第29話:負債が大きすぎるなら、銀行(せかい)を乗っ取ればいいんですわ
「……あ、ああ……」
左目が熱い。ドロドロとした黒い泥が、視界の端から溢れ出してくるのが分かります。
鑑定眼が、これほどまでに残酷な真実を映し出したことはありませんでした。
わたくし、セラフィナ・フォン・アストレア。
その本質は、五〇〇年前に神域が切り離した『世界の歪み』……精算されなかった『巨大な負債』の塊。
「ふははは! 見ろ、その醜い色を! 貴様が誇っていた黄金の光は、ただのメッキに過ぎなかったのだ! 貴様は光を奪うだけの、虚無のバグなのだよ!」
宙に浮かぶ最高監査官が、最後の一つとなった巨大な天秤を真っ赤に燃え上がらせ、勝ち誇ったように叫びます。
わたくしの指先から、力が抜けていきます。扇子が床に落ち、乾いた音を立てました。
今まで築き上げてきた全て。
王城の買収も、独自通貨の発行も……。
全ては「ゴミ」が砂の上に建てた、価値なき城だったというのですか?
「……おしまいだ。世界を救うのは神であり、バグは消去される。それが絶対の秩序だ!」
監査官の手が、真っ赤な処刑の光を放とうとした、その時。
「――やかましいぞ、役立たずの機械が」
背後から、凍てつくような低い声が響きました。
次の瞬間、わたくしの震える肩に、重厚で温かい「漆黒」が纏わされました。
「……アラリック、様……?」
「オーナー。貴女の目は、私を『算出不能』だと言いましたね。ならば、貴女が自分をどう鑑定しようと、私の評価額は変わりません」
アラリック様が、わたくしの背中からそっと抱きしめるようにして、その大きな手でわたくしの左目を覆いました。
闇に沈みかけていた視界に、彼の纏う強靭な魔力が流れ込んできます。
「貴女が世界の『負債』だと言うのなら、私はその負債を丸ごと買い取ったオーナーだ。ゴミであろうと、呪いであろうと……私の所有物に指一本触れさせるつもりはない」
漆黒の剣が抜かれ、監査官の放つ赤い光を真っ向から切り裂きました。
アラリック様の、一ギルの揺らぎもない狂信的なまでの忠誠。
その熱が、凍りついていたわたくしの思考回路を、強引に再起動させました。
「……ふ。……ふふふ……」
わたくしの唇から、乾いた笑いが漏れました。
それは、絶望の笑いではありません。
かつてないほどに「冴え渡った」……商売人としての、邪悪な閃き。
「……何を笑う、エラー個体! 消滅を前にして発狂したか!」
「……いいえ、監査官様。……あまりに貴方がたの経営感覚がズレていらして……。……助言を差し上げたくなってしまっただけですわ」
わたくしは、アラリック様の手を優しく退け、再び前を見据えました。
左目から溢れていた黒い泥は、いまやわたくしの意志に従い、漆黒の炎となってその瞳に宿っています。
「……負債。……ええ、認めますわ。……わたくしはこの世界に開いた、巨大な『穴』ですのね」
わたくしは、床に落ちた扇子を拾い上げ、優雅に土を払いました。
「ですが、徴収官様。……金融の世界には、こういう格言がございますの。……『一〇〇万ギルの借金があれば、それは借りた側の悩みだが……。……一〇〇億ギルの借金があれば、それは貸した側の悩みになる』と」
監査官の動きが、ぴたりと止まりました。
「……わたくしが消滅すれば、その『負債』はどうなりますの? ……この五〇〇年分、神域が隠蔽し続けてきた『世界の不具合』。……それを抱えたわたくしという器を、今ここで強引に破壊なされば……。……その瞬間に、この大陸の理は、耐えきれずに全崩壊いたしますわよ?」
「……な、なんだと……!?」
「粉飾決済を隠すために、証拠物件を爆破しようというのですか? ……あら、随分と短絡的。……そんなことをすれば、神域の信用はマイナスどころか、消滅いたしますわ。……貴方がたは、わたくしを消すことなんて、最初から出来はしないのです」
わたくしは一歩、また一歩と、宙に浮く監査官へ歩み寄りました。
今や、恐怖に震えているのは監査官のほう。背負った巨大な天秤が、重圧に耐えかねて悲鳴を上げています。
「……わたくしの存在は、もはやこの世界の価値と『不可分』ですの。……わたくしが潰れれば、世界も潰れる。……つまり、わたくしは……世界を人質に取った、史上最大にして最強の『債権者』になったというわけですわ」
わたくしは、扇子で自分自身の胸を指し示しました。
「……さあ、商談を続けましょうか。……わたくしを『バグ』として排除し、心中なさるか。……あるいは、わたくしの軍門に降り、神域の全株式(システム権限)をわたくしに譲渡して……生き延びるか」
暗闇に沈んだ王都に、わたくしの「漆黒の光」が放射状に広がっていきます。
独自通貨アストレア・クレジットが、今や黒い炎を纏い、より一層の不吉な輝きを放ち始めました。
「……選ぶのは、貴方ですわ。……お急ぎなさいな。……わたくしの忍耐という名の『準備金』、そろそろ底を突きそうですもの」
絶望を資産に変える。
これこそが、アストレア公爵令嬢セラフィナの、真の『鑑定』です。
ふふ……。
神様。……わたくしという負債、一生をかけて『返済』し続けていただきますわよ?
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
「負債が大きければ、貸している側が逆らえない」……これぞ、極限の経済学!
自分自身のバグすらも脅迫材料に変えるセラフィナ様の不敵さ、いかがでしたでしょうか?
さて、次回。追い詰められた神域最高監査官が選ぶのは、服従か、それとも禁忌の「再起動」か。
そして、セラフィナ様とアラリック様の関係も、この「負債の共有」を経て、より一層深く、病的な(?)契約へと進化いたします。
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