明日があるさ2【第六話】
「チェックアウトお願いします!」
ゼーゼー言いながらフロントに駆け込んできた男二人に、ホテルウーマンは目を丸くしていた。返されたカードキーのナンバーをパソコンに打ち込む、と、チェックインは30分前。
「お客さま、あの、何かお部屋に不備が――――」
「ありません! 急用です!」
にこやかに聞くと髪を乱した美形の青年に即答された。
そりゃフロントも不審に思うわな、と明日葉は後ろで荒い息を吐きながら思っていた。
部屋を出た後、二人はエレベーター前で待っていた。が――――一向に来ない。何せ世間はGW。ホテルは満室。ここは27階。
「…………」
「…………」
二人で顔を見合わせて、無言のまま亜笠が階段を指差した。明日葉も高速で首を縦に振った。
―――――で、現在に至る。普段から倉庫の荷運びで鍛えられているものの、二人ともさすがに息が上がっていた。膝がガクガクする。
「お客さま、事前にお支払いは済んでおりますのでこれでチェックアウト完了になりま――――」
「「ありがとうございました!」」
男二人はそう叫んで、疾風のごとく去って行った。
「…………何だったんでしょうね」
「さぁ……」
フロントに立つ二人の女性は、顔を見合わせて首を傾げた。
周囲には手を繋いで歩く恋人たち、子供を連れた仲良し夫婦、大声で談笑しながら歩く大学生と思われる若者たち―――――
その雑踏の中、明日葉は前を走る男の背中を必死で追っていた。
肺が悲鳴を上げている。
「明日葉さん! ついてきてますか!」
「っ! なん、とか……っ!」
息も絶え絶えに返事する。電車の発車まではあと3分、猛ダッシュで行かなければ間に合わない。
駅の中に駆け込むとそこは人でごった返していた。電光掲示板には『事故』の二文字。幸いにも明日葉たちが乗り込む方面とは真逆だが、反対方面の列車が止まったことで、駅構内は人で溢れかえっていた。
「明日葉さん、こっち!」
亜笠に手を掴まれて、引っ張られていく。人波を縫ってホームへと這い出る。と、目的の電車はすぐそこにあった。
「ま、間に……!」
人に押されながらも足を前に出した。と、腕をぎゅっと引っ張られる。明日葉はバランスを崩し、亜笠の胸の中に飛び込む形で車内に入った。
支え切れなかった亜笠が床に倒れる。とほとんど同時に、電車の扉が閉まる。
「――――合った!」
間に合った。ギリギリ。あと一秒遅ければ、と考えて咳き込んでしまった。肺が痛い。倒れ込んだ明日葉の下に、息を切らした亜笠がいた。
「大丈夫ですか」
必然的に明日葉が亜笠を押し倒したような形で乗車する羽目になった。
周囲の視線はそれはもう半端なかったが、明日葉は一切を黙殺した。昼間のフレンチ、夕方のコスモワールドに比べれば。あと今はそれどころじゃないので。
「だい、じょう、ぶ……」
呼吸するので精いっぱいの明日葉を、亜笠は先に立たせてくれた。
その後の明日葉の脳内は、電車を降りてからの段取りでいっぱいだった。
貧乏ゆすりをしながら考える。なぜ電車って各駅に停車するんだろうか。何駅かすっ飛ばしてくれればもっと早く青梅までつけるのに、とか。無茶なのは理解しているが。
「明日葉さん、今不安になったって電車が早くつくわけじゃありませんから」
「えっ?なに?」
「貧乏ゆすり、やめましょう」
カカカカッとゆすられている膝を、亜笠が手のひらでぎゅっと抑えつけた。明日葉はそれどころではなかった。
ホルモン製剤、あれほど忘れるなとでかでかとメモも用意したのに忘れやがって……。っていうかまさか常温のまま置き忘れたりしてないよねあいつ。もしそんなことになっていたらおれはあいつを冷蔵庫に閉じ込めて二度と出すまい、と明日葉は黒い妄想に浸っていた。
亜笠がため息をついた。
『青梅―、青梅―』
アナウンスと共に電車の扉が開く。と同時に二人の男が猛ダッシュで飛び出した。二人の気迫に、駅のホームで電車を迎えていた駅員がぎょっとする。危ないので走らないで、と声をかける間もなく二人の姿は消えていった。
会社は駅から徒歩5分に位置している。走れば2分! と呼吸困難になりそうな肺を叱咤激励して明日葉はひたすら前に走った。右手には会社の鍵。
「って言うか何で休日なのに会社の鍵持ち歩いてるんですか!?」
「はぁ!? 休日に会社の鍵持ち歩くのは常識だろ!」
「そんなんだから社畜って言われるんですよ!」
「うるさーい! とにかく急げ!」
急ぎ会社の鍵を開けて中に入る。倉庫の鍵をキーボックスから目にも止まらぬ速さで出して、明日葉は倉庫へ入った。目当てのものはきちんと冷蔵室に置かれていた。保冷ボックスに入って。大柴はボックスごと忘れたようだ。
「冷所にあったぁあああ! 大柴さんナイス!」
もはや判断基準がおかしくなっている明日葉だった。元はといえばすべての元凶は大柴なのに。
「製剤ヨシ! ボックスヨシ! 伝票ヨシ!」
「配送車は――――」
「車出すより走った方が早い!」
亜笠の言葉をさえぎって走り出す。鍵お願い、とだけ言って鍵を亜笠に放った。キャッチした亜笠が止める間もなく、明日葉は会社を飛び出した。
来た道を引き返し、駅前を駆け抜けていく。
時刻は21時49分、間に合え、間に合えと明日葉は心の中で唱え続けた。足が痛い、肺が痛い、でも届けなきゃならない。
安斎は理不尽に要求を通すような薬剤師ではない。明日葉のプライベート用携帯にかけてきたということは、他に捕まる営業も担当者もおらず、でも急ぎで使用しなければならない薬が出たということだ。長い付き合いで明日葉にはわかっていた。自分が今抱えている注射は滅多に使用されない薬品のため、おそらくは他の卸にも在庫がなかった――――そんなところだと踏んでいた。
「明日葉さん!」
後ろから同じく走ってくる足音が聞こえたが、明日葉は振り返る余裕もなかった。薄暗い住宅地を越え、病院が視界に入ってくる。街灯の下を走り、門をくぐり、夜間警備員の常駐する出入り口に到着する――――と、そこには腕を組んで仁王立ちする薬局長――――安斎がいた。
「大変申し訳ございませんでしたぁ――――――っ!」
叫びながら、思わずスライディング土下座した。土下座しながら保冷ボックスを差し出したので、傍から見たら献上みたいな姿勢になった。
「バカ野郎、夜の病院はお静かにって学校で教わんなかったのか」
フン、と鼻を鳴らしながら、安斎は低い声で静かに言った。
「たいへん、もうしわけ、ございませんでした」
蚊の鳴くような声で明日葉が言い直す。安斎は自身の腕時計を覗き込んだ。
「21時58分、さすがだな明日葉」
「いえっ、こちらの、配送、ミスなので」
息を切らせながら言い訳を述べると、安斎は呆れたように口を開いた。
「大方今日の当番は大柴だったんだろ。よくやるなお前も」
「いえ、そんな、ことは……」
「休みだったんだろ。悪かった。今日中に使わなきゃならん患者がいてな」
思った通り、緊急案件だった。安斎は後ろからやってきた他の薬剤師にホルモン製剤を手渡した。患者のところに行って来い、とジェスチャーしていた。
「無理言って悪かったな……で、」
「え?」
「その後ろのイケメンはどこのどいつだ?」
「あっ」
そこでようやく後ろの男のことを思いだした。振り返るとそこには肩で息をする亜笠が立っていた。
「明日葉さん……」
一瞬だけ自分を睨んだ後に、いつもの無表情に戻る。営業スタイルだ。
「お世話になっております。先月河和に入社しました亜笠と申します」
そこで安斎がニヤリと下卑た笑いを浮かべた。無精ひげの生えた顎を擦って、亜笠を上から下まで眺める。
「ああ、お前が噂の新人くんか」
噂って何の噂だろう、なんとなくわかってはいるが、明日葉はあえて知らないふりをした。
「何だよお前ら、2人でいたのか? 休みの日に?」
ニヤニヤと安斎が問いかける。
「噂は本当だったってことか」
明日葉は嫌な予感がした。安斎が追い打ちをかける。明日葉と亜笠を交互に指差した。
「2人付き合って――――」
「この度は誠に申し訳ございませんでしたまた改めてご挨拶に参りますので本日はこの辺で失礼致しま―す!」
明日葉全力で叫びながら90度きっかりのお辞儀をしたのち、光の速さで回れ右をして走り出した。
「チッ、逃げやがった」
安斎が舌打ちする。亜笠も明日葉の後を追いかけようと安斎に挨拶した。
「では、失礼します」
「おい、新人」
「はい」
「――――応援してるぞ、いろんな意味で」
ニヤッと笑う安斎に、亜笠は少しだけ微笑んだ。
「はい、ありがとうございます」
その場を後にし、遠くなる明日葉の背中を追いかけた。




