731回目の10月21日
文字で埋め尽くされたじゆうちょうを眺め、陽介は大きく息を吐く。くり返しが現実と連動しているなら、今は二年後の十月二十一日だ。じゆうちょうも、もう最後のページが埋まろうとしている。
(あと、やってないことと言えば……)
そう考えてじゆうちょうを見つめるが、特に何も思いつかない。海外にはまだ行っていないが、パスポートを持っていない。
陽介は「はぁ」と、深いため息をつく。いったいあとどれくらい、十月二十一日をくり返したらいいのか。
(……これしか、ないのかな)
陽介は再びじゆうちょうに目を落とす。本当は一つだけ、思いついていることがある。それが答えだとすら思っている。しかしそれを実行する勇気が、陽介にはない。
(オレが自分の意思で、オレの人生を終わらせる――)
陽介はじゆうちょうを持つ手に、ぎゅっと力を込める。
台所の包丁を使えば、あるいは学校の屋上から飛び降りれば、きっとすぐに終わりが訪れ、二度と十月二十一日をくり返さないだろう。
けれど、同時に一つの予感がしている。それを実行すると、現実の陽介まで終わってしまうという予感だ。
本当は陽介は、このくり返しの意味に気づいていた。
(オレはきっと……本当の十月二十一日に事故に遭った。それからずっと、生死をさまよってる。このくり返しは……)
「終わろうとするオレと、終わりたくないオレの戦いなんだ」
そうつぶやいた途端、陽介の周囲が暗闇に包まれる。目の前にあったはずの机はなく、床も天井も壁もない。あるのは陽介とじゆうちょうだけだ。
「……違うよ」
後ろからどんよりとした声が響く。驚いて振り向くと、そこには見慣れた制服を着た少年が立っている。
うつむく少年のマッシュヘアは、後頭部の一束だけが、他の髪と反対を向いている。
(オレ……!?)
陽介が気づくと同時に、少年が顔を上げる。それは間違いなく、鏡越しに毎日見る陽介の姿だ。
目の下に隈をたたえた寝不足の顔が、気だるそうに陽介を見る。
「オレはもう死んだんだ。あの日、歩道に突っ込んだ暴走車に撥ねられて死んだ。明日なんて永遠に来ない。お前も気づいてるんだろ? 涼が毎日話しかけてるのは、オレの仏壇なんだって」
「違う」
陽介ははっきりと、目の前の自分の言葉を遮る。
「涼は『ずっと待ってる』って言ってた。もう話せない相手に、待ってるなんてあいつは言わない。また話せるって信じてるから、『また明日』って言い続けるんだ」
目の前の陽介は顔を歪め、馬鹿にするようにふっと笑う。
「何も知らないから、そんな能天気なことが言えるんだ。じゃあ、もし生きてたとしてだ。二年間寝たきりだぞ? どうなってると思う? 筋力が落ちて、起き上がるどころか身じろぎ一つできない。食事もできない、会話もできない、排泄にすら助けがいる。生きてる方が地獄じゃないか?」
「そんなことない」
陽介は迷いなく、ぴしゃりと言い放つ。
「目が覚めてしばらくは大変だと思う。当たり前だ。いきなり元の生活には戻れない。でも待ってる人がいる。支えてくれる人がいる」
陽介がじゆうちょうを握りしめる。すると、じゆうちょうが光の粉となって消えていく。その光が集まり、暗闇の中に一筋の線を作る。
陽介は力強い瞳で、目の前の自分の死んだ目を見る。
「オレは生きる。何回くり返しても、オレは絶対、『明日』を諦めない!」
目の前の陽介はふっと笑い、不安げだった瞳を閉じる。砂のようにサラサラと崩れ、陽介の中に還っていく。
陽介は拳を握り、光の先に向かって走り出す。思い切り手を伸ばし、強い力で線をつかむ。同時に、陽介の視界が白く輝いた。




