城をつなぐ国~泡沫の楽土⑤~
明朝、チユを連れておセン様に会いに行った。10年ぶりに会うというのに、チユは覚えているようで、おセン様に顔を寄せてくる。おセン様も愛おしそうに撫でてくれチユは嬉しそうだった。彪比古は「また来ます」と言い残し、チユと村を出た。
それから、数日後本山に戻ったのだが…。ひと騒動会った後だった。彪比古は急いで視察団の最終地点に向かったが、間に合わなかった。視察団は先に本山に戻り、小公爵が行方不明であることを報告したからだ。彪比古の部下たちも通常であれば、数日遅れるとだけ伝えたかもしれない。しかし、南地方の集中的な豪雨災害はひどい状況であったと聞く。いつも何も言わないが、あちらの方面に向かっていることに気づいていて、気づいていないふりをしてくれていたのだ。大騒ぎになったのは、城と公爵家どちらもで、城は山道の補修工事への支援要請を受けた際に彪比古が怪我をしているなどの報告はあがっていないことに最悪の想定をしていた。公爵家では、視察団から離れ単独行動をしていることすら知らず、どこで何をしているのか、無事なのかまさか出奔なのかと両親も三姫も寝食を忘れ、無事を祈っていたのに、そこに何も知らない彪比古が帰ってきたのだから、更に驚かれたのだ。
竜見の山道の復興救助をしていたことは、派遣されていた本山の役人からその頃には伝わり、心配していた公爵への人々へも「ノブレスオブリージュ」ととってつけたように話した。親バカなのか感心する両親と涙ぐむ妻に後ろめたさが残ったが、今まで話すことも避けていた「妻」に対しては、おセン様のためにも向き合わなくてはならないと思った。自分の立場は、曲がりなりにも降嫁を受けた身の上で、三姫もそれなりの立場をもってここに嫁いできているのだから無下にしてはいけないのだと、おセン様と話して反省したのだ。
心配かけてすまなかった。
ただ、妻を見つめて彪比古は言った。三年間夫婦らしい会話をしたこともあったような気もするが、三姫にとっては初めてと思える状況だったのか、頬を赤らめ涙した。その姿を見て今までのことを申し訳なくも思ったし、そしてまたおセン様を思う自分に辟易とした。しかし、あのつかの間の村での出来事を思い出すと胸を熱くする自分がいることに彪比古は気が付いていた。既にもうあの村に帰りたいと思っているのだ。行くのではない。帰りたいのだ。おセン様のことを国王は、朱山公の庇護下に置かれているということだけ伝わっているようだったので、これ以上の報告を国王にはする必要がない。幸いなことに両親は民への暮らしを知りたいと言い訳した彪比古の話を鵜吞みにしている。長い休みを取るたびに視察団に入らなくても、おセン様に会うことが叶うのだ。彪比古は竜見に行くという計画を立てると思っただけで、胸の高鳴りを抑えることができなかった。
彪比古は、村を出るときに宿屋の女将からお願いされていたことがあった。
アズマにいかれるのであれば、妹のところによってほしい
聞くところによると、女将にはすぐ下の妹がアズマに嫁いでいるという。身重の妹に安産祈願の腹帯を届けてほしいというのだ。女将は知らないから仕方ないことだが、天下の小侯爵にお使いをしかも腹帯を頼むとは…。とも思ったが、それだけ親しまれた証拠だと快諾した。本山の邸宅を出て、アズマの駐屯地に帰還を伝えた後に向かうことにした。身元がばれることを恐れた彪比古は勤務日ではないので、隊服は避けて準じた服装を身にまとった。
本山の大通りに位置するその店は「古都」という名前だった。喫茶店らしく、店に入るとモダンなレンガつくりの内装だった。出迎えた女性はあまりにも宿屋の女将に似ていたので
「ヤヨイさんでしょうか?」
と訪ねると目を丸くしていた。一見さんのしかもものすごい美丈夫の青年が自分の名前を知っていることに、夫のある身でありながら小躍りしたい気分であった。
「竜見のセツさんからお預かり物があって」
と言うとなんだというような顔をしたと思うとすぐに商売の顔をして、「姉がお世話になっています」と言いながらテーブルへ案内した。見れば、その辺の下っ端とは違う品を醸し出す彪比古は勤務中ではないため、軍服ではなかったものの上質なものを着ていることは明らかだった。第一騎士団の制服でなければばれないと思った彪比古が浅はかなのである。こんな上客逃がすものかとヤヨイは間違いなく思っていた。
通されたテーブルに座るとその席から本山がよく見えた。先日山の上から見た本山も見事であったが、麓から見る本山もなかなかだなと眺める。古都は、本山側の窓が大面で設置されているので、まるで風景画のようである。ふと、店内を見渡すとヤヨイがきびきびと客をさばいている。妊娠中なのにご苦労なことだと感心していると、ドアが開き髭を蓄えた白髪の男が入ってきた。右足を少し引きずる癖のある歩き方に目が留まった。よく見ると右頬の知った場所に痣のように見える傷跡があり、思わず立ち上がった。
勢いよく立ち上がったので、歩いてくるその白髪の男も驚いて彪比古を見る。そしてはっとした顔をした。
「お久しぶりです。曹長殿」
そういうと、彪比古は深々と頭を下げたのだった。




