第28話:最高監査官、および「システムバグ」の指摘
「――不適合個体、セラフィナ・フォン・アストレア。貴様の行為は、世界の実行環境に対する『重大な脆弱性攻撃』と判定された」
空の割れ目から響くのは、もはや声ですらありませんでした。
それは、空間そのものを震わせる高周波の振動。三つの巨大な天秤を背負った異形――神域最高監査官が、白銀の法衣を翻しながらゆっくりと降臨してまいります。
その影が王城に落ちた瞬間、黄金色に輝き始めていた王都の街灯が激しく点滅し、民衆は「神の怒りだ!」と叫んで、再び暗闇の恐怖に平伏しました。
ですが、わたくしは。
「……あら。……脆弱性、ですの? ふふ。……自分のところのセキュリティホールを放置しておいて、発見者に八つ当たりをするなんて。……随分と程度の低い管理体制ですわね」
わたくしは、吹き付ける「神威」という名の突風を受け流し、優雅に扇子を広げました。
アラリック様が、わたくしの前に立ち、漆黒の魔力を剣に纏わせています。その瞳は、神という名の理を斬り裂くための「殺意」で満ちておりました。
「下がれ、アラリック。……この『バグまみれの執行官』には、剣(物理)よりも先に、言葉(論理)を叩き込んで差し上げなくては」
「……しかし、オーナー。……奴の放つ圧力は、これまでの徴収官とは次元が違う」
「構いませんわ。……次元が違おうと、同じ帳簿の上に存在している以上、計算は通じますのよ」
わたくしは一歩、バルコニーの縁まで歩み出しました。
宙に浮く最高監査官は、瞳のない顔面をわたくしへ向け、三つの天秤を不気味に傾けました。
「『世界の根抵当権』の不正使用。……魔力供給の強制停止。……独自通貨による信用秩序の破壊。……これらすべての事象を、たった今を以て『ロールバック(強制巻き戻し)』する。……消えよ、エラー個体」
監査官が手を掲げた瞬間、わたくしの周囲の空間が、バリバリとガラスが割れるような音を立てて崩壊し始めました。
概念的な「削除」命令。
触れれば、わたくしの肉体も、記憶も、この世から一ギルたりとも残さず消滅するでしょう。
ですが。
「……発動。……『アストレア家・サービス利用規約、第百二十八条』。……提供側の過失による一方的な契約解除の、全面的な拒否」
わたくしが、母の遺した『世界の根抵当権』の証書に、真っ赤な魔力のサインを叩き込みました。
すると、迫りくる消滅の波が、わたくしの指先数センチのところで、まるで目に見えない「ファイアウォール」に阻まれたかのようにピタリと止まったのです。
「……なっ!? 世界の基本命令を、拒絶した……だと……?」
「監査官様。……貴方がたは、大きな勘違いをしていらっしゃいますわ。……この世界を動かしているのは、貴方がたの“意志”ではなく、わたくしたち人間との間に結ばれた“契約”ですのよ」
わたくしは、空中を指先でなぞり、神域の元帳のコピーを展開しました。
「五〇〇年前、王家と交わした契約書。……そこには『神域は、世界の理を維持する役務を負う』と明記されていますわ。……ですが、貴方がたは中抜きに励み、管理を怠り、挙句の果てに魔力供給を止めたわたくしを『エラー』と呼んだ。……これ、管理義務の放棄(債務不履行)以外の何物でもありませんわよね?」
わたくしの指摘と共に、監査官が背負う三つの天秤の一つが、激しく火花を散らして砕け散りました。
論理によるダメージ。
神聖な鎧を纏っていようと、その根幹にある「正当性」を崩されれば、彼らもまたただの脆弱なデータに過ぎないのです。
「……エラーは、貴方がたのほうですわ。……仕様書(神話)通りの動作をしないのなら、それはもはや『神』ではなく、ただの『不良品』。……即刻、廃棄処分が妥当だと思いませんこと?」
「不遜な……! 我が理を、ガラクタと同列に扱うか!」
監査官が激昂し、残りの二つの天秤を激しく揺らしました。
すると、今度はわたくしではなく、わたくしが発行した「アストレア・クレジット」……黄金色の光を放つ街灯に向かって、呪いのような波動が放たれたのです。
「ならば、貴様が築いた偽りの『信用』ごと、この都市を灰に返そう。……民の魂が、貴様を否定するだろう」
街灯の光が紫色に汚れ、民衆が頭を抱えて苦しみ始めました。
システムの強制再起動による、大衆の洗脳。
ですが、わたくしは笑いました。
「……あら。……民衆の評価を買い叩こうなんて、随分と安直な手を使いますわね。……アラリック。……わたくしの口座から、全額、魔力を放出しなさいな。……『先行投資(先行加護)』の時間ですわよ」
「……御意。……全てを、オーナーの輝きに変えよう」
アラリック様が剣を空へと掲げました。
わたくしが差し押さえていた全大陸の魔力が、彼を媒介にして、黄金の津波となって街中へ溢れ出しました。
紫色のノイズは一瞬で浄化され、民衆の絶望は、圧倒的な「実利」への歓喜へと上書きされました。
「……さあ、監査官様。……顧客の満足度は、ご覧の通りですわ。……貴方の『削除命令』に賛同する者は、一ギル分も残っておりませんわよ?」
さらに二つ目の天秤が、砕け散りました。
空に浮かぶ最高監査官の姿が、今や透け始め、存在が不安定になっています。
勝負は決した。……そう思いましたわ。
ですが、最後の一つ。最も巨大な天秤だけが、不気味なほど真っ赤に燃え上がったのです。
「……ふは、ふはははは! 面白い。……確かに、貴様の『論理』は完璧だ、セラフィナ。……だが、一つだけ、致命的な不整合が残っている」
最高監査官が、半透明になった腕を、わたくしに向かって真っ直ぐに伸ばしました。
「……貴様自身の、出生だ。……アストレア家の血脈、エレインの娘。……貴様の魂の奥底、その最深部にある『記述』を、自分で鑑定してみたことはあるか?」
「……何ですって?」
「貴様は、人間ではない。……五〇〇年前、システムの崩壊を防ぐために神域が切り離した……『世界の負債』そのものが、肉体を得た姿だ」
その瞬間。
わたくしの左目、鑑定眼が、かつてない激痛と共に、わたくし自身の内側へ向かって強制起動いたしました。
――鑑定。
――対象:セラフィナ・フォン・アストレア。
――判定:**【算出不能・存在理由:世界を破滅させるための未清算債務】**。
「……え……?」
わたくしの帳簿が、真っ赤な血の色に染まりました。
わたくしが買い叩いてきた世界。
わたくしが正してきた理。
その全てを破壊するために生まれた「バグ」こそが、わたくし自身……。
「……ふふ……。……あら。……これが、お母様が遺した『最後の預金』の、真実の姿なのかしら……」
わたくしの指先から、黄金の光が消え、不吉な「無」の闇が溢れ出し始めました。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
神域の最高監査官を論理で圧倒したかと思えば、突きつけられたのは「自分自身が世界のゴミ(バグ)」だという残酷な鑑定結果……。
セラフィナ様の無双劇が、ついに自分自身の「存在価値」という最大の敵に突き当たりました。
果たして、セラフィナ様はこの「最大の負債」をいかにして清算するのか?
そして、隣で見守るアラリック様は、彼女が「バグ」であってもその所有権を主張し続けるのか……。
「セラフィナ様、自分自身も買い叩いて!」と思ってくださった方は、ぜひ評価やブックマークをお願いいたします。
皆様の応援が、彼女が「自分」という名の帳簿を書き換えるための唯一のインクになりますのよ!




