六
(まさか――これがエリスの本当の力)
十年前とはまるで違う。手加減されていた――だったとしても意味が分からなかった。手加減をする意味が。実際、自分も含め聖女のほとんどは使徒を倒している。その時でさえ、こんな空気をだすことはなかった。
「――いいよ」
シェオルの囁きに、セレスは思考を止め視線を向けた。エリスの闇を受けてもなお、シェオルは惑わず迷わず、そして、笑った。
「殺さないと、殺されるよ」
エリスが飛び出した。と、同時に魔法も放たれる。
巨大な闇の炎。猛狂う殺意と破壊の衝撃は、地を焦がし聖堂の全てを焼きながらシェオルを包み込んだ。だが、
ゴォォオオオオッッ!!
それはまるで黒炎の断末魔のように、宙に走る一閃に闇の焔は二つに割れ上下に弾け飛んだ。短剣の一薙ぎで炎を斬り裂き、瞬時にシェオルは空いている右手を上へと振る。右腕と同じく右足も踏み出し、左足を引き半身を逸らせ、上へと弾けた炎を裂きながら目の前へと迫った鎌の刃を左へと流した。
「――――」
エリスの瞳に驚愕の感情が揺らめいた。短剣の一振りだけでは消せない魔法と、それに合わせた頭上の一撃。手加減しているわけではない、消すつもりでやっている。それをたった二手で目の前の幼い女は防ぎ、そして――
ズザッッ――!!
エリスは顔を歪ませ後ろへと飛び退った。シェオルから距離を置き、身体の違和感とともに視線を下ろす。
装束が裂かれていた。黒き衣は口を開け、自分の――フルールの白き肌を覗かせている。ギリッと奥歯を噛み、拳を握り締めた。あの刹那、シェオルはこちらの刃を勢いを殺すことなく流し、炎を斬り裂いたまま脇に止めていた短剣を返して薙ぎ払ったのだ。鎌を振り下ろし、空いた胴へと。後一瞬判断が遅れていれば、確実に斬られていた。
「――ァアアアッ!!」
エリスは鎌を地につき、天へ咆哮した。
「アアアアァアアアアアァァァアアアアアアアッッッ!!!!」
エリスの身体に漆黒の翼が翻る。羽を散らし、天へ憤怒するように――または慟哭するようにエリスは咆哮を続けた。
鎌を携えた黒き翼の漆黒の少女。その姿は死神そのものだった。そして、それはエリスの存在そのものでもある――不和と殺人を司る災いの魔女の使徒。
ゴォォオオオオオォォオッッ!!
黒炎の柱が無数に立ち昇り、闇の灼炎がエリスの身体から螺旋を描いた。地を揺らし壁を震えさせ、炎の柱は勢いを増し煉獄の渦は宙を焦がし全てを染め飲み込んでいく。
全てを壊し消すつもりでいる――シェオルは目前の光景を見つめながらぼんやりとそんなことを考えていた。何故、ぼんやりになっているのかは分からない。呆けているわけでも、傷で思考がなくなってきているわけでもない。おそらくは、と思う。一つの意志しかないから、他のことはどうでもよくなっているのだ。どんなことが起ころうと、自分はただ一つのことを必ず成し遂げる存在でしかない。それ以外は不要だ。
つまりは、
(――心がなくなっている)
シェオルは短剣を右手に持ち直し、逆手の刃を背中の後ろへ構え、僅かに腰を落とした。エリスは近づけないと思っているのか、咆哮を轟かせていた。漆黒の炎の勢いは確かな破壊と消失を膨らませている。満たされれば、すべては虚無へと導かれるだろう。
だが――すべては関係なかった。導かれるまでもない、虚無ならすでに持っている。冥府も地獄もともにある。




