第五章 副官と全員の挑戦
翌朝、廊下で声をかけられた。
「失礼、聖女見習いのエルセ殿ですね」
振り返ると、赤銅色の髪の男性が立っていた。昨日の審査で、アルド様の隣に座っていた人だ。
「第一騎士団副官、セイン・レイフと申します。少しよろしいですか」
「は、はい……」
副官様が、私と並んで歩き始めた。別件でこの学院に来ているとのことだった。
「昨日の審査を拝見しました。あの水晶の光ですが——あの時、手のひらにどんな感覚がありましたか」
唐突な問いだった。
「感覚……ですか」
「熱さとか、何かが流れ出るような感じとか。どんなことでも」
「……温かくなりました。手のひらが。光を出そうとしていたわけじゃなくて、ただ、温かさが自然にあって……でも、それだけで」
セイン副官は小さく頷いた。
「普段、何かに触れた時に、同じような感覚を覚えることは?」
私は思わず、裏庭のもふもふさんのことを思った。あの白い毛並みに触れるたびに感じる熱。霧が薄れていく感覚。
「……あるような気がします。でも、何かに繋がっているとは思えなくて」
「そうですか」
副官は短く答えて、そこで立ち止まった。
「一つだけ、申し上げてもいいですか、エルセ殿」
「……はい」
「今のあなたのやり方で、続けてください。測定器が光らなくても」
それだけ言って、彼は廊下を去っていった。
(……どういう意味だろう)
不思議な会話だった。でも何故か、胸の奥が少し、温かくなった。
◆
数日後。
「本日の午後、全見習い生は大礼堂に集合すること。第一騎士団より協力依頼があります」
礼堂に集まると、壇上にセイン副官が立っていた。そして——その隣に、アルド様が立っていた。
(また来た……!)
胸がざわめく。心の準備ができていなかった。
「本日は、お集まりいただきありがとうございます」
セイン副官が、礼堂全体を見渡しながら口を開いた。
「騎士団の将校一名が、現在、特殊な呪いに侵されています。通常の浄化魔法では対応できない種類のものです。すでに在任中の聖女職の方々に試みていただきましたが、誰も干渉できていません。今日は念のため、皆様にも一度だけ、接触による浄化を試みていただきたい」
礼堂がざわめいた。
誰もが察していた。
壇上の隣に立つ人物が、その「将校」だと。
アルド様は表情を変えなかった。ただ、礼堂の前方を、何も映さない目で見ていた。
「見習いの方々には、直接手を触れていただきます。難しいことはいりません。普段の浄化と同じように。力のある方から順に」
つまり——私は、最後だ。
クローデットが最初に呼ばれた。
「私が必ず、浄化させてみせますわ」
さすがだった。
壇上の前でアルド様と向かい合い、両手を差し出し、詠唱が始まると礼堂が白く染まる。
「すごい……」
「本当に浄化してしまうのでは?」
あれほどの光魔法を目の前で見せられると、思わず目を細めてしまうほどだ。周りの見習い生や先生方の間にも、隠しきれないどよめきが広がっていた。
でも——
アルド様の体には、何も起きなかった。
光があたっても、呪いは微動だにしなかった。
クローデットが唇を小さく引き結んで、壇に戻った。その背筋は真っ直ぐだったけれど、指先がかすかに震えていた。
一人、また一人と呼ばれた。
優秀な子は光柱を立てた。平均的な子は小さな光を当てた。全員が真剣で、全員が失敗した。
「私、アルド様のお手に触れてしまいましたわ」という興奮した声も聞こえていた。
三十人が過ぎた頃、礼堂の空気は重くなっていた。
(……私、本当に呼ばれるんだろうか)
正直、呼ばれないと思っていた。どうせ測定不能。どうせ意味がない。でもやがて——
「最後、エルセ・ヴィラン見習い」
名前を呼ばれた。
礼堂の視線が、一斉に集まった。
(呼ばれた。私も同じように失敗するだけ……やる必要なんて)
足が重かった。壇の前に立つと、アルド様の顔がすぐそこにある。黒い目が、静かにこちらを見ていた。
(見られてる……)
「……手を」
セイン副官の声。
おそるおそる、両手を差し出した。
(あこがれの人と触れられる……)
アルド様の手が、私の手に重なった。
その瞬間——何かが体の奥で、ぴんと弾けた。
(あ……)
この感触。
皮膚に触れる温かさ。その下に流れる何か。重くて、滞っていて、でも私の熱が触れると少しだけほどけようとする——。
(この感触……知ってる)
(もふもふさんに、似てる)
手のひらが、熱くなった。光はない。詠唱もない。ただ——温かいものが静かに流れる、あの感覚。
礼堂がざわめいた。
私の手のひらから、かすかな光が滲み出ていた。白く、淡い光。測定水晶の時より遥かに小さいけれど——確かに、そこにある。
アルド様の腕にうっすら漂っていた黒い霧が、わずかに揺らいで、薄れた。
「やはり……」
「……え?」
礼堂のざわめきが大きくなる。
「待って、あのエルセが……?」
「光が出てる。呪いが、揺れた」
「測定不能の子が、一番効果を出してる……?」
「十分です、エルセ殿」
セイン副官の落ち着いた声が、私を引き戻した。
そっと手を引いた。アルド様の手が離れる。
胸がまだ、何かを感じていた。手のひらに残った温度が、なかなか消えなかった。
(もふもふさんに……似てた。どうして)
副官が私のそばに来た。
「エルセ殿」
低い声だった。
「後日、騎士団本部へお越しいただけますか。詳しいお話がしたいのです」
白い封書を差し出された。
「三日後の昼刻、正門でお待ちしています」
騎士団本部へ——。
私は封書を受け取りながら、ちらりとアルド様の方を見た。
彼はもう壇を降りて、礼堂の出口に向かっていた。その背中は、閉ざしていた気持ちが開いたように見えた気がした。
「ありがとうございました、皆さん」
セイン副官が礼堂全体に頭を下げ、解散となった。
◆
「あなた、どんな不正をしたのかしら?」
真っ先にクローデットが話しかけてきた。
「不正?」
「あなたみたいな無能聖女に、アルド様の呪いを浄化することなんてできるわけないわ」
「そんなことを言われても……私は」
「私たちの浄化が後から効いただけよ。そうだわ、あなたは偶然、タイミングが重なっただけ」
クローデットは、封筒を取り上げた。
「だから、この封筒は私がお預かりいたしますわ。あなたが出向くなんて、この学院の恥になってしまいますし。学院トップの私が代わりに行って差し上げます」
「そうですね……クローデット見習い。あなたが代わりに行ってあげなさい」
担当教官のグランドール先生が話に入ってきた。
「グランドール先生まで……」
「いいですか。相手は第一騎士団様です。あなたのような方に時間を設けるほど、お暇な方ではありません。ここはクローデット見習いにお任せさせなさい」
「グランドール先生、ありがとうございます。
エルセ、そういうことだからあなたは、おとなしく学院で待っていなさい」
笑い声と共に皆、礼堂を後にした。
私は、礼堂に立ち尽くしていた。
(確かに、能力なしの私が行っても無駄なだけか……)
頬から温かいものが流れる。
(やっぱり、私は聖女には向いていない。やめた方がいいのかも……)
礼堂は、静かでエルセに答えてくれはしなかった。
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