第五章 『三人の聖級と気まぐれな神託』
シリュウの運命が、大きく変わろうとしていた頃。
時は少し遡る。
人々が魔界と呼ぶ西の大陸では、三つの大国による大規模な遠征が行われていた。
千年前、四人の大精霊から授けられた魂の進化。その恩恵によって力を得た人類は、長い年月をかけて魔界の攻略を進めてきた。
しかし、その進軍は第九階域で大きな壁に突き当たっていた。
そこに君臨するのは、王級に相当する圧倒的な力を持つ魔王たち。
人類の最高戦力である聖級の実力者たちでさえ、その力には及ばず、過去に送り込まれた攻略軍の多くが壊滅的な被害を受けていた。
以来、魔界攻略は事実上、第八階域で停滞している。
それでも人類は諦めていなかった。
さらなる魂の進化を遂げる者を育て、いつの日か第九階域を突破する。そのために各国は、第八階域を精鋭たちの実戦訓練の場として活用していた。
今回の三国合同遠征も、その一環である。
灰色の雲が垂れ込める空の下、広大な荒野には幾千もの兵士たちが展開していた。
アウラ王国、セレスティア聖王国、そしてアルカディア魔法大国。
三国が共同で編成した遠征軍の目的は、精鋭たちに聖級の魔物との実戦を経験させ、国家の垣根を越えた連携戦術を磨くことだった。
魔界は第一階域から第十階域まで存在する。
第一階域と第二階域には初級から中級、第三階域から第四階域には中級から上級の魔物が多く生息し、第四階域の深部から第五階域では特級に匹敵する魔物も姿を現す。
第六階域と第七階域は特級の実力者でなければ生存すら困難な危険地帯。
そして第八階域は、聖級の魔物が生息する領域だった。
今回の遠征軍には、三人の聖級に加え、各国が誇る特級の実力者たちが多数参加していた。
アウラ王国の八将軍。
セレスティア聖王国の七聖騎士。
アルカディア魔法大国の星冠魔導師。
いずれも歴戦の強者たちであり、いずれは自らも聖級へ到達することを目指している。
遠征は順調に進んでいた。
少なくとも、数刻前までは。
「右翼、下がれ! まともに受けるな!」
指揮官の怒号が響いた直後、荒野を揺るがす咆哮が轟いた。
三つの巨大な頭部を持つ、漆黒の竜。
アジ・ダハーカ。
全長二十四メートルにも及ぶ巨体は分厚い黒鱗に覆われ、六つの赤い瞳が眼下の兵士たちを見下ろしていた。
聖級に相当する力を持つ、魔界の強大な魔物である。
中央の頭部が大きく口を開いた。
「防御陣形!」
幾重もの神力障壁が展開される。
しかし、吐き出された黒炎は障壁を次々と焼き破り、凄まじい熱風が兵士たちを吹き飛ばした。
「負傷者を後方へ! 前衛、敵の注意を引きつけろ!」
アウラ王国の八将軍の一人が、巨大な戦斧を担いで駆け出した。
その後方から王国軍の精鋭たちが続く。
「左右へ展開! 脚を狙え!」
男は地面を蹴り、巨竜の右前脚へ跳躍した。
神力をまとった戦斧が振り下ろされ、漆黒の鱗が砕け散る。
「グオオオッ!」
巨竜が苦痛に咆哮した。
だが、反撃は速かった。
右の頭部が紫色の瘴気を吐き出し、前衛を呑み込もうとする。
「聖騎士団、前へ!」
七聖騎士の一人が白銀の盾を掲げた。
「聖光結界!」
幾重もの光の壁が展開され、猛毒の瘴気を受け止める。
「第一陣、神力を維持! 第二陣は障壁を補強しろ!」
聖騎士たちが歯を食いしばり、迫り来る奔流を押しとどめた。
「今のうちに攻めてください! いつまでも守って差し上げるつもりはありませんよ!」
「言われずとも分かっておる!」
八将軍の男が豪快に笑う。
その隙に、後方の星冠魔導師たちが動いた。
「術式展開! 目標、中央頭部!」
三つの魔法陣が同時に輝く。
「炎熱収束!」
「雷光連鎖!」
「氷晶穿槍!」
灼熱の炎が巨竜の顔面を包み、無数の雷撃が黒鱗を駆け抜けた。
続いて巨大な氷の槍が中央の頭部へ激突する。
轟音とともに鱗が砕け、鮮血が飛び散った。
「命中! 続けろ!」
三国の精鋭たちは見事な連携を見せていた。
八将軍が前衛を率い、七聖騎士が防御を担い、星冠魔導師たちが強力な魔法を放つ。
しかし、アジ・ダハーカもまた、単純に力だけを振るう魔物ではなかった。
三つの頭部が別々の敵を牽制し、巨大な翼と尾が包囲を許さない。
そして、その巨体を覆う鱗は、特級の攻撃を幾度となく受けても致命傷を許さなかった。
やがて、巨竜の三つの頭部が同時に持ち上がった。
中央には黒炎。
右には猛毒の瘴気。
左には凝縮された暗黒の神力。
「全軍、退避!」
三つの頭部から放たれた奔流が、荒野を呑み込んだ。
光の障壁が砕け、防御魔法が押し潰される。
八将軍の男は戦斧を地面へ突き立て、必死に衝撃へ耐えた。
「ぬううっ!」
攻撃は通用する。
連携も機能している。
だが、決定的な一撃が足りなかった。
これこそが、特級と聖級の間に存在する、容易には埋められない壁だった。
「負傷者を下げろ! これ以上は危険だ!」
その時、後方から穏やかな声が響いた。
「皆さん、もう大丈夫ですよ」
白を基調とした法衣に、長い白金色の髪。
透き通るような青い瞳には、深い慈愛が宿っていた。
セレスティア聖王国が誇る大聖女、セラフィーナ・ルミエール。
魂位階――聖級。
「よく頑張りましたね。あとは私たちに任せてください」
セラフィーナが両手を胸の前で重ねると、淡い金色の光が足元から広がった。
彼女は静かに瞳を閉じ、祈るように詠唱を始めた。
「遥かなる天上に座す慈悲の御手よ。幾千の涙を受け止め、幾万の祈りを抱きし母なる光よ」
灰色の雲が黄金色に染まる。
「傷つきし者に安らぎを。絶望に沈む魂に希望を。流された血を清き光へと還し、折れかけた命の灯火に、再び燃え上がる力を与えたまえ」
上空に巨大な光の輪が現れ、その中心に女神を思わせる光の姿が浮かび上がった。
「我が祈りは一人のためにあらず。ここに集いしすべての命へ、等しく慈愛の祝福を」
セラフィーナが両手を広げた。
「聖天慈母の祝福」
無数の黄金の粒子が降り注いだ。
光に包まれた兵士たちの傷が塞がり、砕けた骨がつながっていく。
さらに消耗していた神力まで回復し、疲労が消え去った。
「傷が……治っている!」
「神力まで回復したぞ!」
兵士たちの間から歓声が上がる。
セラフィーナは満足そうに微笑んだ。
「ふふっ。皆さん、元気になりましたね」
その隣から豪快な笑い声が響いた。
「ハッハッハ! 相変わらず大したものだな!」
鮮やかな赤髪に、金色の瞳。
豪奢な黒と深紅の外套を羽織った大柄な男。
アルカディア魔法大国が誇る魔法帝、ヴァルディス・レグナード。
魂位階――聖級。
「さて、そろそろ俺たちの出番だな!」
ヴァルディスは前線の星冠魔導師たちを見渡した。
「なかなか見事な戦いだったぞ! だが、聖級を仕留めるにはまだ足りん!」
「承知しております、陛下。次は我々だけで仕留めてみせますよ」
「ハッハッハ! よく言った!」
ヴァルディスは愉快そうに笑い、片手を掲げた。
その瞬間、巨大な魔法陣が足元に展開された。
さらに幾重もの紋様が広がり、膨大な神力が複雑な術式へと流れ込んでいく。
星冠魔導師たちの表情が変わった。
規模も精密さも、自分たちの魔法とは比較にならない。
「天を巡る星辰よ。悠久の時を越え、虚空に刻まれし無数の光よ」
ヴァルディスの声が荒野に響く。
「我が呼び声に応え、その輝きを刃へと変えよ。万象を断ち、天地を貫き、あらゆる障壁を砕く神威の剣となれ」
上空に無数の光が生まれた。
一つ、十、百。
やがて千を超えた光は、黄金に輝く長剣へと姿を変えていく。
「逃れることは許さん! 天より降り注ぐ裁きを、その身に受けるがよい!」
「煌天万剣・神威降臨!」
掲げた腕が振り下ろされた。
数千もの光の剣が、一斉に降り注ぐ。
轟音とともに大地が爆ぜ、巨竜の黒鱗が次々と砕け散った。
アジ・ダハーカは巨大な翼を広げて身を守ろうとする。
しかし、光の剣は自在に軌道を変え、左右から、背後から、傷ついた箇所へ正確に突き刺さっていった。
「グオオオオオッ!」
三つの頭部が苦痛に咆哮する。
「すげえ……!」
「あれだけの剣を全部操っているのか……?」
兵士たちは呆然と空を見上げた。
一方、星冠魔導師たちは術式の構造を必死に追っていた。
数千もの剣を独立して制御しながら、味方には一本も触れさせない。
その技量は、まさに魔法帝の名にふさわしいものだった。
だが、巨竜はまだ倒れなかった。
三つの頭部が一斉に持ち上がり、黒炎、猛毒の瘴気、暗黒の神力が一つに凝縮される。
凄まじい轟音とともに、黒紫色の奔流が放たれた。
「ほう! まだそんな力を残しておったか!」
ヴァルディスは不敵に笑い、幾重もの黄金の障壁を展開した。
激突した神力が大地を裂き、周囲へ衝撃波を撒き散らす。
しかし、ヴァルディスは一歩も退かなかった。
「ハッハッハ! なかなかやるではないか!」
その時だった。
「いやあ、もう十分じゃない?」
気の抜けた声が背後から響いた。
一人の若い男が、ゆっくりと歩いてくる。
整った顔立ちに、人懐っこい笑み。
アウラ王国第一部隊隊長。
剣聖クラウス。
魂位階――聖級。
「せっかくここまで弱らせてくれたんだし、最後くらい僕に譲ってよ」
「貴様! 今まで何をしていた!」
ヴァルディスが眉を吊り上げる。
「ちゃんと見てたよ。相変わらず派手だねえ」
「見ていたなら少しは働け!」
「だから、今から働くんじゃないか」
クラウスは笑いながら、腰の剣へ手を伸ばした。
その瞬間、巨竜の中央の頭部が黒炎を吐き出した。
「クラウス様!」
兵士が叫ぶ。
だが、クラウスはわずかに身体を傾けただけだった。
黒炎がすぐ脇を通り過ぎる。
続けざまに牙が迫り、巨大な首が薙ぎ払われる。
しかし、クラウスは一歩進み、半歩ずれ、最小限の動作だけで攻撃をかわしていった。
巨竜の筋肉の収縮、重心の変化、攻撃の間合い。
そのすべてを見切っているのである。
「……相変わらず、とんでもない剣士だ」
八将軍の男が呟いた。
クラウスは巨竜の正面に立つと、静かに剣を抜いた。
刀身に淡い黄金の光が宿る。
「さて、と」
軽く息を吐く。
「そろそろ終わりにしようか」
三つの頭部が同時に襲いかかった。
その中心で、クラウスは剣を構える。
「天を裂き、万象を断つ。煌めく刃よ、一閃となれ」
そして、静かに振り抜いた。
「天煌一閃」
黄金の光が走った。
轟音も、派手な爆発もない。
ただ一筋の黄金の軌跡が、巨竜の三つの首を横切った。
一瞬の沈黙。
やがて、三つの巨大な頭部が同時にずれ落ちた。
続いて首を失った巨体が崩れ落ち、荒野全体が大きく揺れる。
「……終わった?」
誰かが呟いた。
クラウスは剣を鞘へ収めた。
「うん。終わり」
次の瞬間、兵士たちの歓声が爆発した。
「うおおおおっ!」
「アジ・ダハーカを倒したぞ!」
「剣聖様だ!」
クラウスは少し困ったように笑った。
「いやあ、そんなに大したことしてないんだけどなあ」
「最後だけ出てきて美味しいところを持っていきおって!」
ヴァルディスが不満そうに腕を組む。
「だって、君があそこまで弱らせてくれたから楽だったんだよ。ありがとう」
「貴様に礼を言われても嬉しくないわ!」
セラフィーナが口元に手を添えて笑った。
「ふふっ。お二人とも、本当に仲がよろしいのですね」
「どこがだ!」
ヴァルディスの怒声が響き、クラウスは楽しそうに笑った。
戦闘が終わると、兵士たちは魔石や希少素材の回収、負傷者の搬送、戦死者の収容へと取りかかった。
その傍らでは、三国の精鋭たちが巨竜の亡骸を見上げていた。
「あと一歩だったな」
八将軍の男が悔しそうに呟く。
「随分と強気ですね。あのまま続けていれば、こちらの被害も相当なものになっていたでしょう」
七聖騎士の一人が返した。
「だからどうした。奴の鱗は砕けた。次は首を落とすだけだ」
「その前に、あなたの首が落とされては困りますが」
「ふん。次は我々の魔法で仕留めてみせますよ」
星冠魔導師の一人が笑う。
「魔導師という連中は、口だけは達者だな」
「力任せに斧を振り回す方々よりは、多少頭を使っておりますので」
三人は顔を見合わせ、不敵に笑った。
彼らは決して、聖級の力を目の当たりにして心を折られたわけではない。
むしろ、その圧倒的な実力こそが、さらなる高みを目指す原動力となっていた。
いつの日か、自らも聖級へ到達する。
そして、その先に待つ王級の魔王たちへ挑む。
その野心と誇りは、誰一人として失っていなかった。
遠征の予定は、これでほぼ完了した。
あとは部隊を再編成し、各国へ帰還するだけである。
ヴァルディスは回収された巨大な魔石を眺め、満足そうに顎を撫でていた。
「ふむ。これほどの魔石なら、面白い研究ができそうだ」
「また研究?」
クラウスが呆れたように笑う。
「魔法の発展には研究が不可欠なのだ!」
「前みたいに研究室を吹き飛ばさないでよ」
「半分ではない! 三分の一だ!」
「……まだ何も言ってないんだけど」
セラフィーナが穏やかに微笑んだ。
「ふふっ。研究室の方々も大変ですね」
「偉大な発見には多少の犠牲がつきものなのだ!」
クラウスが吹き出しかけた、その時だった。
「クラウス隊長!」
一人の伝令兵が駆け寄ってきた。
「アウラ王国より、至急の伝令でございます!」
差し出された書簡には、王家の紋章が刻まれていた。
クラウスは封を切り、目を通す。
しかし、読み進めるにつれて、その表情が曇っていった。
「……はあ」
深いため息が漏れる。
「どうした、クラウス?」
ヴァルディスが尋ねた。
「……また、あの神託だよ」
その一言で、ヴァルディスも顔をしかめた。
「……またか」
セラフィーナが気の毒そうに眉を下げる。
「あら……またアイテリア様からですか?」
「うん。また」
アウラ王国に神託を下す大精霊アイテリア。
空と風、そして知識を司る四大精霊の一人である。
そのアイテリアから、新たな予言が告げられたという。
『魔界第二階域。その周辺に、我らが長く待ち望んだ大切な存在がいるはず』
しかし、具体的な場所は示されていない。
性別も、年齢も、容姿も不明。
そもそも何を探しているのかさえ、明らかにされていなかった。
「……いるはず、ねえ」
クラウスは書簡を眺め、肩を落とした。
「前も似たようなことを言ってたんだけどなあ」
「確か、北方の山脈だったか?」
ヴァルディスが尋ねる。
「そうそう。雪山を十日も歩かされたんだよ。結局、見つかったのは冬眠中の巨大な熊だけ」
「ハッハッハ! 聖級の剣聖を熊探しに使うとは、贅沢な話だな!」
「熊を探しに行ったわけじゃないんだけどね……」
クラウスは遠い目をした。
実のところ、こうした神託は今回が初めてではなかった。
アイテリアは長い年月にわたり、何かを探し続けている。
そして時折、特別な気配を感じ取ったとして、アウラ王国へ神託を下していた。
そのたびに捜索を命じられるのが、剣聖クラウスだった。
しかし、これまで一度として成果は上がっていない。
「大精霊様なんだから、もう少し正確に教えてくれてもいいと思わない?」
クラウスがぼやく。
「相手は大精霊様だ。文句を言える相手ではあるまい」
「分かってるよ。だから毎回探してるんじゃないか」
セラフィーナは書簡へ目を向けた。
「ですが、今回は少し違うようですね」
「違う?」
「ええ。『我らが長く待ち望んだ大切な存在』とはっきり仰っています。これまでよりも、確かな予感があるのかもしれません」
「そうだといいんだけどねえ……」
クラウスは書簡を折りたたんだ。
「結局、何を探しているのか分からないことには変わりないし」
「それで、王命なのだろう?」
ヴァルディスが尋ねる。
「うん。断れるわけないでしょ」
クラウスは力なく笑った。
「……まったく、気の毒な男だ」
ヴァルディスが深々とため息をつく。
「貴様ほどの剣士が、こうも振り回されるとはな」
「じゃあ、代わってくれる?」
「断る!」
「即答かあ……」
クラウスは肩を落とした。
だが、ふと何かを思いついたように顔を上げる。
「そういえば、頼りになる魔法帝が隣にいるんだった」
「……何だ、その目は」
「君の広域探知魔法があれば、かなり効率よく探せると思うんだよね」
「貴様、俺を巻き込むつもりか!」
「どうせ帰り道でしょ?」
「帰り道だからといって、付き合う理由にはならん!」
その様子を見ていたセラフィーナが微笑んだ。
「でも、クラウスさんがお一人で何日も探し回るのは、少しお気の毒ですね」
「む……」
「同じ戦場で命を預け合った仲間ですのに……」
「いや、だからといって!」
「ふふっ。冗談ですよ」
ヴァルディスは口を開けたまま固まった。
クラウスが楽しそうに笑う。
「いやあ、助かるよ、ヴァルディス」
「まだ行くとは言っておらん!」
しかし、ヴァルディスはしばらく考えた末、大きく鼻を鳴らした。
「……ふん! 仕方あるまい!」
「おっ、来てくれるの?」
「勘違いするな! 俺も大精霊様が何を探しておられるのか、少々興味があるだけだ!」
「はいはい。ありがとう」
「その適当な返事をやめんか!」
セラフィーナが小さく笑った。
こうして、剣聖と魔法帝による神託の捜索が決まった。
翌朝。
三国合同遠征軍は第八階域からの撤退を開始した。
三人の聖級が同行する軍勢を脅かすほどの魔物は現れず、行軍は順調に進んだ。
やがて数日後、遠征軍は第四階域へ到達した。
ここから先は、八将軍、七聖騎士、星冠魔導師たちの指揮でも十分に帰還できる。
クラウスは各国の幹部を呼び寄せた。
「僕とヴァルディスは、ここから第二階域へ向かうことになった。帰還までの指揮は君たちに任せるよ」
八将軍の一人が力強く頷いた。
「承知した。王国軍の指揮は我々が引き継ごう」
ヴァルディスも星冠魔導師たちへ向き直る。
「後は任せたぞ! 帰還するまで気を抜くなよ!」
「ご心配なく、陛下。それより、探し物が見つからないからと、第二階域の地形を変えてしまわれぬようお願いします」
「馬鹿者! 俺を何だと思っておる!」
「偉大なる魔法帝であり、少々加減をお忘れになるお方かと」
「貴様! 言わせておけば!」
周囲から笑いが漏れた。
セラフィーナは二人の前へ歩み寄った。
「兵士の皆さんは、私がお連れいたしますね」
「うん。セラフィーナが一緒なら安心だよ」
「ふふっ。お二人も、どうかお気をつけて」
「ハッハッハ! 第二階域の魔物など、俺たちの敵ではないわ!」
ヴァルディスが胸を張る。
「問題は魔物じゃなくて、探し物なんだけどね……」
クラウスが苦笑した。
セラフィーナは二人に丁寧に一礼すると、兵士たちの待つ隊列へ戻っていった。
やがて、三国合同遠征軍は再び行軍を開始した。
その先頭には、大聖女セラフィーナの姿があった。
クラウスとヴァルディスは、遠ざかる軍勢をしばらく見送っていた。
「さて、と。それじゃあ僕たちも行こうか」
「うむ! さっさと見つけて帰るぞ!」
クラウスは懐から書簡を取り出した。
『魔界第二階域。その周辺に、我らが長く待ち望んだ大切な存在がいるはず』
「……大切な存在、ねえ」
千年近くも大精霊が探し続けているという、その特別な存在。
それほど重要なものなら、なぜ詳しい情報を教えてくれないのか。
そもそも、大精霊自身にも正確な場所が分かっていないのかもしれない。
「やれやれ……」
クラウスは書簡を懐へしまった。
「千年も見つからなかったものが、今回だけ都合よく見つかるとは思えないんだけどなあ」
「ハッハッハ! ならば今回も空振りかもしれんな!」
ヴァルディスが豪快に笑う。
「まあ、君が一緒なら少しは楽ができそうだよ」
「当然だ! この俺が同行するのだからな!」
二人は顔を見合わせ、笑った。
そうして、剣聖クラウスと魔法帝ヴァルディスは、大精霊アイテリアの神託に従い、第二階域へと向かった。
これまで幾度となく外れてきた神託。
今回もまた、何の成果も得られずに終わる。
クラウスはそう考えていた。
だが、その頃。
彼らが目指す第二階域では、一人の少年とその母親が、過酷な運命に直面しようとしていた。




