第三話-月もなき 朔夜の闇に 紛れ込み 霞ゆくまま 息をする僕
——バグったままでもいい。必ず仲間はいる。フォロワーの1人である密が教えてくれた。
だけど、簡単にできることじゃない。僕は今日学校に行った。
ただでさえ、ちょくちょく休んでしまっている学校だ。行くだけでもエネルギーがいるのに、今日に限って最悪なことがあった。
「おい、また休むのかよ」「もっと普通に頑張れよ」 周りの何気ない視線や、先生の『お前のためを思った』お説教。突きつけられる言葉の凶器に、僕の心はすっかり雨雲のようにどんよりとしていた。 将来のレールに馴染むことも、愛想よく笑うこともできない。日によって自分の形がグラグラと揺らいでしまう僕は、みんなと同じ速度で走る「昼間の社会」のスピードに、どうしてもついていけなかった。
明日も学校はある。行かなきゃいけない。分かっているのに、昼間の嫌な記憶が頭の中で泥のように渦巻いて、どうしても目が冴えてしまう。 時計の針は、深夜2時を回ったところだった。
このまま布団の中でうじうじしていても、自己嫌悪に溺れるだけだ。液晶を見るともっと眠れなくなると分かっていながらも、僕は観念して、重い身体を起こしてノートパソコンを開いた。腕を伸ばすと、エアコンで冷やされた空気が肌に凍みる。
アクセスした『星詠みのうた』は、昼間の騒がしさが嘘のように静まり返っていた。どこかのきらびやかで誰もいない商店街のように。密も、もうとっくに眠りについた時間に、ログインしている人はなかなかいない。
そんな中で、「新着短歌」の空に1つ流れ星が降ってきた。
「月もなき 朔夜の闇に 紛れ込み 霞ゆくまま 息をする僕」
「霞」と入っていてどきりとした。僕のアカウント名の「Kasumi」は「霞みゆく」から取ったからだ。
よく見たらフォロワーの「朔夜」が投稿した歌だった。フォロワーといえど、密や朔夜らは僕が短歌を始めたときにフォローしてくれただけの赤の他人なのだが。今は僕は人の短歌を見るだけ。気分で返歌もするが、ただの自己満足で、相手には何も求めていないような関係だ。
だけど、そのありそうでない距離感は、リアルにはないもので、居心地がいい。
まあ、一応(?)フォローしてくれてるし(??)、返歌でも詠もうかなっ♫(???)
脳内で朔夜に喋りかけている僕は、本当にしょうもなくて、呆れて下さいと言っているようなもんだった。
キーボードの上に置いた手のひらは、やっぱり昼間の傷のせいで、少しだけ冷たく震えていた。 画面を見つめる僕の目は、いつの間にか、また「真面目で、歪な僕」に戻っていく。
朔夜の「霞ゆくまま息をする」という言葉に、溺れそうな僕の心を、そっと重ねるように文字を打ち込んだ。
『走り去る 昼の光を 追いかけず 止まった夜に 溶けてしまいたい』
「詠む」ボタンを押し、タイムラインでその31文字が星になるのを見届ける。 すると、画面を閉じる暇さえ与えないほどのスピードで、画面の右上がピコンと跳ねた。なんだろ、返歌かな?
――✉️『星詠みのうた』からのお知らせ:DMが届きました。 朔夜 さん:返歌ありがと。て……
いや、手紙のアイコンだ。密のときと同じ、ダイレクトメッセージの通知。それも『朔夜』からだった。
にしても即レスすぎないか?と思ったが内容が気になったのでとっとと中を開く。
朔夜:返歌ありがと。てかKasumi、深夜2時なのにめっちゃ情緒どんよりじゃん。大丈夫?』
画面の向こうの朔夜は、タイムラインの静かな歌の印象とは違って、驚くほどレスポンスが軽快だった。
そして僕は、いきなり呼び捨てにできる陽キャ(?)にびっくりしている。女の子みたいに縮こまった。
僕も脳内で呼び捨てにしてるくせに…
朔夜は、まるで今が一番元気な時間帯だと言わんばかりのテンポ感だ。ほんとにこの人生粋の陽キャだな…
Kasumi:ごめんなさい、夜中に暗い歌を投げちゃって。……今日、学校に行ったんだけど、
すごく嫌なことがあって。みんなに嫌なこと言われて…
周りのペースにどうしてもついていけなくて。
それで、自分が出来損ないのバグみたいで怖くて眠れなくなっちゃったんだ
文字を入力しながら、また指先が冷たくなる。自分がおかしいのだと、壊れているのだと告白するのは、まるでそれを認めてしまうようで、いつだって心臓に悪い。 けれど、少しの沈黙のあと、朔夜から返ってきたのは、拍子抜けするほどあっさりとした言葉だった。
朔夜:あー、昼世界ね。あれマジでめんどくさいよね
朔夜:俺なんて体内時計が完全にバグってるからさ。睡眠相後退障害ってやつで、
早く寝ようとしても深夜2時とか3時まで脳みそが絶対に眠ってくんないの。
結局なんか昼夜逆転生活になってるし。
朝の1分は昼の1時間くらい重いし、学校の出席日数まじでギリギリ(笑)
障害。昼夜逆転。 そんな重い言葉を並べているはずなのに、朔夜のメッセージからは悲壮感がこれっぽっちも感じられなかった。さすが陽キャ…なのか?
僕は、素直に朔夜に対しての疑問を問いた。
Kasumi:自分を責めたりしないの? 学校を遅刻したり、みんなと違う時間に生きてるの、怖くない?
すると、少し間が空いて、朔夜から返事が来た。
朔夜:最初は責めたけど、直んないもんは直んないしね。てか俺、そもそも夜型だから。
誰もいなくて静かで、自分の時間がある夜の方が普通に好きなんだよね。
夜中にコンビニ行くの楽しいし、ゲームのランクマも捗るし、ついでに深夜テンションもあるし。
だから夜型なこと自体は気に入ってる
やはり軽快な返しに、僕は戸惑うが、「入力中…」が出ているので少し待つ。すると、新たな返信が戻ってきた。
朔夜:ただ、社会のシステムが「昼型」前提で回ってるから、午前中のテストとか、
遅刻の言い訳とか、いちいち手続きがめんどくせーなーって思うくらい
「めんどくさい」
僕が死にたくなるほど悩んでいた「みんなと同じように生きられない」という恐怖を、このひとは「世界のシステムがめんどくさいだけ」と、冷めたトーンで一蹴してみせた。でもたしかに、僕も世界が僕仕様じゃないなあと思ったことはある。でもそれは、世間一般の人からしたら当たり前で、過ごしやすい世界のはずだから、と言って割り切ってきた。でもそれをめんどくさいと思えるのは…うーん、さ、さすが陽キャ……?…なのか?
朔夜:昼の太陽はさ、すべての輪郭をはっきりさせちゃうからね。
白か黒か、正しいか間違っているか。
朔夜:でも夜は――月も出ない一番暗い新月の夜は、すべての境界線を曖昧にして、
俺たちを隠して守ってくれるんだよ
朔夜:だから、形が分からなくて嫌になっちゃうなら、俺のいるこの止まった夜の深海に、
いつでも逃げておいで。ここは僕の国だからさ
昼間の学校で、先生やクラスメイトから突きつけられた「言葉の凶器」の傷口が、朔夜のちょっと生意気で、だけど不敵な言葉によって、すうっと冷やされていくのが分かった。
自分がおかしくなってしまった原因も、名前も、やはりまだ何も分からない。
けれど、みんなが眩しい太陽の下で走っているからって、自分も無理に四角い箱に収まらなきゃいけない理由なんて、どこにもない。
Kasumi:ありがとう、朔夜さん。今夜は、この暗闇が少しだけ愛おしいよ
朔夜:うん。おやすみ、Kasumi。良い夢を。あ、あと朔夜でいいよ
最後の、いかにも陽キャ(?)な返しでくすっと笑ってしまう。あの、完全に陽の者だけど、確実に夜の主のような、ちょっと厨二病感があるところも、朔夜らしさなのかもしれない。
ノートパソコンの液晶をパタンと倒す。 エアコンの冷気が肌に凍みる真っ暗な部屋のなかで、僕のぼやけた輪郭は、夜の底に優しく守られているようだった。




