第二話-水中に埋もれ瞬く会話ども きっと全てはこの脳のせい
見知らぬ誰かの煌めき。海の中を彷徨っていた僕の心に、アロマキャンドルのような優しい炎が灯されたような。あるべき姿が、白黒だけじゃなくてもいい。グレーにも沢山の種類がある。それでいい。僕は、画面から視線を斜め上に移し、ふーん、と唇をくねらせたあと、某「白って二百色あんねん」を思い出して口角が上がった。
僕は短歌投稿サイトで、回転寿司のごとく流れ星の演出で流れてくる短歌を眺めていた。何も思っていない、まさに無心で、一応目で追う程度で見ていた。すると、「新着短歌」の夜空に、フォロワーの1人である、「密」の歌が流れてきた。
「水中に埋もれ瞬く会話ども きっと全てはこの脳のせい」
密の普段の淡々と愚痴を連ねるような短歌とは違って、少し感情的になっているような気がした。明らかに動揺している。前から密のプロフィールには、「短歌で愚痴を言わせてもらうので、嫌な人は見ないほうがいいかもです」と書いてあり、確かに愚痴の短歌ばかりだったが、脳?考えたくもないことを考えてしまったのか?など、疑問が残る。気になった僕は、ネットで使っている「Kasumi」名義で、返歌を詠む。
「世界には 聴こえぬバグに 怯えつつ 正常のフリを 今日も演じる」
すると、少し間を開けて、密からダイレクトメッセージがきた。ダイレクトメッセージの機能を知ってはいるもののあまり使う機会がなく、トーク画面に移ろうとすると「ようこそ!」と飾られたポップアップが鬱陶しい。
密 :返歌ありがとう。即レスでびっくりしちゃった。
Kasumiさんも、「置いてかれる感覚」で悩んでたりするの?
キーボードを打つ手が止まった。そんなつもりはなかった。だけど、そんな密を置いていくのはできない。
Kasumi:ごめん、偉そうに重ねちゃって。でも、密さんの歌を読んだら、
すごく他人事に思えなくて……。僕も毎日、周りに合わせて頷いてばかりだから
密 :ううん、嬉しかったよ。ありがとう。
あまりにも素直な感謝に、短歌の冷たい感じとは違って、少し人間なんだなぁと感じた。
密 :少し、私の話をしてもいい?
またキーボードを打つ手が止まった。けど、前々から興味はあったから、答えは1つ。
Kasumi:してほしい。ちょっと気になってたから。
密 :…私ね、耳は悪くないの。健康診断の聴力検査はいつも正常。
なのに、学校とか騒がしい場所に行くと、みんなの声がただの「雑音」になっちゃうんだよね。
音としては聴こえるのに、頭の中で言葉になってくれないの。
脳がちょっとバグってる感じでね、何を喋ってるのか分からないから、いつも適当に笑って頷いてる。
リアルはノイズだらけで本当に疲れるんだ。
密 :だから、短歌では誰も悪くない愚痴を吐かせてもらってる。
音が聞こえるのに、言葉にならない。
僕が抱えている何らかの「バグ」に、よく似ているような気がした。
1つに留まらないかたち。留まれないかたち。日によって、また1日の途中にも、
Kasumi:バグ…僕も少し似たところがあるかも。
僕の場合は、本当の僕がわからなくて、日によっては大丈夫なんだけど、
時々自分の体がすごく嫌になるんだ。
こんな体を人目に晒すのは恥ずかしくてたまらないし、
僕がこの体の持ち主だと思われたくなくて、なかなか外に出れない。
自分のちょっと低い声も、脚に生える体毛も、男っぽい髪型も、全部が嫌になる。
でも、毎日がそうってわけじゃなくて、今日とか、何も思わない日もあって、訳わかんない。
いきなり長文で返信が来て、驚かせてしまっただろうか。密の返信は、少し遅れて来た。隅々まで読んでくれたようだった。
密 :…そっか。それは怖いね。訳わかんないね。
密 :でもさ、私は、世の中の普通が小さすぎるだけだと思う。
だから、私たち以外でも、苦しんでる人がいるんじゃないかな。
密は本当に、人間らしかった。僕はずっと一人で抱えてきたけど、一人じゃない。密は、僕の真逆とも取れるような視点から世界を見ていた。まるで、宇宙から地球を見ているかのように。そして、こう続けた。
密 :だからこそ、バグったままでもいいんじゃないかな?
僕の心に流れ星が飛び込んできた。自分がおかしいのだと、壊れてしまった狂人なのだとばかり思っていた。でも、そうじゃないのかもしれない。白とか、黒とか、正しいとか、普通とか、この社会が用意した四角い箱のサイズが、僕たちのグラデーションに対してあまりにも不器用で、狭すぎるだけなのかもしれない。密は、一人で溺れていた僕に、空気を差し伸べてくれた。
原因も、病名も、何ひとつ解決はしていない。明日になればまた、自分の声に怯え、鏡を見て動悸を起こすかもしれない日々が始まるのだろう。
だけど、少し肩の荷が下りた。息がしやすくなった。
Kasumi:ありがとう。少し安心した。そろそろ落ちるね。
密 :良かった。またね。
そう言い残して、僕と密はDMを終了した。
僕は布団から起き上がり、ゆっくりと窓辺へ歩いていく。 カーテンをそっと開けると、ベランダの向こうには、現実の夜空がどこまでも広がっていた。
この星たちの中に、密がいて、返歌を送ってくれた誰かがいて…としんみりしていたら、返歌を送ってくれた人の名前を見ていないことに気がついた。慌ててノートパソコンを開いて返歌のページに移動する。
「✧Etoile✧」
…なにこれ?何語?そう思った僕は、速攻Google先生に訊いてみた。
「Étoileとは、フランス語で「星」を意味する言葉です。」
星。✧Etoile✧の文字の両サイドには、星の絵文字がついていた。
✧Etoile✧も、この星のどこかにいる。そう思うと、僕は少し心が軽くなった。
✧密のキャラ設定✧
二十代女性・会社員
都内在住
聴覚情報処理障害を持っているため、飲み会などが辛い




