城をつなぐ国~邂逅の日④~
彪比古は、答案用紙を握りつぶすのではないかというくらい、強く持ち穴が開くほど見た。その様子に、女将もカズの目を丸くして見つめる。
「お兄ちゃん…?どうしたの?」
恐る恐るカズが尋ねる。少し我に返った彪比古は、手の力を緩めながらひきつった笑みを浮かべた。まだ彼の心臓は早鐘のように早く、冷汗が止まらない。息を整えて彪比古は言う。
「カズ…この先生はどんな人なんだい?」
今度は、恐る恐る彪比古が尋ねる。う~んとうなりながらカズは考える。
「綺麗で、優しくて、頭が良くて…あとすごい綺麗!」
その返答に女将がカッカッカと笑う。
「カズ、綺麗ばっか言ってるよ」
あまりに様子がおかしい上客に少しの不信感はあるものの、数日泊まって感じたこの客の誠実さは間違いないと女将の勘が言っているので、女将は彪比古に説明を加える。
「9年…たったかしらね。私たちがここに移り住んで、カズがお腹にいたころだから。」
そういうと、その先生と呼ばれる女性がアズマから移り住んでいること。この当たりの子どもたちの教育をほとんど無償で引き受けてくれていることなどを教えてくれた。
「初めて会ったときそれほど歳の差を感じなかったけど、確かに綺麗だからどんどん歳の差を感じるよ。」
と所帯じみた顔をしながら女将は言う。女将とさほど歳が変わらず、都のほうからやってきた。そんなはずはないと思いながらも辻褄が合ってしまう。
「お客さん、残念だけどねぇ」
女将は、もったいぶったように最後にこう付け足した。
「先生はね、早くに旦那さんを亡くされてね。落飾されてるから、言い寄ろうとしても無駄だよ。」
落飾…。もし本当にあの方ならばあの嫋やかな黒髪を削ぎ落したということか。二人の話を聞く限り、あの人であるはずがないのにあの人なのではないかという思いが止まらない。彪比古の胸は更に早く鳴っている。
「カズ…。お願いがあるんだ。」
彪比古は、カズにお願いをすることにした。もう夕暮れ時。もうすぐ待ちに待った夕食なのに、空腹なんて忘れてしまった彪比古は、カズと少し外に出てくると女将に言い残し、外に出た。カズに、その寺子屋という場所を教えてもらうためだ。カズの話だと、名のある人の別荘に住んでいて、そこの離れを学び舎として解放しているらしい。宿屋から少し奥に入ったところにある白い壁の家をカズが指さす。この辺の家にしては大きいが、アズマの方ではさほど大きくないこじんまりとした家だった。広い敷地のようだが奥が畑になっているのか、手前にその先生の家と、ガレージとシェッドのようなものがある。そのシェッドに手を入れて寺子屋としているようだ。ジェットの壁は石造りで、白っぽく落ち着きがあった。カズがいうには、まだ先生は寺子屋にいるという。確かに小窓から人影がチラチラと見える。先生は、御付きの人が多くて二人いるらしい。らしいというのは、一人がアズマの家に帰るのかずっといるわけではないらしいのだ。先生が勉強を見てくれた後、サヤと呼ばれる人がいつもお茶を出してくれるらしく、それが美味しいとカズは言う。一通り話カズから話を聞いて、寺子屋を見つめる。先生を呼んでみようかとカズが気を利かせて聞いてくる。先生の名前は、センというらしい。お願いするかを迷っている間に、カズは大きな声で門の外から声を掛ける。
「先生~ セン先生~ カズだよ~」
心の準備ができていない彪比古は、目をきつく閉じてしまった。寺子屋の中の音が、少しずつ扉に近づいてくる。
「どうしたの?忘れ物かしら?」
そういった声は、そよ風のように優しく嫋やかな声だった。10年聞きたくて聞けなかったあの方の声。こんな声だっただろうか。そっと目を開けると同時に扉が開いた。
髪が肩のあたりで削ぎ落されていて、10年前よりさすがに大人びた表情の女性が、目の前にいる兵士の顔を見て、ハッと驚く。彼女からは何も発しない。驚きすぎて何も発せないと言ったほうがいいのかもしれない。その顔を見て、彪比古はやっと身体の血の巡りが再開した。フッと10年前と同じように微笑んだ。
「お久しぶりでございます。ひ…か…」
姫殿下とはっきりいうことは、さすがにカズの前で憚られたが、どうしても口をついてしまった。沈黙の後、10年前と変わらない笑みを返して
「お久しぶりですね。」
そう言った彼女は、まぎれなくこの国の仲姫だった。




