【改良ダリアン暦1年119月11日】夜のとばり
それは、唐突に始まった。
◇
採光窓の光が、すっと弱まった気がした。
そしてそれは、気のせいではなかった。
採光ドームから、光ファイバーを経て居住区の採光窓に分配されていた太陽光は、やがてはっきりと分かるほど光量が落ち始めた。
色も赤みが差し始めた、と思ったあたりから、採光窓は急に暗くなり始めた。大規模砂嵐の端部が、いよいよコロニーの上空にかかり始めたのだ。
◇
「明けない夜」
前任の気象調査担当だったリオコさんが命名した、この火星特有の気象現象は、春を迎えて気温が上がった南半球で始まる。
気温上昇に伴い、極冠のドライアイスが急激に昇華して気圧が急上昇し、これが大規模な砂嵐を引き起こすことからそれは始まる。この砂嵐は、やがていくつもの砂嵐が合流して大きく成長しはじめるが、これが南半球に収まりきれなくなると、赤道を超えて、我々のいる北半球へと襲いかかるのだ。
この大規模砂嵐の到達により太陽光が遮られ、地上に届かなくなると、「明けない夜」が始まる。昼間でも夜のように暗くなり、これが長期間続くことから「明けない夜」と呼ばれるのだ。
これによりコロニー周辺に設置された太陽光パネルは発電が出来なくなる。前回の「明けない夜」の時は、砂嵐の到達前にフライホイール蓄電機に貯めておいた電気と、電気分解で製造した水素と酸素で燃料電池を稼働させた電気で、なんとかギリギリ凌いだ格好だった。
だが今回は、砂嵐の届かない高標高のオリンポス山中腹に、太陽光発電施設「ブルーローズ」が設置されて稼働している。発電能力には大きな余裕があるため、今回は命の心配はしなくても済む。色々な観測や野外活動はほぼ出来なくなるが、屋内での活動は今まで通りに出来るようになった。
ただし、観測や屋外活動が出来ない分、我々はちょっと暇になるのである。
◇
「今夜から、『リトプス1越夜祭』を始めます。」
管理部の大アルバートが、管内放送で宣言する。
「今夜から、『明けない夜』が明けるまでの30日間、毎日夜8時から9時までの間の1時間で、各部や個人が様々なイベントを行います。場所は中央ロビーにて。入退場は自由です!プログラムはPCで管理部のお知らせページからご確認下さい。『明けない夜』を吹き飛ばしてやりましょう!」
大アルバート、楽しそうだな。
さて、今夜は何だ?
◇
仕事を終え、シャワーを浴びて食事を済ませたら、ロビーへ行ってみる。ロビーには既に沢山の人が集まっていた。
中央に作られた小さなステージには、電子チェロと電子ピアノが用意されていた。
やがて、演奏者がステージに上がる。チェロを弾くのは、調査部天文担当のサラザールさん、ピアノは生物学者のアリシアさんだ。
お互い、ちらりと目配せをしたと思ったら、すぐに演奏が始まった。曲紹介は後回しにするようだ。
サラザールさんが、ブリッジの辺りを弓で擦って、錆びた機械が軋みながら動き始めるような音をたてる。
なんの曲だ?
やがて、アリシアさんのピアノがはじまると、曲名が分かった。
あれだ。前回の「明けない夜」が明けた日に、アミさんが館内放送でかけた、元気が出る曲。
「カイピラの小さな汽車」だ!
ブラジルの小さな田舎の駅を出発した、小さくて壊れそうな蒸気機関車が、ゆっくりと走り始めて、やがて隣の駅に着くまでを描写した曲。
オリジナルはオーケストラの曲だけど、チェロとピアノに編曲されたこのver.は、シンプルだけど機関車の息遣いが聞こえるような温かみがある。
僕のような前回の「明けない夜」を経験した居残り組には、思い出深い曲だ。
いいな、これ。
◇
その後、サラザールさんのチェロ独奏によるバッハの「トッカータとフーガ」や、アリシアさんのピアノによるアルベニスの「エル・アルバイシン」なんかが披露されて、ステージは大いに盛り上がった。
砂嵐による夜のとばりが降りたリトプス1は、この日、賑やかな最初の夜を迎えていた。




