第17話:王子(無職)、初めての原価計算
「……は、離せ! 僕は、僕はこれでも一国の、一国の……!」
「……『一国の元・無能』でしょう? いつまで過去の肩書きを握りしめていらっしゃるのかしら。汚らしいから、早くその手を離してくださらない?」
わたくしは、執務室の絨毯に泥のついた靴でしがみつこうとするジュリアンを、冷たく見下ろしました。
麦粥を啜り終えたばかりの彼は、騎士たちに引きずられ、今やわたくしのデスクの前で惨めに膝をついています。
「さて、ジュリアン。……貴方の初仕事ですわ。……アラリック、例のものを」
わたくしの背後に控えるアラリック様が、無造作に一抱えもある古びた書類の山を、ジュリアンの目の前にドサリと積み上げました。
巻き上がった埃に、元王子が激しく咳き込みます。
「な、なんだ、この紙屑の山は……!」
「紙屑? ……あら、心外ですわね。……それは、貴方がこの三年間で浪費した『王宮晩餐会の経費内訳』ですわ。……貴方、ワイン一本の仕入れ価格も知らずに、浴びるように飲んでいらしたでしょう?」
わたくしは、彼に一本の安物のペンと、算盤を投げ与えました。
「今日のノルマは、この書類の数字をすべて照合し、現在の市場価格との差額を算出することです。……一ギルでも計算が合わなければ、明日の朝食の塩は没収ですわよ」
「じ、冗談だろう……! こんな膨大な量、一日で終わるわけが――」
「終わらせるのですわ。……一ギルを稼ぐ苦しみを知らない貴方に、一ギルを使う権利はありません。……ああ、それから。……そのペン、わたくしの資産ですから。……インクを一滴無駄にするごとに、時給から一ギル差し引かせていただきますわね」
ジュリアンは絶望に顔を白くし、震える手で書類を捲り始めました。
かつて愛を語ったその口から漏れるのは、もはや甘い言葉ではなく、数字に対する呪詛の声。……ふふ、実に健全な労働風景ですわ。
わたくしが、算盤を弾く音をBGMに紅茶を楽しもうとした、その時。
執務室の扉が、不躾なノックと共に開かれました。
「失礼いたします、セラフィナ様。……『大陸商連盟』の代表、ボルマン氏がお見えです。……非常に、お急ぎのご様子で」
入ってきたのは、わたくしが任命した新しい秘書官。
わたくしは扇子を広げ、ゆっくりと椅子に背を預けました。
「……ハイエナが、ようやく姿を現しましたわね」
部屋に入ってきたのは、絹の服がはち切れんばかりに太った、脂ぎった中年男でした。
大陸中の物流を牛耳る商連盟の幹部。……彼らは、王家が滅びたという噂を聞きつけ、真っ先に『債権者』としての権利を主張しに来たのでしょう。
「……お初にお目にかかります、セラフィナ・アストレア公爵令嬢。……いやはや、お噂通りの美しさだ。……ですが、商売の話となれば別でしてな」
ボルマンと名乗った男は、挨拶もそこそこに、わたくしのデスクに一枚の羊皮紙を突きつけました。
「……これをご覧ください。……先代の国王陛下と我が連盟の間で交わされた、正式な融資契約書です。……王家が我が連盟から借り入れた総額、利息を含めて十億ギル。……新オーナーとなられた貴女には、当然、この負債を継承していただく義務がございます」
十億。
足元で書類を整理していたジュリアンが、その数字を聞いて「ひっ……!」と短い悲鳴を上げました。
「……十億ギル、ですの」
「左様。……即座に全額とは言いません。……ですが、まずは誠意として、この国の『貿易関税権』を三〇年間、我が連盟に譲渡していただきたい。……さもなくば、この国への物流はすべて停止させていただく。……国が干上がる様を見たくはありますま?」
ボルマンは、勝利を確信したように下卑た笑みを浮かべました。
アラリック様が、無言で剣の柄に手をかけます。……ですが、わたくしはそれを手制しました。
「……ふふ。……ふふふふふ!」
わたくしの笑い声が、執務室に響き渡りました。
ボルマンの顔が、怪訝そうに歪みます。
「……何が、おかしい」
「あら、ごめんなさい。……あまりに貴方の『鑑定価値』が低すぎて、笑いが止まらなくなってしまいましたの。……ボルマン様。……貴方、その契約書を持ってわたくしの前に現れたことが、人生最大の『損失』になるとは思わなかったのかしら?」
「何……?」
「その十億ギルという数字。……わたくしが今朝、地下の倉庫で見つけた『商連盟による関税逃れの裏帳簿』の脱税額……十二億ギルと比べれば、随分と可愛らしい額ですこと」
わたくしは、デスクの引き出しから、一冊の分厚い黒い手帳を取り出し、ボルマンの鼻先に突きつけました。
「……さあ、商談を始めましょうか。……貴方がたが王家に貸した十億を、わたくしが『脱税の追徴課税』と相殺した上で……残りの二億ギル、今すぐこの場で現金払いしてくださるかしら?」
ボルマンの顔から、脂汗が滝のように流れ落ちました。
愛も、信頼も、そして『契約の圧力』も。
すべては、より正確な『証拠』を持つ者の前では、無価値なゴミに過ぎませんのよ。
「……アラリック。……この男を逃さないで。……一ギル残らず、絞り出しますわよ」
第二章。
わたくしの帳簿は、いよいよ大陸の富を飲み込み始めますわ。
お読みいただき、ありがとうございます!
元王子ジュリアン、初めての労働。インク一滴を惜しみながら計算に励む姿……これこそ「適材適所」ですわね。
そして、現れた強欲な商人ボルマン。
「借金を払え」と意気揚々と乗り込んできた彼が、逆に「脱税の追徴課税」を食らう様は、まさに自業自得というものです。
次回、**「関税の女王、商連盟を買い叩く」**。
逃げ場を失ったボルマンが繰り出す最後の汚い手とは?
そして、ジュリアンが偶然見つけてしまった、王家の「隠し口座」の鍵……。
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