五幕 願い
小郡へ続く竹林を抜けた頃には、空はすっかり夕暮れに染まりはじめていた。
茜とも紫ともつかぬ光が、山々の輪郭をやわらかく照らしている。
長かった旅も、終わりへ近づいていた。
そんな気配が、村へ降りる薄闇の中に滲んでいる。
やがて、見慣れた小郡村の門がゆっくりと開く。
その時、さらさらと涼やかな音が流れてきた。
戌助は思わず顔を上げる。
村の通りいっぱいに、七夕飾りが渡されていた。
青い笹葉の間で、無数の短冊や紙飾りが夕暮れの空気に揺れている
子供たちが、地面に膝をついて短冊を書いていた。
「何書いたー?」
「見せない!」
笑い声が飛ぶ。
その光景に、戌助は足を止めた。
「…なんで」
春日で、この祭りが行われることはなかった。
少なくとも。戌助の知る“以前”には。
「お、今年も飾ってるな」
稲吉が何気なく見上げる。
コウも、短冊を揺らして笑った。
「きれー」
「若、今年は何書きますか?」
ムツは楽しそうに振り返る。
誰も驚いていない。
まるで、昔からずっとそうだったように。
戌助だけが、立ち尽くしていた。
風が吹き、無数の願いがさらさらと鳴った。
「先戻ってるねー」
コウが振り返って手を振った。
「お前も早く来いよ」
稲吉が片手を上げる。
三人は笑いながら、人の流れへ消えていった。
戌助は、一人その場に残る。
その時だった。
子供たちの輪の向こうに、人影が見えた。
見覚えのある旅装束に、黒髪。
男は、子供が差し出した短冊を覗き込み、小さく笑っていた。
胸が大きく脈打ち、喉が熱くなる。
戌助は、無意識に一歩踏み出していた。
「……尚」
その名に。
男が、ゆっくりと振り返る。
夏の風が吹いた。
かすかな紙擦れの音が響く。
尚之は――
わずかに微笑んだ。




