第七章 迎えに来た
一週間ぶりに、登校した。
退学届を鞄に入れて、鏡の前に立った。顔色が悪かった。少し痩せたかもしれない。
(最後だし、もふもふさんに帰りに会っていこう)
廊下を歩くと、知った顔が目を逸らした。知らない振りをする子もいた。遠目に私を見て何かを言い合う二人組もいた。
(慣れてるつもりだったけど、やっぱり痛いな)
でも今日だけだ。これで最後だ。
「あら、エルセ。久々の登校ですわね。このまま退学してしまうのかと思いましたわ」
真っ先に、クローデットが話しかけてきた。
「ご心配いただき、ありがとうございます」
「そうだ」
「第一騎士団といっても、聖女のことについては素人。アルド様や副官のセイン様も期待外れの人物でしたわ」
(廊下で聞こえた話は本当だったんだ……)
「私を騎士団の聖女職として指名してきてもお断りしてやるわ」
私に、そう吐き捨てて去っていった。
(すごいキレてた……何があったんだろう)
◆
放課後、学務室に向かった。
張り紙が張られていた。
『緊急会議のため、本日は対応できません。御用のある見習い生は、明日お越しください。』
(うわぁ……明日も登校しないといけない)
(そうだ、もふもふさんに会いに行こう)
裏庭の入り口をくぐった。
もふもふさんは、石段の下にいた。
私の足音を聞いたのか、顔を上げた。つぶらな目が、まっすぐこちらを向いた。
次の瞬間、転がるように駆け寄ってきた。
「もふもふさん!」
体が足に絡みついた。丸くてふわふわした体が、ぐいぐいと私の脚に押しつけてくる。
「……ごめんね。しばらく来なくて」
もふもふさんが、うぅ、と低く鳴いた。
私は膝をついて、その体をそっと抱えた。重い。温かい。変わらず、ふわふわしている。
「あのね、もふもふさん……最後に会いに来たんだ」
声が、少しだけ掠れた。
「明日……退学届を出すの。だから、もう来られない。今まで、話を聞いてくれてありがとう。もふもふさんに会いに来る時間が、学院生活で一番好きだった。本当に」
もふもふさんの体が、ぴくりと止まった。
「だから……お別れを言いに来たくて」
その瞬間——もふもふさんが、突然暴れた。
「え——っ! どうしたの?」
私の腕から抜け出して、離れた場所に飛び退いた。石段の前で立ち止まって、こちらを向く。その目が、今まで見たことのない顔をしていた。
困っているような。
怒っているような。
何かを、必死に訴えているような目だった。
「……もふもふさん?」
体の表面が、揺れた。
いつもの滞った霧が浮かんでいた。でも今日は——それが、縮んでいく。霧が内側へ引っ張られるように。まるで、何かが形を変えようとしているような。
「……え?」
白い毛並みが、ぶれた。
一瞬。ほんの一瞬だけ。
白い毛が揺らいで、黒い髪が、ちらりと。現れた。
「……っ」
息が止まった。
「え……エルセ」
声が。
低くて、少しかすれた——どこかで聞いた声が、もふもふさんから聞こえた。
「……お前が、来なかった」
苦しそうな声だった。形を変えることに、力を使っているような。
「ずっと、待っていた」
次の瞬間、白い毛並みが元に戻った。もふもふさんが、その場に座り込んで、荒い息をしていた。
私は、草の上にしゃがみ込んでいた。
(今の……声)
「も……もふもふさん」
声が震えた。
もふもふさんが、こちらを見た。つぶらな目が、静かにこちらを見ていた。
否定しなかった。
ただ、見ていた。
「……アルド……様……?」
返事はなかった。
でも、その目があの評価席で私を見ていた、あの目と、重なった。
全部が、頭の中で繋がった。
裏庭に毎日来ていたもふもふさん。私の話を全部聞いていたもふもふさん。逃げるな、と怒ったもふもふさん。
「……呪いって、まさか」
声が出なかった。
もふもふさんが、ゆっくりと近づいてきた。
私の膝に、丸い頭を乗せた。
「……ま、そんな訳ないか」
「なんか私、幻聴でも聞こえてたのかな……」
もふもふさんは、こちらを見ていた。
首を横に振っていた。ブンブン、と力強く。
「何? もふもふさん。新しい芸を覚えたんだ」
撫でようとしたが、避けられた。
(なんか、呆れた目をされた気がする)
うぅ、と低く鳴いた。
(違う、って言ってる?)
「……もふもふさん」
手を伸ばした。今度は避けなかった。頭に触れると、温かかった。
「でも……最後までありがとうね。また……来られたら、来るから」
喉が詰まって、続けられなかった。
「大丈夫。必ず迎えに行く」
なんとなく、そう返事している気がした。
目が熱くなった。背中に視線を感じながら、私は裏庭を出た。
◆
翌朝。
退学届を持って、学務室へ向かった。
入った瞬間——人の男性が立っていた。
長身。黒髪。騎士団の軍装。
「……え」
「エルセ・ヴィラン」
アルド様だった。
アルド様が、立っていた。その横で、セイン副官が少し困ったような、でも温かい顔をしていた。
「迎えに来た」
その一言が、朝の空気に落ちた。
「まずは、学院長室に行くぞ」
「え?」
私の手を引いて、学院長室に向かった。
「失礼するぞ」
「これは、アルド様とセイン様。お待ちしておりました。それと……エルセ見習い?」
「……セルヴィア学院長。本部に別の見習いが来た経緯を説明していただこうか」
「はい。以前、封書でいただいた内容ですね」
(緊急会議ってこのことだったのかな)
セインが、静かに口を開いた。
「エルセ殿宛てにお渡しした封書が、本人が所有していないことが分かりました。代わりに来た見習いには、お断りしてお帰りいただきました。なぜエルセ殿が来られなかったのか、理由をお聞きしたところ……」
アルドが短く継いだ。
「封書を取り上げた、と言っていた」
「……ええ」
「グランドールという教官が、それを許可したと」
「……ええ」
アルドの目が、僅かに細くなった。怒りなのか何なのか、分からない。でも確かに、何かが動いた。
「まず、これは本当のことなのか?」
「……事実でございます」
「舐められたものだ。光魔法のことは素人とでも思ったか」
「いえ、そのようなことはございません!」
「ただ、そのエルセという見習い生は、通年最下位の成績でして、光魔法など全く使用できず……」
(本当のことだ……私に光魔法はできない)
アルドの目が、細くなった。
「お前たちの目は節穴か」
声は静かだった。でも、室内の温度が二度ほど下がった気がした。
「測定に使っている水晶は、中級以下のものだろう。完璧に光を収束している力が、そのような水晶に反応するはずがない」
「完璧な、光の収束ですか?」
「そ、そのような聖女は前例が……」
「前例がないから分からなかった、と。では今、証明させてもらう」
「セルヴィア学院長。大聖女用の水晶があるだろ? それを使わせほしい」
「……分かりました」
セルヴィア学院長が、棚の奥から水晶を取り出した。普通の測定水晶よりひと回り大きく、台座が金で縁取られている。
「大聖女用の水晶です。こちらへ」
私はそっと、アルド様を見た。
(これで何も反応しなかったら……アルド様に泥を塗ることになる)
アルドは静かに頷いた。言葉はなかった。でも、その目に「信じている」と書いてあるような気がした。
「大丈夫だ。やってみろ」
「……はい」
両手を胸の前で組んで、目を閉じた。
もふもふさんの毛並みに触れる感覚を思い出した。あの重さ。あの温かさ。それだけ考えて——。
手のひらが、熱くなった。両手で水晶に触れる。
水晶が白い光で満たされ、温かく心地の良い空気に満たされた。
室内が、しんと静まり返った。
「……予想以上だな」
アルドが、低く言った。
セルヴィア様が水晶を見つめながら、ゆっくりと口を開いた。
「……学院一どころか、歴代でも類を見ない力かもしれません」
(光った。初めて——水晶が、光った)
視界がにじんだ。
「エルセ」
アルドの声が聞こえた。
「その鞄の中のもの、もう出さなくていいな」
退学届のことだ、とすぐ分かった。
「……でも、私は」
「俺の呪いがまだ残っている。完治するまでには、時間がかかる」
「それは……」
「お前にしか、できないことだ」
アルドがセルヴィア学院長の方を向いた。
「これで、証明できたであろう。エルセが秀でた能力を持っていることを」
「は、はい……申し訳ございませんでした」
「お前らの処遇については、今後考えなくてはならないかもな」
「処遇でございますか……」
「ああ、だがその前に、私にではなくエルセに言うべきことがあるのではないか?」
セルヴィア学院長が怯えた表情で私を見た。
「エルセ見習い。いや、エルセさん、これまでの非礼をお許しください」
「え、いや……セルヴィア様、お顔を上げてください。私は気にしておりません」
「あぁ、寛大なお心に感謝いたします」
アルドが口を開いた。
「明日、大礼堂に人を集めてほしい」
「……分かりました」
二人が学院長室を出た後も、私は立ち尽くしていた。
水晶は、まだ光を帯びて輝いていた。
「エルセさん、未熟な私をお許しください。あなたの才を見抜くことができませんでした」
「そんな、もう大丈夫です……」
「ありがとうございます。一限も、もう終わってしまいますね。そろそろ、戻りなさい」
「はい……分かりました。失礼いたします」
教室に向かうまでの廊下はとても静かだった。
(これから私は、どうなるのだろう)
(でも——少しだけ。ほんの少しだけ、前が見えた気がした)
読んでくださり、本当にありがとうございます!
続きが気になる!と少しでも思っていただけたなら、
評価(下の方にある☆☆☆☆☆)やリアクションで応援いただけると、本当に飛び上がって喜びます!
また次回でも、お会いできることを楽しみにしております(*‘ω‘ *)/




