるだろ!」
「じゃあ参加すればいいじゃないですか!」
キレる亜笠に、明日葉は呻いた。さてどうやって断ろうか、いっそのこと仮病でも使うか、そう言えば胃が痛いような気もする、と明日葉が考え始めた頃、亜笠が黒いオーラを立ち昇らせて言った。
「もし明日葉さんが参加しないなら――――僕はこの間のデートのことを全社員に自慢して回りますよ」
「わかりました、行きます」
明日葉は即答した。亜笠なら本気でやりかねない。ちょっと泣きたかった。




