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『千年待った精霊たちは、忌み子を愛してやまない』  作者: ゆい


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第四章 七歳の鑑定


アウラ王国には、千年もの間、一度として破られたことのない大精霊との約束があった。


七歳を迎えたすべての子供は、身分や出自に関係なく、王都の大聖堂へ集まらなければならない。

それは千年前、人類を救った四大精霊の一人が、当時の国王へ直接命じたものだった。


七歳になった子供たちを、一人残らず私の前へ集めなさい。


その理由は明かされなかった。

以来、歴代の国王はその命令を忠実に守り続けてきた。


毎年、王都の大聖堂には七歳を迎えた子供たちが集められ、国王や王国の重臣、第一番隊から第三番隊までの隊長たちが列席する中、大精霊との顔合わせが行われる。

大精霊は子供たちを一人ずつ見渡し、最後の一人まで確認すると、何も告げずに立ち去る。


その後、国王や王国を代表する強者たちから祝辞が贈られ、神力鑑定が執り行われるのが恒例となっていた。


七歳は、神力の性質や強さが明確に現れ始める年齢でもある。

鑑定によって優れた才能を見いだされれば、平民の子供であっても将来を大きく切り開く機会を得られる。反対に、名門貴族の子供が期待を下回る結果を示せば、その家の評判や後継者としての立場に影響することもあった。


そして今年、アルヴェイン公爵家の第二夫人の子、シリュウも七歳を迎えていた。

その誕生日から数日が経った頃。


アルヴェイン公爵家の本邸では、ある親子が一人の少年について話していた。

重厚な扉で隔てられた執務室には、磨き上げられた机と書棚が並び、壁には歴代当主の肖像画が飾られていた。


窓際に置かれた椅子には、当主ドラン・アルヴェインが腰掛けている。

その前に立っていたのは、十歳になった長男レオンだった。


「父上、一つお聞きしたいことがあります」


ドランは手元の書類から視線を上げた。


「何だ」


「二か月後に行われる、大聖堂での儀式についてで

す」


レオンは父の表情を窺いながら、言葉を続けた。


「あの忌み子も、七歳になりました」


ドランの眉がわずかに動いた。


「それがどうした」


「七歳になった子供は、全員が大精霊様の御前へ集められ、その後に神力鑑定を受けるのでしょう?」


「ああ」


「では、あいつも鑑定を受けることになるのですか?」


ドランは答えず、レオンを見つめた。

その沈黙を肯定と受け取ったのか、レオンは少しだけ声を低くした。


「父上。もし、あいつが今も神力を持たず、魔物と同じ魔力を宿していると知られたら、どうなるのでしょう」


レオンは、シリュウが生まれた時のことを父や使用人たちから聞かされていた。

神力を持たず、代わりに魔物と同じ魔力を宿して生まれた忌み子。


本来ならば公爵家から排除されてもおかしくない存在が、七年間も生かされてきた理由も知っている。

生まれた直後、シリュウの周囲には数え切れないほどの微精霊が集まったという。


精霊は神力を持つ者に親しみ、優れた才能を持つ者ほど多くの精霊から好意を寄せられる。

だからこそ、ドランはシリュウの神力が成長とともに発現する可能性に期待していた。


レオンも、その事情は理解していた。

しかし、納得していたわけではなかった。

自分は公爵家の正統な後継者として、幼い頃から神力と槍術の鍛錬を重ねてきた。父からも将来を期待され、優れた才能を持つ者として扱われている。


それなのに、神力すら持たない出来損ないが、精霊たちから異常なほど愛されている。

その事実が、レオンには面白くなかった。


まして、以前、離れでシリュウを痛めつけた時のことを思い出すと、胸の奥に不快な感情が込み上げた。

殴られ、地面に倒されても、あの少年は最後まで屈服しなかった。


それどころか、自分に向けてきたのは、恐怖ではなく憎しみに満ちた眼差しだった。

神力すら持たない出来損ないが、なぜ自分をあんな目で見るのか。

その存在自体が、レオンには許し難かった。


「大精霊様だけではありません。国王陛下も、王国の重臣たちも、各部隊の隊長たちも、その場にいるはずです」


レオンは一度言葉を切り、父を真っ直ぐに見た。


「名門アルヴェイン公爵家から、神力を持たない魔物のような子供が生まれたと知れ渡れば、我が家の恥になるのではありませんか」


ドランの表情は変わらなかった。


「そんなことは分かっている」


低い声だった。


レオンはわずかに肩を強張らせた。


「では、儀式の前に、もう一度鑑定を行ってはいかがでしょうか」


ドランは息子を見据えた。


「再鑑定か」


「はい。七歳になった今でも神力が確認できなければ、これ以上あいつを公爵家に置いておく理由はありません」


レオンの言葉には、家名を守るという大義名分があった。

だが、その奥にある感情を、ドランが見抜いていないわけではなかった。


「随分と、あれのことが気になるようだな」


レオンは一瞬、言葉に詰まった。


「……私は、アルヴェイン家の名誉を案じているだけです」


ドランはしばらく息子を見つめていたが、やがて書類を机に置いた。


「七歳になっても神力が現れなければ、見切りをつけるつもりだった」


レオンの表情がわずかに変わった。


「では……」


「お前の言う通り、儀式まで待つ必要はない。数日以内に信用できる神官を呼び、極秘に鑑定を行う」


「ありがとうございます、父上」


レオンは深く頭を下げた。

しかし、その口元には、隠しきれない笑みが浮かんでいた。

ドランはそれを咎めなかった。


七年前、シリュウが生まれた時、屋敷には神官たちですら見たことがないほどの微精霊が集まった。

あれほど精霊に愛される子供が、神力を持たないなど考えられなかった。


だからこそ、ドランは七年間待ち続けた。

いずれ神力が発現すれば、精霊たちに愛されるという異常な才能は、公爵家に計り知れない利益をもたらすかもしれない。


だが、七歳になっても結果が変わらなければ、その可能性に見切りをつけなければならない。

ドランは窓の外へ視線を向けた。


「これが最後だ」


その言葉に、レオンは満足げに頷いた。

そして、数日後。

シリュウと母セレナは、初めて本邸の奥にある一室へ呼び出された。


そこは、二人が暮らしてきた離れとは何もかもが違っていた。

磨き上げられた床には分厚い絨毯が敷かれ、豪華な調度品が整然と並んでいる。壁には巨大な絵画が飾られ、天井から吊るされた照明が部屋全体を柔らかく照らしていた。


暖かかった。

隙間風もなければ、雨漏りの跡もない。長年染みついたカビの臭いも、腐りかけた床板も、ここには存在しなかった。


シリュウは部屋の中央に立ち、周囲を見渡していた。

隣では、セレナが息子の手を握っている。

その手には、いつもより強い力が込められていた。

セレナは知っていた。


なぜ、これまで一度も息子に会おうとしなかったドランが、突然二人を呼び出したのか。 


七歳になったシリュウが、いずれ神力鑑定を受けなければならないことも、その結果によって息子の運命が大きく変わるかもしれないことも理解していた。

だからこそ、今日という日が恐ろしかった。


部屋の奥にはドランが座っていた。

右側には数人の側近が控え、左側には第一夫人エレノアと長男レオンが並んでいる。

レオンはシリュウを見つけると、わずかに目を細めた。


以前、自分に向けられた憎悪の眼差しを思い出したのだ。

一方のシリュウも、レオンの姿を認めた瞬間、身体を強張らせた。

忘れるはずがなかった。

あの日、自分を殴りつけ、何度も地面へ叩きつけた少年。


そして、その母親。

エレノアの放った炎によって全身に重い火傷を負い、数日間、痛みに苦しみ続けたことも。

母が眠ることも忘れて看病してくれたことも。

傷が癒えた今も、身体には痛々しい火傷の痕が残っている。


シリュウは無意識に母の手を握り返した。

セレナはその変化に気づき、息子の肩へそっと手を添えた。


「大丈夫よ」


小さな囁きだった。

しかし、セレナ自身の顔色も優れなかった。

ドランはそんな二人を一瞥すると、側近へ目を向けた。


「始めろ」


その一言で、部屋の中央に控えていた神官たちが動き始めた。

彼らは今回のために極秘に呼び寄せられた者たちだった。

中央には大きな水晶が置かれ、その隣には魔力を測定するための特殊な器具が用意されている。

シリュウは二つの道具を見つめた。


「母様……何をするのですか?」


セレナはすぐには答えられなかった。


「……神力を調べるのよ」


「神力……?」


「ええ。シリュウの中に、どれくらい神力があるのかを調べるの」


セレナはできるだけ穏やかな声で説明した。

だが、握っている手の震えまでは隠せなかった。


「シリュウ様、こちらへ」


神官の一人が水晶を示した。


「手を置いてください」


シリュウは母を見上げた。

セレナが小さく頷く。

それを確かめてから、シリュウは水晶へ近づき、右手を置いた。


ひんやりとした感触が掌へ伝わる。

神官が水晶に神力を流し込むと、内部に淡い光が広がった。


その光がシリュウの身体を包み込み、内側に宿る神力を探り始める。

部屋にいる全員が、水晶を見つめていた。

セレナは胸の前で両手を握り、祈るように目を閉じた。


エレノアは冷ややかな表情で成り行きを眺め、レオンは水晶の変化を見逃すまいと身を乗り出している。

ドランだけが、椅子に腰掛けたまま微動だにしなかった。


やがて、水晶を満たしていた光がゆっくりと消えていった。

しかし、神力を示す反応は現れなかった。

神官は水晶を確認すると、念のためもう一度測定を行った。

結果は変わらなかった。


「……公爵閣下」


神官が振り返り、深々と頭を下げた。


「神力は確認できませんでした。測定結果は、ゼロでございます」


部屋に静寂が訪れた。

驚きの声を上げる者はいなかった。

七年前と同じ結果だったからだ。


レオンは予想通りだと言わんばかりに口元を緩め、エレノアも小さく息を吐いた。

ドランは目を閉じ、しばらく沈黙した。

七年間、待ち続けた。

生まれた時には確認できなかった神力が、成長とともに発現する可能性を信じていた。

しかし、その期待は今、完全に裏切られた。


「……やはり、駄目だったか」


低い呟きだった。

セレナはその言葉を聞き、唇を噛みしめた。

分かっていた。


生まれた時から神力が確認できず、七年間、一度としてその兆候が現れなかったことを。

それでも、今日だけは違う結果が出るのではないかと、心のどこかで願っていた。


「魔力の方も調べろ」


ドランが命じた。


「承知いたしました」


別の神官が魔力測定器をシリュウへ近づけた。

その瞬間、器具の内部に黒紫色の光が灯り、測定針が勢いよく動き始めた。


神官は針の動きを見つめ、眉をひそめた。

七年前の記録と照らし合わせる。

そして、その表情が次第に険しくなっていった。


「……これは」


隣にいた神官も測定器を覗き込んだ。


「どうした」


ドランが尋ねた。


「公爵閣下。魔力が……増大しております」


「どの程度だ」


「七年前の記録を明らかに上回っております。神力は一切確認できませんが、魔力だけは成長しているようです」


神官は慎重に言葉を選びながら報告した。

人間でありながら神力を持たず、魔物と同じ魔力を宿す。


それだけでも異常だった。

しかし、七年間で神力が発現するどころか、魔力だけが増大していたという事実は、彼らにとってさらに不気味なものだった。


「つまり……」


エレノアが静かに口を開いた。


「七年経っても人間らしい力は目覚めず、魔物の力だけが育ったということですのね」


その声には、嫌悪とともに、どこか満足したような響きがあった。

セレナが顔を上げた。


「違います」


震える声だった。

しかし、はっきりと言い切った。


「この子は人間です」


エレノアは呆れたように息を吐いた。


「まだ、そのようなことをおっしゃるのですか?」


「私の子です」


セレナはシリュウを抱き寄せた。


「神力がなくても、魔力があっても、この子は私の息子です。それだけは絶対に変わりません」


「随分と立派な母親ですこと」


エレノアは冷たく笑った。


「ですが、その子がアルヴェイン家にどれほどの恥をもたらすか、少しはお考えになったらいかがです?」


セレナは唇を噛みしめた。

反論しようとした時、レオンが口を開いた。


「結局、七年経っても何も変わらなかったんだな」


シリュウが顔を向ける。

レオンはその視線を正面から受け止め、嘲るように笑った。


「神力もないくせに、魔力だけは立派に育ったのか。やっぱりお前は魔物だったんだな」


シリュウの拳が固く握られた。

あの日と同じだった。

自分が何をしたわけでもないのに、ただ存在しているというだけで侮辱される。


母まで傷つけられる。

そして、誰もそれを咎めようとはしない。

シリュウはレオンを睨みつけた。

その目に宿る怒りを見て、レオンの笑みが消えた。


「……何だ、その目は」


シリュウは答えなかった。


「また俺に逆らうつもりか?」


「レオン」 


ドランの低い声が響いた。

レオンはすぐに姿勢を正した。


「……失礼しました、父上」


ドランはゆっくりと椅子から立ち上がった。

側近たちの背筋が伸びる。


七年間、わずかな可能性に期待して生かしてきた。

しかし、結果は神力ゼロ。

それどころか、魔力は成長していた。

もはや、これ以上待つ理由はなかった。


「決まったな」


その一言に、セレナの身体が強張った。

ドランはシリュウへ視線を向けた。


「アルヴェイン家に、神力を持たぬ者は必要ない」


「……あなた?」


セレナが不安げに声を上げる。

しかし、ドランは彼女を見ようともしなかった。


「まして、魔物と同じ魔力を宿した子供など、我が家の名を汚すだけだ」


シリュウは父を見上げた。

七年間、一度も会おうとしなかった父親。

その父親が、初めて自分に向けて語った言葉には、息子としての情など何一つ感じられなかった。


「お前を、アルヴェイン家から追放する」


セレナの顔から血の気が引いた。


「……追放?」


「西へ送る」


ドランは淡々と続けた。


「魔界だ」


シリュウの目が大きく開かれた。

魔界。

母から聞かされた物語にも登場する、恐ろしい魔物たちが棲む場所。

王国の精鋭たちですら命を落とすという、人間にとって最も危険な土地。


「……公爵閣下」


老神官が青ざめた顔で口を開いた。


「いかに第一階域であろうと、七歳の子供が生き延びられるような場所ではございません」


「承知している」


ドランは短く答えた。

「ならば、なぜ……」

「魔物と同じ魔力を持つのだ。あの場所の方が似合いだろう」


「嫌です!」


セレナが叫んだ。

シリュウを抱きしめ、ドランを睨みつける。


「この子を、そんな場所へ行かせません!」


「お前の意見は聞いていない」


「殺すのと同じです!」


セレナの声が部屋に響き渡った。

これまで、どれほど冷遇されても、どれほど惨めな生活を強いられても、セレナはドランへ声を荒らげたことがなかった。

しかし、今は違った。


「七年間……!」


涙が頬を伝った。


「七年間、この子に一度も会おうとしなかった!」


ドランは無言で見下ろしていた。


「父親らしいことなんて、何一つしてこなかったでしょう!」


セレナの腕に力がこもる。


「満足な食事も与えられず、雨漏りする離れで暮らして……それでも、この子は必死に生きてきたんです!」


シリュウが母を見上げた。

セレナの声は震えていた。


「全身に酷い火傷を負わされて、何日も痛みに苦しんだ時だって……この子は、何も悪いことをしていなかった!」


その言葉に、エレノアの眉がわずかに動いた。

しかし、謝罪の言葉はなかった。


「私は……この子が苦しむ姿を、もう見たくないんです」


セレナは涙を流しながら、ドランを見つめた。


「お願いです。どうか、この子を……」


「黙れ」


ドランの一言が、その懇願を断ち切った。

セレナは唇を震わせた。

しかし、引き下がらなかった。


「お願いします……。公爵家の名を名乗らせなくても構いません。私たちは、この屋敷を出ていきます。遠く離れた土地で、誰にも知られずに暮らします」


セレナは必死に言葉を重ねた。


「二度と、あなたの前には現れません。ですから、どうか……この子の命だけは奪わないでください」


ドランは答えなかった。


「私が働きます。どんなに貧しい暮らしでも構いません。この子を育てていけるなら、それだけで……」


「既に決めたことだ」


「どうして……!」


セレナの声が悲痛に震えた。


「どうして、そこまでこの子を憎むのですか! この子は、あなたの息子でしょう!」


その言葉に、ドランの眉がわずかに動いた。

だが、返ってきたのは冷たい一言だった。


「私の息子は、レオンだけだ」


セレナは息を呑んだ。

隣でその言葉を聞いていたシリュウも、身体を強張らせた。


ドランはそれ以上、何も言わなかった。

その沈黙が、どんな言葉よりも残酷だった。

セレナはシリュウを抱きしめたまま、俯いた。

どれほど懇願しても、この男の決定は覆らない。

ようやく、そのことを理解した。

だが、だからといって息子を一人で送り出すことなど、できるはずがなかった。

セレナは震える手で涙を拭い、ゆっくりと顔を上げた。


「……分かりました」


ドランが彼女を見る。


「この子を魔界へ送るというのなら……私も行きます」


「母様……?」


シリュウが驚いて母を見上げた。

セレナは息子の頬に手を添えた。


「大丈夫よ」


その声は、まだ震えていた。

しかし、先ほどまでの迷いは消えていた。


「あなたを一人にはしない。どこへ行くことになっても、母様が一緒にいるから」


セレナは知っていた。

魔界へ足を踏み入れれば、自分も生きて帰れないかもしれない。

魔物に襲われ、命を落とすかもしれない。

それでも、息子を一人で送り出すという選択肢だけはなかった。


ドランはしばらく彼女を見つめていた。

そして、何の感情も見せずに答えた。


「好きにしろ」


あまりにもあっさりとした返答だった。


「お前も、この家には必要ない」


セレナの唇が震えた。

七年間、どれほど冷遇されても、心のどこかで期待していたのかもしれない。


いつか、ドランが息子を認めてくれるのではないか。

いつか、この子も父親から優しい言葉をかけてもらえるのではないか。

だが、その希望は今、完全に打ち砕かれた。

エレノアは満足げに二人を眺めていた。


レオンも何も言わなかった。

神官たちは俯き、側近たちは当主の命令を待っている。

広い部屋の中で、シリュウとセレナだけが孤立していた。


その時だった。

ふわりと、三つの小さな光がシリュウの周囲へ舞い降りた。


赤、青、金。

いつも少年に寄り添っている三体の微精霊だった。

赤い光は激しく明滅し、まるで怒りを露わにするかのようにシリュウの周囲を飛び回っている。


青い光は少年の頬へ寄り添い、金色の光は肩の上で静かに揺れていた。

その光景を見た神官たちが、驚いたように顔を上げた。


「……精霊が」


神力を一切持たない少年。

それなのに、三体の微精霊は当然のように彼の側へ集まり、離れようとしなかった。

老神官は理解できなかった。


なぜ、これほど精霊に愛される子供が、神力を持たないのか。

しかし、その疑問を口にすることはできなかった。

セレナは三つの光を見つめ、涙を拭った。


「……ありがとう」


小さく呟くと、もう一度シリュウを抱きしめた。

シリュウは何も言わなかった。

ただ、母の服を強く握っていた。


胸の奥では、怒りと悔しさが渦巻いていた。

自分は何もしていない。

誰かを傷つけたこともなければ、父親に逆らったこともない。

それなのに、なぜ自分と母がこんな目に遭わなければならないのか。

父親だからといって、どうして自分たちの命を勝手に決められるのか。


シリュウには理解できなかった。

ただ一つ、はっきりと分かったことがある。

目の前にいる男は、自分の父親などではない。

少なくとも、シリュウが母から聞かされ、心のどこかで思い描いていた父親とは、まるで違う存在だった。

ドランは側近へ向き直った。


「二人を下がらせろ」


「承知いたしました」


側近たちが動き、セレナとシリュウを扉へと促した。

セレナは息子の手を握り、ゆっくりと歩き始めた。

しかし、シリュウは途中で足を止めた。


そして、振り返った。

その視線の先には、ドランがいた。

父親と呼ばれる男。

自分と母を見捨て、魔物の棲む土地へ送り込もうとしている男。


シリュウはその緑色の瞳を、忘れまいとするかのように見つめた。

悲しいのか、悔しいのか、それとも憎いのか。

まだ七歳のシリュウには、自分の胸を満たしている感情をうまく言葉にできなかった。


ただ、あの日、自分を殴りつけたレオンへの怒りも、全身を焼いたエレノアへの憎しみも、決して消えてはいなかった。


そして今、その二人よりもさらに強く、目の前の男への憎悪が胸の奥に刻まれていく。

父から初めて与えられたもの。

それは抱擁でも、優しい言葉でもなかった。


――死刑宣告だった。


やがて、シリュウとセレナは側近たちに連れられ、部屋を出ていった。

重厚な扉が閉じられる。

その音が響いた後も、室内には重苦しい沈黙が残っていた。

ドランは椅子へ戻り、側近たちへ視線を向けた。


「これより、二人の処遇について話す」


側近たちは一斉に姿勢を正した。

その中の一人が、慎重に口を開いた。


「公爵閣下。一つ、確認させていただきたいことがございます」


「何だ」


「二か月後の大聖堂での儀式についてです」


ドランは無言で続きを促した。


「七歳を迎えた子供は、身分を問わず全員が大精霊様の御前へ集まるよう命じられております。これは千年前から続く王国の絶対的な義務であり、公爵家であっても例外は認められません」


別の側近も、険しい表情で頷いた。


「王国では、七歳を迎える子供の名簿が事前に作成されます。シリュウ様も既に対象者として記録されているはずです」


「分かっている」


ドランは短く答えた。


「ですが、儀式に姿を見せなければ、王国から必ず確認が入ります。まして、大精霊様との約束を故意に破ったと知られれば……」


側近は言葉を詰まらせた。


千年前、人類を救った大精霊。

その命令は、王国の法律よりも重いものとして扱われていた。

歴代の国王ですら、一度として破ったことのない約束である。

それを公爵家の都合で無視したと知られれば、どのような処罰が下されるか分からなかった。


「病死として処理しろ」


ドランは何のためらいもなく告げた。

側近たちが顔を上げた。


「……病死、でございますか」


「儀式まで二か月ある。病死の届けを出し、名簿から除外させればよい」


「しかし、実際には……」


「王国が確認するのは、届け出と記録だ。死亡した子供まで大聖堂へ連れていく必要はあるまい」


側近は沈黙した。

確かに、儀式を迎える前に亡くなった子供が対象から外されることはある。

だが、今回の場合は違う。

実際には生きている子供を死亡したことにし、大精霊の命令を欺こうとしているのだ。


「神官たちにも口外を禁じろ」


ドランが続けた。

その視線が、部屋の中央に控えていた神官たちへ向けられる。


「本日見聞きしたことは、すべて忘れろ。鑑定の記録も残すな」


神官たちは顔を見合わせた。

年老いた神官が、震える声で口を開いた。


「公爵閣下……大精霊様との約束を、このような形で欺くことは……」


「何か問題があるのか」


ドランの緑色の瞳が、老神官を射抜いた。

その視線を受けた神官は、言葉を失った。


「お前たちの役目は鑑定だ。それ以上のことに口を挟む必要はない」


「……承知いたしました」


老神官は深く頭を下げた。

他の神官たちも、それに倣った。

ドランは再び側近へ目を向けた。


「セレナについても、同じく病死として届け出ろ」


「承知いたしました」


「二人がこの屋敷から出たことを知る者は、最小限に抑えろ。離れに仕えていた者たちにも、余計なことは喋らせるな」


側近の一人が手元の書類へ目を落とした。


「移送については、いかがいたしましょう」


「公爵家の兵は使うな」


ドランは即答した。


「外部の者を雇え。金さえ払えば、詮索せずに仕事を引き受ける連中がいるだろう」


「……裏社会の者たちを、ということでしょうか」


「ああ。二人を西の大陸まで運ばせ、魔界の第ニ階域へ置いてこさせろ」


「護送の途中で逃亡される可能性もございます」


「逃げられぬようにしろ。ただし、現地へ到着するまでは殺すな」


側近は深く頭を下げた。


「承知いたしました」


「手配が整い次第、出発させろ。儀式までに、すべての処理を終わらせる」


こうして、シリュウとセレナの追放は、誰にも知られることなく進められることになった。

その場にいた神官たちも、側近たちも、ドランの命令に逆らおうとはしなかった。

やがて神官たちが退室し、側近たちもそれぞれの仕事へ向かった。


エレノアも満足げな表情で部屋を後にする。

残されたのは、ドランとレオンだけだった。

ドランは机の上に置かれていたグラスを手に取った。

レオンはしばらく父の様子を窺っていたが、やがて疑問を口にした。


「父上、一つお聞きしてもよろしいでしょうか」


「何だ」


「なぜ、あいつをわざわざ魔界へ送るのです?」


ドランの手が止まった。

レオンは不思議そうに首を傾げた。


「ここで始末してしまえば、それで済んだ話ではありませんか。魔界へ運ぶとなれば、手間もかかりますし、秘密を知る者も増えてしまいます」


十歳の少年が口にしたとは思えないほど、冷淡な言葉だった。

しかし、レオンにとってシリュウは弟ではなかった。

父の名誉を傷つける忌まわしい存在。

それ以上でも、それ以下でもない。

ドランは答えなかった。

ただ、グラスを静かに置き、窓の外へ視線を向けた。


「……父上?」


「お前には、まだ分からんだろうな」


それだけ言うと、ドランは再びグラスを手に取った。

レオンは納得できない様子で眉をひそめたが、それ以上問い詰めることはしなかった。


やがて一礼し、部屋を出ていった。

一人になった執務室に、静寂が戻った。

ドランにとって、シリュウはアルヴェイン家の名を汚す存在だった。


神力を持たず、魔物と同じ魔力を宿した子供など、決して息子として認めることはできない。

その考えは、七年前から一度も変わっていなかった。

それでも、あの子供が生まれた日のことは覚えていた。


産声を上げたばかりの小さな身体。

その周囲へ集まった、数え切れないほどの微精霊。

あの時、ドランは確かに期待したのだ。

いずれ公爵家の名をさらに高める、類いまれな才能が生まれたのかもしれないと。


しかし、その期待は裏切られた。

七年間、存在を遠ざけ、一度として父親らしいことをしてこなかった。

それでも、自らの手で命を奪うという決断だけは、最後まで下せなかった。


屋敷の地下で秘密裏に処刑することなど、ドランにとって難しいことではなかった。

信頼できる部下に命じれば、誰にも知られずに始末することもできただろう。


だが、そうしなかった。

魔界へ送れば、七歳の子供が生き延びられる可能性は限りなく低い。


第二階域であっても、魔物に襲われればひとたまりもない。

それでも、生き残る可能性が完全に失われるわけではなかった。

自分の血を引く子供を、確実に死なせる命令だけは下せなかったのだ。


それが、わずかに残された父親としての情なのか。

それとも、自分の子供を殺したという事実を背負うことから逃げただけなのか。

ドラン自身、その答えを考えようとはしなかった。

ただ、グラスの中で揺れる琥珀色の液体を見つめ、静かに酒を飲み干した。


それから数週間が過ぎた。

アルヴェイン公爵家では、シリュウとセレナの姿を見かける者がいなくなっていた。

二人が暮らしていた離れは閉ざされ、使用人たちには第二夫人とその子が病に倒れたと伝えられた。

やがて、二人が病死したという知らせが屋敷内に広まった。


だが、その頃には既に、シリュウとセレナは王都を遠く離れていた。

公爵家が雇った者たちによって西の大陸へ運ばれ、魔界へと追放されていたのである。


そして、二か月後。

王都の大聖堂には、七歳を迎えた大勢の子供たちが集められていた。

豪華な衣装に身を包んだ貴族の子供も、慣れない正装に緊張する平民の子供も、皆一様に大精霊の到着を待っていた。


大聖堂の内部には、巨大な柱が幾本も立ち並び、高い天井には精緻な装飾が施されている。

壁一面を彩る色鮮やかな窓からは柔らかな光が差し込み、磨き上げられた白い床へ幾何学模様を描いていた。


子供たちの小さな囁き声が広い聖堂に響いていたが、やがて奥の扉が開かれると、その声も自然と静まっていった。

国王をはじめ、王国の重臣たちが姿勢を正す。


第一番隊から第三番隊までの隊長たちも、厳粛な面持ちで祭壇へ視線を向けた。

そして、大聖堂の奥に設けられた祭壇へ、王国を見守る大精霊が姿を現した。


その瞬間、聖堂を満たしていた空気が変わった。

人間とは明らかに異なる、神聖で圧倒的な存在感。

国王が深く頭を下げると、重臣たちも一斉にそれに倣った。


大精霊は彼らに目を向けることなく、集められた子供たちを静かに見渡した。

そして、いつものように、一人ずつ顔を確かめ始めた。


最初の一人。

次の一人。

さらに、その隣の子供。


大精霊は何も語らず、ただ何かを探すように子供たちの顔を見つめていく。

千年間、毎年繰り返されてきた光景だった。

国王も、重臣たちも、大精霊が何を探しているのかは知らなかった。

なぜ七歳の子供を一人残らず集めなければならないのか。


なぜ、毎年必ず顔を確かめるのか。

その理由を尋ねた者は、過去にもいた。

しかし、大精霊が答えたことは一度もなかった。

ただ、千年前に交わされた約束だけが、今も守られ続けている。


やがて、大精霊は最後の一人へ視線を向けた。

その子供も、違った。

千年もの間、待ち続けてきた。

幾度となく期待し、そのたびに落胆してきた。

今年こそはと願いながら、また一年が過ぎていく。

その美しい顔に、わずかな寂しさが浮かんだ。

しかし、大精霊は何も告げなかった。


しばらく子供たちを見つめた後、静かに踵を返す。

今年もまた、探し求める存在に出会うことなく、大聖堂を後にしたのである。

その姿を見送った国王は、集められた子供たちへ祝辞を述べた。

続いて、王国を代表する強者たちが、これから神力を学び、魂を成長させていく子供たちへ激励の言葉を贈る。


そして、神力鑑定が始まった。

子供たちは順番に水晶へ手を置き、それぞれの神力を測定されていく。


優れた才能を示して歓声を浴びる者もいれば、期待した結果を得られず肩を落とす者もいた。

親たちは我が子の将来に期待を膨らませ、子供たちは初めて明らかになる自分の才能に胸を躍らせていた。

だが、その中にシリュウの姿はなかった。


王国の記録には、アルヴェイン公爵家の第二夫人セレナと、その子シリュウ・アルヴェインは、既に病死したものとして記されていた。


二人が魔界へ追放されたことを知る者は、アルヴェイン公爵家のごく一部だけだった。

千年間、一度として破られることのなかった大精霊の命令。


その命令は、今年、初めて破られた。

しかし、その事実を知る者は、大聖堂には誰一人としていなかった。


大精霊もまた、知らなかった。

千年もの間、待ち続けてきた存在が、ようやくこの世に生まれていたことを。


そして、その存在が、自分と出会うことなく、人間にとって最も危険な魔界へ追放されていたことを。

千年越しの再会は、すぐそこまで迫っていた。


だが、その運命を隔てたのは、たった一人の父親が下した、あまりにも残酷な決断だった。


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