明日があるさ2【第九話】
「ちょっと、待――――」
追いかけようと席を立ちかける。と、愛染に名前を呼ばれた。
「亜笠」
「何ですか」
眉根を寄せて応じる。愛染は新人の不愛想な態度にも気を悪くせず、いいから、と前置きした。
「ちょっと一人にさせてやれ。あいつ、ああ見えて繊細なんだよ」
ざわざわしたところにいたから落ち着きたいんだろ、と愛染は言った。
「知ってますよ、それくらい。あなたよりずっと」
視線を上げた愛染の瞳と、亜笠の視線が交差する。先に目を反らしたのは愛染の方だった。敵対する気はない、というような仕草だった。
「ノロケはいいから、座ったら?」
首を傾けた櫟が、自分の隣――――先ほどまで明日葉が座っていた座布団を、ポンポンと掌で叩いた。穏やかな仕草だった。
黙ってその場に座る。櫟は店員に、この人にウーロン茶、と言ってから語り始めた。
「明日葉ね、飲み会参加するのこれが2回目なんだよ」
亜笠は眉根を寄せた。
「…………これが? 勤めて丸5年経つのに?」
「そう。暑気払い、忘年会、新年会、歓送迎会、全部不参加。まー頑なだよねぇ」
「あいつが来たの、最初の歓迎会だけだったな。あとは何かにつけすっぽかしてる」
と愛染。元営業にいた亜笠からしたら、信じられない回数だった。
「僕たちも積極的な方じゃないけど、まだ出てますよね」
櫟の言葉に愛染がため息をつく。
「あいつがタバコ吸うのも、飲み会の最中に抜け出せるからだよ。前の会社にいた頃からずっとそうだったって言ってた。今頃一息ついてんだろ。仕事は出来るのに、不憫なやつ」
亜笠の脳裏に、保冷ボックスを抱えて走る背中が蘇った。
――――自分とのデート中、彼は一度もタバコを吸わなかった。
「……わかってます、そんなこと」
誰ともなく呟く。店員がウーロン茶を持ってきたので口を付けた。
唐突に、隣の櫟が囁くような声で亜笠に話しかけてきた。
「気になるから聞いちゃうけどさ、亜笠ってやっぱりゲイなの」
言いたくないならいいけど、と取って付けたように言われる。亜笠はこうした質問には慣れ切っていた。
「ですね。初恋は幼稚園の男性教諭で筋金入りです」
「気に障ったならごめん」
「別に。慣れてます」
「明日葉のこと好きなの」
「好きです」
間髪入れずに答えた。てっきりからかいの類かと思っていたら、櫟は意外な言葉を続けた。
「ゲイが悪いわけじゃないし、偏見もないよ。でも明日葉は難しいと思うんだよね」
「意外です、いつも面白がっているとばかり思ってました」
「それはあいつの反応が面白いから」
からかうと全力で絡んでくれるでしょ、あいつ。櫟は悪戯っぽく笑った。
「あいつもさ、偏見はないと思うよ? でも自分が男を好きになれるかっていうと、それはまた別の話の気がするんだよね」
愛染が眉根を寄せてそれを聞いていた。亜笠はきっぱりと返した。
「覚悟の上です。でなきゃゲイなんてやってられません」
「うわぁ、愛が重い」
横にいた愛染が、ためらいながら口を開いた。
「あたしは、明日葉は……たぶん別の意味で難しいと思う」
「どういうこと?」
櫟が首を傾げる。
「男同士がどうこうっていうより、恋愛そのものが駄目なんじゃないかって思う――――ことが、前にあって」
亜笠の胸に少しばかり嫉妬心が過る。が、愛染の心配そうな眼差しに、それもすぐに消えていった。
愛染の言いたいことを、亜笠はなんとなくだが察していた。
「わかります。あの人の場合、たぶん性差は関係ない」
え、明日葉ってバイなの? と首を傾げる櫟に首を振った。
「違う。たぶん――――もっと根深い」
ホテルでキスをしようと頬に手を寄せた時の、明日葉の思い詰めた瞳。
その瞳が一瞬だけ暗く濁ったのに、亜笠は気付いていた。
店外にある喫煙所で、明日葉はタバコをふかしていた。店の入り口から渋い顔をしてやってくる亜笠の姿を見て苦笑いする。
「明日葉さん」
「……やっぱり来たか」
亜笠とは反対方向に煙を吐いて、1本目のタバコをもみ消した。
明日葉の手元を見ながら、隣に立った亜笠が言った。
「ずいぶん楽しそうでしたね」
棘のある言葉にギクリとする。
「そりゃ、まあ……お世話になった先輩だしね」
話も弾むよね、と返す。じっとりとした視線が痛かった。
「仲がいいんですね」
「5年間一緒だったからね」
「飲み会、何だかんだで楽しんでるじゃないですか」
来てよかったじゃありませんか、と言われて明日葉は言葉に詰まった。
たしかに、愛染も参加していたし、結果的には来てよかったかもしれない。
だがやはりこうした飲み会の雰囲気は苦手だった。
噂好きの女性社員、酒飲みの営業、説教をしたがる上長――――どれも苦手だ。業務中は仕事さえしていればなんてことはない。でもこうした場では、ノリや面白さが優先される。明日葉にとってはそれが何より苦痛だった。
隣の新人は、明日葉のそんな心境を見透かしたように言った。
「戻らないんですか」
じっと見つめられる。明日葉は気まずくなって目を反らした。
「わかるだろ、苦手なんだよ。ああいう、人が集まって騒いでるところ」
「仕事です。我慢してください」
「給料発生してないんで」
「社会人としての最低限の付き合いですよ。営業じゃないだけまだマシでしょう」
「そりゃそうだけど……その分他の仕事してるから、ってのダメ?」
「ダメです」
「厳しいな、お前……」
「でなきゃ営業は勤まりません」
2本目のタバコを取り出した。そのまま火をつける。亜笠の目が細くなった。
明日葉はふと湧いてきた疑問を亜笠にぶつけた。
「営業、結構つらかった?」
亜笠は元MRだ。取引先との飲み会や付き合いはかなり多かっただろう。想像するだけで明日葉は胃が痛くなった。だが、亜笠はケロリとして言った。
「いいえ、全然。自分で言うのも何ですが、元々社交的ですし、気も利くのでかなり指名取りましたね。ノルマもトップでした」
「清々しいほど想像通りだ」
「やるからには営業だろうが総務だろうが在庫管理だろうが、完璧を目指す性分なんです。仕事はどれも面白いし、性に合ってたと思いますよ」
「ふーん……」
いやお前、ほんとに自分で言うのも何だ、って感じだよ。自慢にしか聞こえない、けどそれに見合った実力があるので何も言えなかった。
「生意気でしょう」
誰が、と思って首を傾げると、亜笠は呆れた顔をした。
「僕ですよ。前の職場でもそうでした。社内では歯に衣着せぬ物言いをしていたので、叩かれましたね」
「別に……まあ、自分で言うなっては思うけど、でも事実だろ。お前本当に社交的で気が利くし、おれがわかりづらく一指導しただけで百とか千とか理解してくれるし。仕事、超やりやすい」
物言いについては自分もだいたいいつも本心がだだ漏れなので、言える立場ではない。お世辞やその場の空気で会話してくる人間よりも、ずっと気が楽だ。
それに、
「言いたいこと言ってくれる方が信頼できるよ、おれは」
言って、煙草を一息吸う――――過去の恋愛経験を思い出して、少しだけ暗い気持ちになった。煙を吐いてその気持ちを打ち消す。
横目で見ると、亜笠は妙な顔をしていた。眉根を寄せて、困ったような、拗ねたような顔をしていた。
「明日葉さんって……」
そう言って、亜笠は口に手を当てて考え込んでしまった。
「何だよ、黙るなよ。言えよ、そこは!」
確か前にも同じように黙り込んだことあったなぁ、と明日葉は一か月前の記憶を反芻した。
あの時は、頑なに一人で残業しようとする自分に、どうしてそこまでするのかと亜笠に詰め寄られたんだっけ。それで、おれのこと嫌ってるならさっさと帰れよとか言い合って……と、再び亜笠を見ると、彼は掌で口元を覆っていた。よく見ると少し顔も赤い。
「あれっ、まさかお前酔って――――」
いや、彼は下戸だ。と、いうことは、つまり……。
「あっ、もしかして具合悪い?」
「本気ですか? それは本気で気付いてないんですか」
「いや、だから何が」
「まあそういうところも好きなんですけど」
言われて、明日葉は首を傾げた。変なやつ、といつものことを思った。
主賓が長く抜けるわけにはいきませんから、と言って亜笠は店内に戻っていった。
明日葉は往生際悪く3本目のタバコに火をつけた。
「明日葉」
入れ替わりで江南が喫煙所にやってくる。眉を下げ、申し訳なさそうに自分のタバコを咥えて火をつけた。
「GW中に安斎先生から呼び出し食らったんだって?」
「あー……まあいつものことですよ」
言うと、江南は頭を掻きながら口を開いた。
「すまん、本当に。実は俺もあの日連絡はもらってたんだ。ちょうど奥さんの実家に帰省してて、福岡にいて」
「それは帰ってこれませんね……」
「横浜にいたんだって? 亜笠と」
あのオヤジはそこまでしゃべったのか……明日葉は眉をひそめた。
「いや、本当に悪かった! 誕生日だったんだろ!? 本当に申し訳ない」
江南が両手を合わせて謝ってきた。明日葉は引っかかる単語が聞こえて、首を傾げた。
「え、いや、おれの誕生日はもうとっくに過ぎてますが……?」
江南も首を傾げる。
「えっ?」
「えっ?」
――――嫌な予感がした。恐る恐る確認を取る。
「あの、誕生日って――――誰の?」
お願いだから自分の勘違いであってほしい。
「いや、だから」
江南がタバコの煙を吐いた。
「亜笠の」
さっき本人から聞いたぞ、という江南の言葉に、頭を金槌で殴られたような気分になる。呆然としながら、それでも念のためと思い江南にもう一度確認した。
「いつ?」
「5月5日」
明日葉は目を閉じて天を仰いだ。
なおも首を傾げる江南に、トイレ行ってきます、と告げてその場を後にした。




